2019年02月17日

『全身TATOO&ピアスな不良中年が片マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯049

『全身TATOO&ピアスな不良中年が片マヒになってただいま元気にリハビリ日記』♯049


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リハビリするひと。

白本 朋求(シラモト トモキ)
1964年10月14日大分県日田市生まれ。
建設省役員の父親の仕事の関係で、高校卒業まで九州で過ごす。
その後、2浪して法政大学経済学部に入学するも学費未納で3年で中退。
以降、様々なアルバイトに従事。新聞社、業界紙等で契約社員。出版業界紙で書籍の編集、執筆、校正等に関わる。
これらの仕事を辞め、某タレントのマネージャーを1年間勤める。
その繋がりからフィリピンでの事業に着手、独立し、フィリピンはカビテで衣料を中心とした日本製品の中古ショップを開店した。
ショップのさらなる拡大を目論み、帰国するも、脳出血で倒れ、長期入院。退院して現在、リハビリに奮闘中。



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もう2月だけど、生きてます(笑)。




去年のクリスマスイブに、お袋さんが転んで肋骨を折って、親父さんの認知症もだんだん進んで来て(普通の時もあれば、オカシイ時もある)、
多分、今までの人生で、最悪の、忙しい正月を過ごしたんじゃないだろうか。


もう、お袋さんの肋骨は治ったが、これをキッカケに、前のように動けなくなったので(老いというのは突然やってくるね〜)、
片麻痺の俺が中心になって、料理から掃除、洗濯等、家事もやることになった。


親父さんはボケたとはいえ、要介護1なので、施設通いも、ヘルパー来訪も、週一回が限界で、どうしても俺がやらなきゃいけなくなっている。

これも取り組み次第ではリハビリになると考えてこなしているし、今までのハードリハビリのおかげで体力的には何の問題もないのだが、
やっぱり精神的な負担はとても大きい。



老人介護は、未来もないし、相手に合わせることが多いため、虚しさでドッと疲れる。

それに金銭的にも。




10年以上も、いや20年近く離れてた親に、脳出血で倒れたことで仕方なく帰ることになり、生活を共にするようになったら、親の考えや生活習慣等に大きな違いを感じて、イライラしてしまうことは、ほぼ毎日だ。

ということは、動けなくなるまで、俺はまたもや、イイ歳こいて親に甘えてたということかも。


ホントにクズだよね。

また、俺も感情障害が残ってるかもしれない。

また切れるんじゃ、というくらい、血圧上げて無性に腹を立ててしまうこともある。

もちろん、せいぜい声を荒げるくらいで、手を上げたりはしないけど。




よくよく考えれば、基本的に自分は正しいと思ってることにも怒ってしまう原因があるのかもしれない。

何で俺の言う通りにしないんだ!というパワハラみたいな自分の価値観の押し付けだ。


血の繋がった親とはいえ、自分とは違うのだから、彼らが今まで歩んで来た人生を否定せずに同意はしなくても尊重しなきゃね…と思うが…。




正月に、親父さんがトイレで粗相をした。

どうやったらこうなるんだ?というくらいにウンコ、オシッコを飛び散らかした。

すぐに言えばいいものを何もなかったようにシレーッとテレビなんぞ眺めてる。

お袋さんは肋骨がまだ治ってなくて痛いと言ってるので、仕方なく俺が処理して掃除したが、もう虚無感と絶望感で頭がいっぱいだった。

途中から、俺も使うし、この際だからと隅々までキレイにして消毒までしたものだ。




また、俺なりに正月用にと一生懸命作ったダゴ汁やおでんを、親父さんに夜中に冷蔵庫を開けられて勝手に食われた。

朝に問い詰めても、知らない、俺じゃないと言い張る。

認知症で食べたことも覚えてないのだ。

この時もホントにヤル気をなくした。




本人はわかってないので、怒るに怒れないし、これが認知症か…と愕然としたものだ。

今まで、老人介護ということが全く頭になかったので、突然やってきた事態に戸惑いを感じてる。

しかも右半身片麻痺のこのカラダでだ。

そう、基本的な家事から介護、送迎までこなしてる俺って、やっぱりスゲ〜なと思うね。

ステージ3の麻痺でも、こんなに動けるのだよ。



こういう時にリハビリの成果が出るってちょっと悲しいが、今まで、例えできなくても臆せずにどこでもズケズケと乗り込んで行ったことが、
結果的にスピードは遅いが、何でもできることにつながったと思うね。


今やできないのはほとんどないね〜麻痺じゃない左手の袖のボタンを止めることくらいかな。

これも口を使えばできるようになると思う。


まだまだ進化するぜ!





そういえば、俺が脳出血で倒れた当初、iPadはもちろん、ガラケーもいじれなかった。

ガラケーを開いて、どこかに電話をかけようとしても、どこを触っていいものか、全くわからずに、壊しそうで、すぐに触るのもイヤになった。

今まで普通にやってたことが全くわからなくなり、何もできなくなる…

これはハンパなくホントに怖かったものだ。



もしかしたら、認知症はこれに近いのかもしれない。

人によって違うかもしれないが、わからない、できないことに対する焦りが怒りに代わって他人に向いたり、
絶望感から何もせずに心を閉ざすようになって、目を開いて外を見るのも拒否するようになる。


俺は徐々に回復していったが、認知症はその症状がだんだん酷くなるのだ。

そう考えると、立ち振る舞いにどんなに腹が立っても、やっぱり労わることを忘れてはいけないと思う。

…とは言っても、ガキの頃から好きじゃなかった親父さんのこと。

なるべく距離を置いて関わるようにしている。





お前らはイイよなぁ、最期まで面倒見させて。

コイツらが死んだ後、俺はどうやって生きようか?などとクズな俺は考えてしまう。

時折、今50を過ぎても、自分は、大きな間違いを犯してるんじゃないだろうか、大きなカンチガイをしてるんじゃないだろうか、このままではトンデモない事になるんじゃないだろうか、という不安に捕われてしまうことがある。

かといってどうするわけでもないのだが。

まあ、とりあえず、なるべく無理はせずに、できることはやろう。

「成るように成る、だから心配するな」という一休宗純の言葉を頭に。






さて、リハビリだけど、年明けから糖質制限を始めた。

そして、基本的に夜はあまり食わなくなった。

量的には朝3、昼5、夜2の割合だ。


米、麺類、パン等を食べるのは一日一回、せいぜい100gくらい。

日曜日は許す。

加えて、タンパク質を多く取る(1日100g)。

今まで通り1日2リットル以上の充分な水分補給も欠かさない。

それでリハビリトレーニングで少しでもイイから汗を流す。

すると、以前は70キロ前後だった体重が、現在、66キロまで落ちた。

一応、目標はあと1キロ減の65キロだ。




こんなに簡単に体重が減るのであれば、もっと早くにやっときゃ良かった。

去年はどんなに腹を引っ込めても履けなかった30インチのGパンが難なく履けるようになった。

そして、今は29インチが履けるようになった。

すでに30インチではベルトで締めないと下がってくる。




もう少しで見えそうで、なかなか見えないのが6パックだが、なんとか今年は頑張りたい。

重要なのは、体重じゃなく体脂肪率だということはわかってるが、それは現在、19%前後。

目標は大きく10%以内だ。




ウォーキングは少なくとも週に3回一万歩以上は続けているとして、

最近は、リハビリテーションというよりも、体幹トレーニングを中心としたボディ・メイクみたいになってきた(ボディ・ビルまではいかない)。



次回にでも今取り組んでいるリハビリトレーニングを動画で紹介したいと思う。


クリップをゴム糸で繋いで。

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これは何に使うかと言うと、ファスナーを閉める時の補助である。

前にネットで見たが、自分でこしらえた。

左手一本なので、これでジャンパー等の右側の下を止めて、一方はパンツに挟む。

ファスナーの片側をしっかりと留め金に入れて上げれば固定されてるから苦労せずに難なくファスナーが上がるのだ。

コツを掴むまで上手くいかない時もあったが、慣れれば簡単なのだ。








リハビリウォーキングで菊池を歩く18

ついに発見したゾ!
「出田鬼石古墳」だ!家から歩いて30分くらい。


存在は知ってたけど、これまで近くを歩いても、どこにあるのか、わからなかった。

道路から外れて丘に上がる獣道の、鬱蒼とした竹林の中に雑草に覆われてあった。

すぐ側の古池城趾には行ったことあるけど、ここにあったなんて気付かないよな。


急な坂で、片麻痺のカラダでは、ちょい一苦労で、さらに上の、石に触ることは叶わなかったけどね。

でも、良いリハビリになった。



何のことはない、巨石でできた石舞台古墳なのだが、6世紀頃に作られたもので、その当時から、こんなところに人がいて、文化があったんだなぁ。



最初に発見された時は副葬品なんかも見つかってるんだって。

すぐ下には横穴墳墓もいくつか残ってる。

ということは、菊池家の城は古代の墓の上に建てられてたんだねー。


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もう一つ、「旧鹿本鉄道・菊池川鉄橋」だ!
さすがに歩けば3、4時間はかかるが、今回は山鹿市だし、クルマで。


温泉と道の駅みたいな施設、「水辺プラザ鹿本」の脇の方に浮いたように架けてあるのだが、
これは、ここに鉄道が走ってたんじゃなく、鹿本町の記念として鉄橋だけが移設されたのだ。

明治22年に敷かれた九州で最初の鉄道、九州鉄道(博多〜久留米間)の、ドイツの工法による九州初の鉄橋だってさ。

へー、スゲ〜なぁ。

大正時代に鹿本鉄道(植木〜山鹿間)が開業して菊池川を渡すのに使われ、昭和に入って、九州を襲った大水害で甚大な被害を受けて結局、鹿本鉄道は廃業になり、
線路も外され(跡地は遊歩道になってる)、鉄橋だけがここに来たのだ。

当時は外国の工法による鉄橋ももったいないからと使い回しだったんだね。

どんなところにも歴史があるものだ。

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