2019年08月14日

「死ぬ」ってなに?『安楽死を遂げるまで』(宮下洋一/小学館)

「死ぬ」ってなに?『安楽死を遂げるまで』(宮下洋一/小学館)




宮下洋一(みやしたよういち)
1976 年、長野県生まれ。ウエスト・バージニア州立大学外国語学部卒。スペイン・バルセロナ大学大学院で国際論修士、同大学院コロンビア・ジャーナリズム・スクールで、ジャーナリズム修士。主な著書に『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』など。



「生きる権利」があるなら「死ぬ権利」があってもいい。

個人的にはそんなふうに考えている。
いや、いた、というべきか。
いや、でもやっぱりそう考えている、のか、さて、どっちだろう。


そんなふう、という言い回しには、そこに重厚な知識に裏打ちされた確固たる信念があるわけじゃない、
というニュアンスが含まれているのであって、
つまりは、過去形で断定できるほど自信がなく、よくわからない、というのが目下の結論なのであるわけだ。


みなさんはどうだろう。


おそらく、「安楽死」「尊厳死」に賛成するひとの多くが、
まさに「そんなふう」に考えているのではないだろうか。


「どうやって生きていくべきか」
というテーマなら、各自好き勝手に考えそして実行すればよい、と即答できるのだが、
「死」に対してはそう簡単に答えは出せない。

なぜか。
それは、「生」より「死」を重んじているからにほかならないのではないか。

「どうやって生きてきたか」より、「どうやって死ぬか」で、そのひとの一生の「価値」が決定づけられる、という考えが根底にあるような気がする。



へんな話といえばへんだ。


「生」より「死」が大切だなんて。





18歳で日本を飛び出し、以来23年間にわたりヨーロッパを拠点に世界中で活躍するジャーナリスト・宮下洋一氏も、「安楽死」をテーマに取材を始めた当初は、まさにそんな立ち位置だったようである。

正確には軸足は「懐疑派」のほうにおいていた。


他人の生死を「医者」が勝手に決めることに疑問を感じていたという。

現在、安楽死が認められているのは、スイス、オランダ、ベルギー、アメリカの一部。

宮下氏はまず、スイスの自殺幇助団体を主宰する医師、エリカ・プライシックと出会い、彼女に取材する一方で、実際に安楽死の現場に立ち会うことになる。


宮下氏は、目の前で家族と談笑しながら、致死量の薬を飲み、あるいは自ら点滴のストッパーを開き、あっという間に死に至るシーンを目撃し、とまどう。


わたしも読みながら、言い方は悪いが、安っぽいドラマを見ているような、
うすっぺらい印象を受けた。

「個」の生き方を最大限尊重する欧米の社会風土を肌で理解している宮下氏も、
少しずつ違和感を募らせて行く。

それがいったい何に対する違和感なのか、答えを模索しながら取材を続けて行くうちに、
最後に母国で取材をしたときに、なんとなく答えらしきものを見つけ出す。


つまりは、「個」の集合体である欧米、そして、家族や地域の「共同体」を重んじる日本人との決定的な違いに根ざしている、というのだ。



冒頭で書いたように、頭ではわかっていても「安楽死」への賛同を言い表せないもどかしさが、一読したあとで、なんとなくわたしにもわかった気がした。



それにしても、「安楽死」に対する法整備が進められたのは、まだほんの最近のことなのだが、実に多くのひとが「安楽死」を選択して命を終わらせている。

オランダに至っては、死因の4%が「安楽死」との統計もある。



「安楽死」を認めるためには、
治療の見込みがないこと、
堪え難い痛みがあること、
自身が「安楽死」を望んでいること、¥
そして、医者との面談の末に希望が変わらないことなどなど、
各国ごとに違いはあるものの、おおむね前述のような条件が必要となる。


ところが最近では、堪え難い痛みはないが、うつ病などの精神的苦痛、
片麻痺などにより日常生活が送れないことに対する苦痛、
なども認められ、実際に「安楽死」で命を終わらせるひとも多い。


では、日本ではどうか。

さきほど書いたように、風土、国民性の違いから、
まだまだ議論も醸成されておらず、おそらく認められることがあったとしても、
遠い先であろう、と宮下氏は予想する。



わたし個人としては、もし余命半年、1年の宣告を受けたら、
「死ぬ日」はやはり自分で選びたい。
もがき苦しみながら死ぬのは避けたい。


アメリカインディアンのように、
「きょうは死ぬにはもってこいの日だ」という日を自分で選び、
家族と談笑しながら、しずかに命を終わらせたい。


「死」そのものに対する畏怖、怯え、恐怖心はおそらく最後まであるだろうが、
「死の瞬間」の恐怖心は、いまはそれほどない。

以前にも書いたように、
「全身麻酔」の経験、そして「入棺体験」が大きく影響しているように思う。


「死」は誰のものか、
幸福な「死」とはなにか。


そうした普遍的なテーマに興味のある方、
ぜひ一読してみることをおすすめする。



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2018年06月10日

「死ぬ」ってなに? 『臨終の七不思議 現役医師が語るその瞬間の謎と心構え』(志賀貢/幻冬社新書)

『臨終の七不思議 現役医師が語るその瞬間の謎と心構え』(志賀貢/幻冬社新書)






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志賀貢(しがみつぐ)
北海道出身。医学博士。昭和大学医学部大学院博士課程卒業後、臨床医として約50年にわたって診療を行う現役医師。『医者のないしょ話』など著書多数。






そもそも、「臨終」ってなに?

ブリタニカ百科事典によると、

「臨命終時の略。死にぎわ。臨終の場に僧侶が登場して,説教して引導を渡すことがある。日本の古代から中世にかけて,臨終の相の吉悪が,来世での成仏か堕地獄を現すとされ,臨終時に平静に乱れずに死ぬため,臨終行儀がつくられた。」


まさに死と生の境のことなのだが、
洋の東西を問わず、大昔から「死に際」がいかに大切に捉えられてきたかがわかる。


臨終とは、生の終わりという意味では「記念」的瞬間であり、
どこで、誰に看取られて終わるか、まさにそれは自分が生きてきた「生」の集大成でもある。

そしてもうひとつが、臨終の「先」にあるものへの畏怖。


なんといっても、臨終の先になにが待ち受けているか、
だれひとりわからないのだ。


だからこそ、その「先」の旅路への不安を少しでも取り除き、
幸運を祈るという意味で、宗派を問わず、世界中でさまざま儀式が執り行われているのだろう。



そうした精神世界観のほかにも、
死を迎える間際に人間の体はどうなるのか、といった生命科学的側面のギモンもつきない。


特に小宇宙といわれまだまだ未知の部分も多い人間の「脳」は、
どのような作用を見せるのか、興味は尽きない。


死を迎える直前、死への恐怖を軽減するために、脳は麻酔の一種である
アドレナリンを大量に分泌するらしいのだが、
いかんせん、誰ひとり、死んだことがある人間はいないから、
実際のところ、本人にはどのような「景色」が見えているのかさっぱりわからない。



「死後の世界」がどうなっているのかは、もちろんわからないのだが、
「死のきわ」でなにが起こっているのかは、
臨終に立ち会ってきた医師ならわかるはずだ。



本書は、三千人以上の患者の臨終に立ち会ってきた医師の志賀貢氏が、
医師としての知識や世界の研究結果をもとに、
「臨終」の世界、「臨終」患者に対する看取りについて解説している。



「臨終」を迎えるにあたり、いかにも不思議な現象が起こるという。

そのひとつが「中治り」だ。


一時的に病気が治ったと思われるくらい元気になることなのだが、
食欲がなかったのに急にご飯が食べたいと箸を手にしだしたり、
起き上がれなかった患者がとつぜん自分でトイレに行きだしたり。


「ちょうど残り少なくなったろうそくが明るく燃え上がり、最後の光をはなって消えていく様子に似ている」


確かに、なんだか急に元気になって、このまま退院できるんじゃないか、
と思った矢先に亡くなった、といった話を聞いたことがある。



実はこれはホルモンの働きだという。

「ホルモンが作用して中治り現象を引き起こし、最後の力を与えている」





ほかにも、
「臨終」を迎える直前に、死んだひとの霊が現れ自分を呼んでいる、という話もよく聞く。

これはどういうことなのだろうか。



「お迎え現象でやってくるのは、きっと最期に会いたかったひと。科学的には幻聴、幻視なのかもしれませんが、臨終の際に会いたいひとに会わせてくれる脳の粋な機能」


なるほど。
自分の脳が勝手に脳裏に投影しているということか。

しかし、もしそうだとしても、死を目前にして不安でしかたない患者にとってはこのうえない現象であろう。
まさに「脳の粋な機能」である。




人間の機能だけじゃなく、
動物に関係した不思議な話もある。

死の淵にいる飼い主のそばからペットが離れないとか。

ペットの犬や猫が飼い主の死を察知するといわれる。
「ひとが危篤状態になると、体内の病変や科学的な反応などから独特の匂いを発する。こうした微妙な匂いを察知しているのでは」



死の前兆として「カラスが鳴くとひとが死ぬ」という話を聞いたことはないだろうか。

これは
「おそらく、ひとが死ぬとカラスが好奇心を募らせて集まってきて、その異様な光景に鳴き声をあげているのでは」




いずれにしても、動物は動物なりに、「死」を敏感に感じ取っているということなのだろう。




人間の話にもどろう。

臨終が迫っている患者を見分ける簡単な方法があるという。


歳をとると幼児性が現れたり、遠い先祖の肉体的な特徴や病的特徴が出たりするというのだ。

そうした現象を利用したのが以下の検査。

【把握反射の検査】
@ 太くて丸い棒を用意する
A 左右の手を出してもらいその手の上に棒を乗せる
B 乗せた棒をさっと握る場合は幼児性がかなり強く出ている。



「手を握って」「そばにいて」「抱きしめて」
と患者さんが言い出したら、臨終が近い証拠らしい。

また、
臨終を迎えた患者は例外なく、「家に帰りたい」「友人に会いたい」と訴えるという。




母親の胎内から出てきた瞬間の赤ちゃんは、初めて触れる世界に恐れおののき、
不安でしかたないと思うが、
今度は生が終わるときも、未知の世界への不安に押しつぶされそうになり、
なにかにすがりたいと思うのだろう。


そんな不安を取り除いてあげられるのは、
やはり看取る家族しかいないのだ。

「家族の温もりが病めるひとの肌、心に届かないはずはない。それこそが、臨終をまじかに控えたひとに安らぎを与えるために必要だと思います」





一方、いいか悪いかわからないが、
こんな現象も起こる。


臨終が近づくと、男女ともに助平になる、というのだ。

これは
「人間の衰えは目、歯、魔羅の順番」に起こるらしく、

「命が危険にさらされると子孫を残すことに頭が働く。結果性欲が旺盛になる」

最後の最後まで、子孫を残すことを第一義に考えるニンゲンとは、
ある意味たくましいと思う。





誰しも「臨終」を迎えた患者を安心して送り出してあげたいと願っている。
そのためには、自宅で看取るのが一番、そう思っている日本人が大半ではないだろうか。


しかし、現在の医療態勢、とくに在宅医療についはまだまだ問題が多いと、
志賀氏はいう。


「日本人は人情と義理を大切にする国民性。ゆえに一生を終えるときは家族に囲まれて天国に旅立つのが理想的な人生だと思っている」
「家の畳で死ぬということは、在宅医療のお世話になるということ」

「しかし、病気によってはとても在宅では治療できないう症状が出るケースもある」

「患者さんからできる限り痛みを取り除いて、おだやかに天国へ送り出してあげるのも看取る側の大切な役割だとわたしは考えます」



臨終を迎える際の価値観は人生観のテーマでもあると、志賀氏は指摘する。

どういう臨終を迎えたいか、送り出してあげたいか。
事前にあらかじめ考えておく必要があるということだ。





さて、臨終に立ち会う際に、ぜひやってあげてほしいことがあるという。
それは、患者の耳元で囁いてあげること。




「死の淵をさまよってもどったひとの5人に1人が臨死体験をしている」
そして、臨死体験をしたほとんどのひとが、
誰かが耳元で名前を呼んでいる声が聞こえたと証言する。

これは、聴覚神経が最後まで働き続けていると考えられるから。


「臨終にあたっては苦痛や不安を和らげるために耳元で囁き続けることは有効な看取りの技術」


間違っても
「枕元で相続や離婚の話や患者の悪口は決して口にしてはいけない」

実際に、死のふちをさまよう患者の枕元で不倫相手と相続の話をしていたのがすべて聞こえていて、無事生還を果たしたのちに修羅場になったこともあったという。


ただでさえ精神的に追い込まれている患者に
さらに追い討ちをかけるようなことはやめてあげたい。


「逆に、早く全快してほしい、また一緒に酒を飲みましょう、という励ましの言葉がいかに効果的か」
ということだ。






「臨終の七不思議」は、本人に限ったことではない。


仲が良かった妻や夫に先立たれ、すぐに後を追うように、
相方も急死することも、よく耳にする。



「配偶者が急死すると残された配偶者はたいへんな悲嘆とうつ状態に陥る」
これを
「喪の心理」
という。

ある研究機関が発表した、「ストレスの強度スケール」というものがある。

1位 配偶者の死
2位 離婚
3位 配偶者との別居
4位 家族の死
4位 留置所拘留(同点)


最高点をマークしたのが、配偶者の死。



私自身、配偶者がおり、家族がいるが、まだその体験はしたことはない。

もしかすると幸運にも?その体験はしないかもしれないが、
いずれにしても、わたしが先に旅立つことになっても、
残された妻によけいなストレスを受けないよう、なんらかの準備はしておきたいと思う。






また、肉体的にも、
「配偶者の死後1〜2ヶ月の間に著しくリンパ球が減少する」


精神的にも肉体的にも、配偶者喪失のダメージは想像以上ということらしい。


亡くなったあとに
初七日、四十九日、百箇日と法要が行われるが、

初七日の一週間で、残された配偶者の体内のリンパ球が激減するし、
百箇日は悲しみのあまり後追い自殺するリスクが高くなる。


つまり、法要は、
「残された家族が健康に気をつけて暮らしていきましょうと誓い合う日」
でもあるということを知っておく必要がある。


ほかにも、
「独居や孤食は早すぎる死の旅立ちを招く」
ことにつながるらしいので、気をつけておきたい。






臨終は、誰もがはじめて経験する不安な瞬間である。

それを少しでも癒してあげられるの看取る側の責務だろうし、
まず、臨終を迎えるひとに寄り添うこと。それがなにより大切なのだ。






「豊かな生の果てにある豊かな臨終」



常日頃から悔いのない毎日を送っていれば、
「生」の集大成である「臨終」もおのずと心静かに迎えられるということだろう。




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2018年05月01日

「死ぬ」ってなに? 「お迎え現象」

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死んだひとが幽霊になって枕元に立ってたら、
それはホラー現象以外なにものでもないですよね。


わたしだったら、「きゃーっ」と思わず悲鳴をあげるかもしれないし、
神様仏様キリスト様アッラーの神様〜、と必死に両手を摺り合わすかもしれないし、
「ごめんなさいごめんなさい!」と泣いてお詫びしたりするかもしれない(なんで?)。


少なくとも、
目の前の幽霊をハグして大喜びするひとなんていないだろう。


だって幽霊だし。



と、人一倍こわがりの私は、そう思っていたのだが、

実は幽霊もまんざらじゃないんだなあ、とつくづく感心させられる記事をご紹介しましょう。



ここでいうところの「幽霊」は、
いわゆる「心霊現象」というか「超心理的現象」というか、自分の心の中に現れた現象のこと。


YOMIURI ONLINEに掲載された、
約2500人を看取った経験をもつ緩和ケア医の奥野滋子氏の体験談である。

奥野 滋子( おくの・しげこ )
1960年、富山県生まれ。緩和ケア医。特定医療法人社団若林会湘南中央病院在宅診療部長。順天堂大学医学部客員准教授。麻酔・ペインクリニック医から緩和ケア医に転向。ホスピス、緩和ケア病棟、大学病院緩和ケアチームで全人的医療を実践し、約2500人の看取りを経験。患者からの「死んだらどうなるの」という問いをきっかけに宗教学、死生学を学ぶ必要性を感じ、東洋英和女学院大学大学院人間科学研究科修士課程を修了。「ひとりで死ぬのだって大丈夫」(朝日新聞出版)、「お迎えされて人は逝く」(ポプラ社)など著書多数。




「お母さんが会いに来てくれた」

60歳、女性。卵巣がん。
母親は彼女が学生だった時に病死しているのだが、ある朝の回診で
「昨日の夜、お母さんが会いに来てくれた」
という。
幽霊は怖いが、あの世のお母さんが会いにきてくれるのは、さぞうれしいだろう。
しかし、なぜかお母さんは椅子に座っているものの、なかなか目を合わしてくれない。
翌日の回診でも、やはりお母さんがきてくれるのに、相変わらず目を合わせないと訴える。
そしてついに翌々日の朝、彼女は非常にすがすがしい顔をして、
「先生、お母さんがやっと私の方を見てくれた。私、これできっとお母さんのもとに行けるのね。うれしい」
そういって喜んだという。

その日の午後、突然血圧が低下して意識がなくなり、夜に亡くなったとのこと。


彼女が、お母さんに会いたい一心でお母さんの幻影を見ていた、
と考えるのが普通だろうが、
娘を残して逝ってしまった母親が、
娘が心配で、最期に「お迎えに」くることだってありうるのではないか。


なによりよかったのは、彼女が心から安心して旅立てたことだろう。



70歳、男性。大腸がん

すでに終末期にさしかかっていたこの男性。


以前は自分の意思表示も明確で医療者にも協力的であったが、
亡くなる1か月ほど前から言葉を発しなくなったという。

ある日、奥野医師が彼の病室を訪れた時、机の上に「南無真如一如大般涅槃経」と書かれたメモ帳が置かれているのに気づいた。

奥野医師はそこで「信仰をお持ちですか」と問うと、うなずいた。

「今、あなたの仏様はどこにおられますか」と問うと、
「共に」と一言だけ答えた。

「心配なことはありますか」と問うと、首を横に振って返事をされた。


数日後、息を引き取ったという。




この男性を迎えにきたのは、みほとけだ。

考えようによっては、これほどありがたみのあるお迎えはない。

まさに心から安らぎをもってあの世へ逝けるというものだろう。



信仰心はひとによってさまざまだが、
あの世を旅立つ不安を取り除くうえでは非常にありがたいものである。







「温泉に行く」

50歳、女性。卵巣がん。


抗がん治療を続けてきたが効果なく、
自宅での生活がままならなくなり入院となった。

独身で、有名ブランド店の店長を任され、仕事一途の生活を送っていたが、
生きがいにしていた仕事を他人に預け、
介助なしに生活を営むことが困難な状況になって、
「こんな状態が長く続くのなら死んだ方がまし」というようになった。

母親は乳がんが脳に転移し別の病棟に入院中で、病状は厳しいという。


ある日、「母親が面会に来た」と言う。
しかし、周辺でそのような人物を目撃した人はいなかった。

数日後のある日の夕方、「母と温泉に行く話をしていた」と話した。

そんなことがたびたびあって、まもなく、
別病棟にいた母親が息を引き取ったと、連絡が入った。

その後、約1週間で本人も永眠した。

姉は「母と妹は仲が良かったので、一緒に温泉に出かけたのかしら」と語ったという。



仲のいい夫婦のどちらかが先に亡くなると、
あとを追うように、残された連れ合いもすぐに亡くなるといった話をよく聞く。

「旅は道連れ」というが、
あの世への旅路も、ひとりよりふたりのほうがいい。


この親子は偶然にも死期が同じだったわけだが、
どうせ助からなかったのなら、
ある意味、死期が同じでよかったともいえるのではないだろうか。


奥野医師はいう。
「私がこれまで看取りをさせていただいたケースから見ると、『亡くなった方との再会』『お迎え』『先祖の存在』によって、安心して旅立つ人が少なくない」 


「『お迎え』に訪れる死者たちは必ずしも恐怖の対象ではない。出現のしかたや会話も自然で、恐怖や不安も感じていないように見える場合には、その人のもとに一緒に行きたいという希求と一種の安堵感のようなものが本人には生まれているのかもしれない。
もしそうであるならば、『お迎え現象』は死の恐怖を乗り越える助けになり得るのかもしれない」





幽霊は怖い。

しかし、死期が迫り「死」の恐怖と相対しているときに目の前に現れる「幽霊」は、
漠然とした恐怖感を取り除いてくれる、
大切な使者なのだろうと、奥野医師の体験談を読んでつくづく思う。



どうか、「お迎え」にくるひとが、
自分にとってかえがえのない大切なひとでありますように、
と願わずにはいられない。


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posted by bambi at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 「死ぬ」ってなに?

2018年04月23日

「死ぬ」ってなに? 自殺幇助マシンが登場!

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「安楽死」を認める国や地域が少しずつ増えてきている。

当ブログでもたびたび取り上げていることだが、
「安楽死」は「自殺」ではない。


余命いくばくの宣言をされた患者や、
肉体的に耐え難い苦痛に悩む患者など、諸条件を満たす場合に限り、
自発的な死を選択できる、というもの。


Wikipediaによると、2017年現在、以下の国や州が「安楽死」を認めている。

・スイス - 1942年
・アメリカ(オレゴン州) - 1994年「尊厳死法」成立
・オランダ - 2001年「安楽死法」可決。
・ベルギー - 2002年「安楽死法」可決。
・ルクセンブルク - 2008年「安楽死法」可決。
・アメリカ(ワシントン州、モンタナ州) - 2009年
・アメリカ(バーモント州) - 2013年
・アメリカ(ニューメキシコ州) - 2014年
・アメリカ(カリフォルニア州) - 2015年
・コロンビア - 2015年
・カナダ - 2016年
・オーストラリア(ビクトリア州) - 2017年
・韓国 - 2017年



日本でも、患者本人の明確な意思表示に基づく予防・救命・回復・維持のための治療を開始しない、
いわゆる「消極的安楽死」は認められているが、「積極的安楽死」は認められていない。


さて、昨年11月にオーストラリアのメルボルンがあるビクトリア州で、
「積極的安楽死」法案が可決、2019年6月から施行されることが決定した。
余命半年未満と医師に判断された18歳以上の末期患者が自身に致死量の投薬を求める権利が付与される。


この法案可決にあわせて、オランダのアムステルダムで葬儀関連の見本市が開催され、ボタンを押すだけで自殺できるとされる、カプセル型の機器が注目を集めた。

発表したのは、安楽死の合法化を目指し、「死の医師」の異名を取るオーストラリアのフィリップ・ニチキ医師。

ニチキ医師が代表を務める自殺幇助推進組織「エグジット・インターナショナル(Exit International)」が開発した。




エジプトの石棺を意味するサルコファガスを略した「サルコ(Sarco)」と名付けられたこの機器は、3Dプリンターで製作されたもので、
窒素ボンベを内蔵したスタンドに、取り外し可能なひつぎを取り付けたかたちになっている。


「死にたい人がボタンを押せば、カプセル内は窒素で満たされる。少しだけ目まいがするかもしれないが、すぐに意識を失って死ぬ」(ニチキ医師)


マシンのベース部分に人間がぴったり収まるサイズの半透明ポッドが設えられていて、利用者はポッドに入ったら、ボタンを押す。

ポッド内に液体窒素が充満し、酸素濃度を5パーセントくらいまで低下させる。1分もすると利用者はほとんど苦しむことなく意識を失うという



こうして速やかな死が訪れた後は、ポッドを棺として利用することも可能だという。ベース部分は再利用される。



エグジット・インターナショナルのプレスリリースには、サルコが「3Dプリンターで印刷し、どこでも組み立て可能なように設計」されていると説明されている。



ニチキ医師自身は、70歳以上の人については法的に安楽死を認めるべきだと主張しており、幇助自殺を推進している。
彼によると、ベビーブーム世代が高齢者になりつつある今、大きな転換期にあるだろうという。

「彼らは自分で生き方を決めることに慣れた世代です。多くの女性たちが中絶、避妊といった問題に関する政治的な闘争に参加してきました。死ぬタイミングやその方法について、他人からあれこれ言われたいとは思わないでしょう。そうした人たちに『落ち着いて、そうしたことは医者に任せよう』と言うなどおかしな話です。人の人生はその人のものです。死もまた人生の一部であり、その決定は本人に委ねられるべきものでしょう」と語っている。




このマシンについてはさておき、
ニチキ医師の意見には大いに賛同するところがある。


唯一、知性をもった人間には、少なくとも、
「死」を選択する人間を容認する寛容さがあってもいいと思う。



近い将来、わが国は多死社会を迎える。

医療制度が破綻する前に、
「安楽死」について、
いまのうちから真剣に議論するべきではないだろうか。

賛否両論さまざまな意見が出てくるだろうが、
「死」から目を背け見て見ぬふりをするよりも、はるかに人間らしく、有意義な議論だと思うのだが。


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2018年04月19日

「死ぬ」ってなに? 『痛い在宅医』(長尾 和宏/ブックマン社)

『痛い在宅医』(長尾 和宏/ブックマン社)




長尾 和宏(ながお かずひろ)
昭和33(1958)年6月生まれ。香川県出身。趣味はゴルフと音楽。昭和59年東京医科大学卒業後、大阪大学第二内科に入局。昭和61年より 大阪大学病院第二内科勤務。平成3年より市立芦屋病院内科勤務。平成7年に、尼崎市に長尾クリニッックを開業、外来と在宅医療を両立。あえて「町医者」という言葉にこだわり、「町全体が私の病棟、自宅は世界最高の特別室」をモットーに、病院で1000人、在宅で1000人を看取ってきた。在宅医療のリーダー的存在、また、<日本尊厳死協会>副理事という立場から、高齢者の健康、終末期医療、尊厳死・平穏死について硬軟自在な論調で多くの提言を行っている。毎日綴るブログは医師部門ほぼ1位をキープ。有料メルマガまぐまぐ!「痛くない死に方」では、読者からのあらゆる死の質問に相談するコーナーを設け、好評を得ている。ほか、多くの媒体に連載を抱え、『平穏死10の条件』『抗がん剤10のやめどき』『薬のやめどき』『痛くない死に方』『親の老いを受け入れる』など、ベストセラー書籍多数。



「いい死に方」とはなんだろう。



死に向かう本人の希望にそって、
家族や医者や地域社会が最大限力をつくす、そんな「看取り」の環境に居てはじめて、
やすらかな最期を迎えることができるのではないかと思う。



好むと好まざるとにかかわらず、
いまや、日本人のほとんどは病院で最期を迎える。

余命いくばくの宣言をされても患者の家族は最期のその時まで病院に入れておけば「安心」だし、
「死なせない」ことを第一義に考えている病院の医者は、患者の意識の回復が見込めなかろうと、心臓が止まるその瞬間まで「手をつくす」。
しかし、当事者である患者は、じつは最後は住み慣れた自宅で、延命措置もほどほどに、家族に看取られながら静かに旅立ちたいと願っていたりするかもしれない。


患者と、家族と、医者。
密接につながっているように見えて、
ベクトルはなんとなくズレている場合が多いのではないだろうか。




さて、冒頭で、病院で死ぬのが当たり前の時代だと書いたが、
しかし、これから高齢化にともない「多死社会」を迎えることになる。
そうなると「看取りのため」の病院は満員になり、本来の治療するための病院は機能不全に陥る。

かといって、自宅で死のうとすると、家族に負担がのしかかるし、
在宅医療の手配や介護の問題も出てくるし、おいそれと自宅にはもどれない。

病院を追い出され、自宅でも死ねない、
いわゆる「死に場所難民」が続出するのは時間の問題なのだ。


そんなこんなで、
現状のままでは、いつまでたっても「いい死に方」はできそうもない。



実は、1950年代までは自宅で最期を迎えるひとが8割だった。
それがいまや逆転し、自宅で最期を迎えるのは1割ほどといわれている。

主な要因が、医療技術の飛躍的な進歩。
本人の意思が確認できない場合、家族は延命を望むし、病院は高度医療を施し、患者はなかなか「死ねなく」なる。
結果、患者は死なないから病院は満杯になる。

延命治療の功罪、現代人の死生観の多様化なども相まって、
打開策を見いだすのは容易ではなさそうだ。



ひるがえって、自分はどうしたいか。
やはり、自宅で家族に看取られて、かわいがっていた熱帯魚を脇目に見ながら、眠るように死んでいきたい。それが本心である。


みなさんもおおかたそれは同じだろう。


では現実的にはどうかとなると、
さきほど書いたように、やはり家族の負担などを考えれば、そんな希望は安易に口にはできないし、いまのところ、その願いが叶うとは思っていない。


では、死んでいくのが自分ではなく家族だとしたら。

話は違ってくる。

もし本人が希望している(あるいは希望を察知した場合)なら、
可能な限り在宅で看取ってあげたいと思うだろう。


思うのだが、
では実際どのような手続きを踏み、どのような準備が必要で、
そして本当に本人が満足できる看取りの態勢ができるのか、
いまは漠然とした不安しかない。


決して理想論やきれい事ではすまされない、
「死」と真正面から向き合う覚悟が家族にはまず必要なのだろう。


いずれにしても、「死に場所難民」に対処するためには、
やはり在宅看取りの環境整備は喫緊の課題であることは間違いないのだから、
われわれもいまのうちから「その時」の準備を始めておかなくてはならない。


在宅看取りの環境整備はまだ緒についたばかり。
長尾和宏医師は在宅医療の第一人者として、多方面でご活躍している。


「看取り」の現実に直面している患者や家族にとっては、
まさに救世主的な存在である。


その長尾氏に対して、
「先生がいってきたことはぜんぶウソでした!」
と真正面から非難の声を投げつける女性がいた。


その女性は、崇拝する長尾氏の著書などを参考に、末期ガンの父親を自宅で看取ったのだが、
肝心の在宅医や訪問看護師の対応のミス(?)により、
父親は最期まで苦しんで死んでいったという。


安らかに逝かせてあげたい、という願いとは裏腹に、
父親に壮絶な死に方をさせてしまったことが、
彼女にとっては悔やんでも悔やみきれないのだ。

「自分が殺した」という重い十字架を背負うことになった
彼女の怒りは、信頼していた長尾氏にぶつけられることになる。


本書は、長尾氏自らが、その彼女の怒りを正面から受け止め、
至らなかった点を懺悔しつつ、在宅医療の問題点を描きだしている、まさに渾身のドキュメンタリーである。


みなさんもぜひ一読して、
「自宅で死ぬこと」「いい死に方」とはなにか、
改めて考えていただければ幸いである。



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2017年08月15日

クオリティ・オブ・デス=「死の質」ってなに?

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「QOD」って聞いたことあるだろうか。

クオリティ・オブ・デスの略で、直訳すると「死の質」。
要は、死が間近に迫った場合に、どのように死と向き合うかを考える概念のこと。


欧米では1980年代ごろから使われはじめ、
近年、より注目されるようになったようだ。


日本ではまだまだなじみのない用語だが、
「死」をみじかに感じ正面から向き合う意識はだいぶ高まってきている。

つまり「どういう最期を迎えたいか」「死ぬ前に準備することはないか」
そういうことを真剣に考えはじめてきたということだろう。


以前は、「死」を見て見ぬ振りして(むしろ忌み嫌うものとして)、遠ざる風習があったが、「死」は人生の延長にある、と考えるひとが増えてきている。



イギリスの経済紙「エコノミスト」が2015年に世界80カ国を対象に、
「死の質」についてアンケート調査を実施した。


医療制度や緩和ケアの普及度、患者の負担医療費、終末期に対する国民の意識などが調査項目にあげれているのだが、
結果は以下のとおり。

上位10か国(100点満点中の点数)
1位 英国(93.9)
2位 オーストラリア (91.6)
3位 ニュージーランド (87.6)
4位 アイルランド (85.8)
5位 ベルギー (84.5)
6位 台湾 (83.1)
7位 ドイツ (82.0)
8位 オランダ (80.9)
9位 米国 (80.8)
10位 フランス (79.4)

最下位5か国
76位 ミャンマー (17.1)
77位 ナイジェリア (16.9)
78位 フィリピン (15.3)
79位 バングラデシュ (14.1)
80位 イラク (12.5)


日本は、というと、14位だった。

前回2010年調査では23位だったから、だいぶ「死の質」は高まった、
といえる。


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「QOD」=クオリティ・オブ・デスについて、
「女性セブン」2017年7月20日号にて、上野千鶴子氏と在宅医療の医師・小笠原文雄氏が対談を行なっている。

まず上野氏はこう疑問を呈する。

「私、思うんですが、死に目に会いたいって、あれは何なんですかね。」

医者も身内も死期は大体わかっているのに、なぜわざわざ子どもが遠くから駆けつけて、臨終の瞬間にそばにいることを、どうして至上命題にするんだろうというわけだ。


小笠原氏はこういう。
「そもそも『臨終』というのは『終わりに臨む』わけだから、死ぬ瞬間ではなく、生きている時の話なんですよ。」
「生きている時にきちんとお別れをするなりしておけば、その場にいなくても何の問題もないかと思いますよ。」

小笠原氏は続ける。
「クオリティ・オブ・デス、QODという言葉がありますよね。死ぬ人は最期の最期に『ありがとう』とか『愛してる』、『また会おうね』とか、いろんな言葉を遺して亡くなる。それこそ臨終という、生きている時に言って亡くなるわけですが、実はそれがあるか、ないかによって、遺族のその後はガラッと変わってしまうんですね。」


死に際の最期の言葉で、旅立たれたあとの家族や知人が救われたケースをなんども目にしてきたという。



「QOD」=クオリティ・オブ・デスを考えるにあたり、
自分自身だけの問題ではなく、現世に残して逝かざるをえない大切なひとのことも含めて考えなくてはいけない、と認識しておきたい。






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2017年07月24日

「死ぬ」ってなに? 最期の願いは叶えられるか

「きょう、死ぬとしたら何が食べたい?」


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そんな他愛もない話を友達同士でした記憶があるだろう。


自分は決まって「カツカレー」と答えていた。

そして今も「カツカレー」は大好きで、
好みは大人になっての変わらない。


しかし、いま大人になり、ひたひたと「本物」の死が近づいてきていることを実感しはじめているいま、
果たしてなんと答えるだろう。

「カツカレー」は、さすがに重い。
おそらく、重篤の病に侵されているであろう中で、
脂っこくて、もっさりしたカツカレーは、いかにも喉を通りそうもない。


とはいえ、
カツカレーだろうがなんであろうが、果たして死ぬ間際に
そんな「贅沢な」な願望が叶えられることなんてあるんだろうか。


少なくとも、日本の画一的な「安全」医療を是とする大病院などではありえなさそうである。

末期患者を看取る「ホスピス」などでは、
最後に家族と鍋を食べたい、という患者の希望を叶えてあげたといった話は聞いたことがあるが、
どの病院でもそんな希望が通るほど、人的余裕はないだろう。



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生まれたときや、入学式や結婚式では盛大に祝いながら、
人生の終焉ではただその時がくるのをじっと待つだけ、というのは
なんとも味気ない。

もちろん、当の本人も、周りに「迷惑」をかけているという「負い目」から、なかなか「わがまま」も言いにくいのだろうけど。



デンマークの病院で、余命わずかの男性の遺志を尊重して、
最期にタバコとワインを許可した、というニュースが話題になっている。


図1.png
男性に喫煙と飲酒を病院が特別許可(出典:https://www.facebook.com/aarhusuniversitetshospital


デンマークにあるオーフス大学病院で、75歳のカーステン・フレミング=ハンセンさんは大動脈瘤で内出血を起こしており手術をするには重篤すぎたため、余命数日もしくは数時間という宣告を受けた。

そこでハンセンさんは、担当の看護師であるリッケ・クヴィストさんに「タバコを吸ってワインを飲みたい」という最期の願いを伝えた。

病院側は、治療を施すよりもその願いを叶えてあげた方が患者にとっても幸せであろうと、死にゆくハンセンさんの遺志を尊重し今回、特別に院内規則を曲げることにした。ハンセンさんが入院していた病棟はバルコニーに通じていたため、病院のスタッフはベッドごとハンセンさんを移動させた。

看護師リッケさんと家族に見守られ、美しい夕日を眺めながらハンセンさんは最後の一服とよく冷えた白ワインを堪能した。





冷静に考えれば、
余命わずかなんだから、好きなことをさせてあげたいと誰しも思うところだろうが、
現実は、「規則」や「常識」に阻まれて、なかなか叶えてあげられない。




私事になるが、
30年前、父が膠原病を患い、半年ほど病院で痛みに苦しみながら亡くなった。
死ぬ1ヶ月くらい前に、薬の副作用で喋れない中で、必死に上体を起こしてくれと訴えていた。最後にもう一度座りたい、体を起こしたいようだった。

わたしが看護師さんにそれとなく伝えたが、なかなか受け入れてくれなかった。


そんな中、ようやく母の強い要望を聞き入れてくれて、看護師さん数人がかりで起こすことになった。
左右から看護師さんが支え母が正面から抱く形で上体を起こした。
そうして、長い間ふたり抱き合っていた、とあとで母から涙ながらに聞いた。



一見、なんでもない願いも、身動きできない本人にとっては、とてつもなく重い願いだったりする。



「患者だから」という前振りにとらわれることなく、
先に逝くひとの意志を尊重しながら、看取ってあげたいものである。




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2017年06月30日

「死ぬ」ってなに? 臨終のとき耳は聞こえてる︎

臨終イラスト.png


病床でまさに最期の時を迎えようとしている患者さん。

ベッドの周りで見守る家族。


「お父さん。いままでありがとう」

「あなたのこと、一生忘れないから」

「わたしを置いて逝かないで」


最期に思いのたけを、臨終の患者さんに伝える、
そんなシーンをよくドラマなどで見ることありますよね。


あるいは戦争映画や刑事ドラマなどでも
うーっガクッ、とうなだれた俳優をゆりうごかしながら
死なないでくれーって絶叫するシーンとか。


声をかけてるほうは感情的にはなりながらも、
本当は何をいっても聞こえていないんだろうな、
なんて心のどこかで思っていたりするかもしれませんけど。



目の前で亡くなる人がいい人ばかりとは限りません。
「てめえ、死ぬ前に金返せ!」
なーんて捨て台詞のひとつもかけたくなることだってあるかもしれません。


さて、ここでギモン。
そもそも、本当に亡くなる直前のひとには聞こえていないんでしょうか。



もし、しっかり聞こえているとしたら、
まさに本人にとって最期に聞かされる言葉は、ものすごーく大切な、
それこそ一生、
いや永遠に耳に残ることになるわけで。


「金返せ!」
なんて最期に聞かされたら…死んでも死にきれません。



じっさいのところはどうなんでしょうか。

聞こえてるの? 聞こえてないの?



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まあ、死んだことがあるひとはこの世にはいないし、
天国にいるひとに「ぶっちゃけ、聞こえてました?」なんてインタビューするわけにもいきません。


そうした中、週刊ポストが興味ぶかい記事を掲載しました。




以下、抜粋です。
死を告げられても人の声は聞こえている、は本当か
〈6/29(木) 7:00配信〉
死を迎えるその時、人の「最後の記憶」は何になるのだろうか──当然だが、その答えは死ななければ知ることができない。だが、多角的に検証してみると、今際の際まで人の感覚として残っているのは「聴覚」なのだという。



ちなみに「聴覚 死」というキーワードでインターネット検索してみると、〈聴覚は最後まで残る感覚〉〈死後数分は聴覚が生きていて、聞こえていると聞いたのですが本当でしょうか〉〈死んだ直後も人間は人の話し声が聞こえる〉などの記述にヒットする。


実は、そうした説を裏付けるような科学的な研究結果もある。2014年10月、英国・サウサンプトン大学の研究チームが学術誌『Resuscitation(蘇生)』電子版に以下のような内容の論文を発表した。


同チームは英国、オーストリア、米国などで、心停止から蘇生した患者330人のうち、101人に対して聞き取り調査を実施した。すると39%の患者が、心臓が再始動する前にも意識を自覚していたとの結果が出たのだ。


さらに患者の1人は、研究者らが3分間隔で鳴らしたブザー音を「2回聞いた」とも証言した。その調査結果からは、人は心停止の後も周囲の音を認識していることが推測できる。『臨終の七不思議』(三五館)の著者で、医学博士の志賀貢氏もこう話す。

「2007年に米ニュース雑誌『TIME』に掲載された、複数の米病院からの調査報告によれば、病気や事故で心停止が起こり、緊急治療によって蘇生した人の4〜18%が『誰かが耳元で名前を呼んでいる声が聞こえた』と証言しています」

なぜこのようなことが起こるのか。それを解き明かす研究データがある。

今年3月、カナダ・ウェスタンオンタリオ大学の研究者が科学専門誌に発表した研究によれば、生命維持装置を取り除かれた4人の末期患者の心拍と脳波を測定したところ、そのうち1人は心臓と血流が停止した後も10分間にわたって脳波が観測された。緩和ケアに携わる東海大学健康科学部の渡辺俊之・教授が解説する。
「心臓が止まり、脳に血流が行かなくなった後も脳が活動を維持している場合があることを示す興味深い研究結果といえます」




というわけで、どうやら死ぬ瞬間まで耳は聞こえているらしいです。


いや、聞こえてない。
だって死んだばあさんに何度も声かけたけどビクともせずに
そのまま死んでしまったし。


そうおっしゃる方もいるかもしれませんが、
しかし、前述したように、死んでしまったひとに聞こえてたかどうか、
確かめるわけにはいきません。


聞こえてないかもしれませんが、
いずれにせよ「聞こえてる可能性がある」と思っているほうが無難でしょう。


これからは、臨終の場面に立ち会うことがあったら、
積極的に声をかけましょう。

それこそ最期のチャンスなので、いままで言えなかったこと、
どうしても聞いてほしかったことを、
恥ずかしがらずに伝えてみましょう。


おそらく、亡くなられたあと、
伝えておいてよかったと、心のそこから思えるときがくるはずです。











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2016年11月24日

一番「痛い」病気って?※閲覧注意

「死ぬのがコワい」のは誰しも同じだろう。

じゃあ、具体的に何がコワいのか、と問われると、
その答えはひとそれぞれ違うかもしれない。


自分の場合は、「死んだらどうなる?」という観念的な未知の世界への恐怖・不安もあるが、
やはり、「死ぬ瞬間は痛いんじゃないか、苦しいんじゃないか」という
肉体的精神的苦痛に対する恐怖のほうがはるかに大きい。



そして、そう感じてるひとがやはり多いことが統計的にもあらわれている。

第一生命研究所が行った調査によると、
「家族や親友と別れなければならない」「自分のやりたいことや仕事ができずじまいになる」といったことよりも、
「病気が悪化するにつれて、痛みや苦しみが増すのではないか」と不安を感じる人のほうが多いという。
そう回答した人は、6割近くに上るという。


では、どんな病気が「痛い」のか。それは「どんな痛み」なのか。


2012年の「週刊現代」に掲載された記事をご紹介しよう。
ただし。

病気は選べないし、もし、運悪く「痛い」といわれる病気に罹患することもあるので、
「こんな痛い記事、読まなきゃよかった」と思われる方もいるかもしれない。

あくまでも「閲覧注意」、自己責任で読んでほしい。




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死に至る病にはどんな痛みや苦しみが伴うのだろうか。
命を奪う病気の痛みは、2種類に分けることができる。
(1)突然発症するもの
(2)徐々に痛みが増して長期間継続していくもの


「激痛が伴う病気の中で、(1)の突然発症し、即、死に結びつくものには、くも膜下出血、心筋梗塞、大動脈解離などがあります」
(あざみ野ヘルスクリニック院長の弘田明成医師)


「その痛みは後頭部をハンマーで思いっきり殴られたような痛み≠ニも形容されますが、急死に至るほど重症の場合は、それ以上の痛みでしょう」(弘田医師)

後頭部をハンマーで殴られるより痛い、とは。
想像がつかない。


急性心筋梗塞は、左胸のあたりが締め付けられるように痛み、吐き気や冷や汗、呼吸困難を伴うことが多い、という。

大動脈解離は、心臓から出て全身へ血液を送る太い血管、大動脈の壁に亀裂が入って突然発症する。循環器疾患のうち、心筋梗塞に次いで死亡率が高い病気だ。

この大動脈解離を経験した林修治さん(仮名・65歳)は、当時を振り返ってこう話す。
「朝起きてから、大きく背伸びをしたんです。その瞬間、背中に激痛が走り、立っていられなくなった。
これまでに経験したことのない痛みで、息苦しく、背中に重い鉄板が乗ったような圧迫感があり、押しつぶされてしまいそうでした。
なんとか救急車で病院へ行ったのですが、検査台に寝た瞬間から、まったく記憶がありません。
あまりの痛みで気を失ってしまったんです。治療を受けて命を取り留めましたが、主治医からは『血管の裂ける場所が悪かったら即死していた』と言われてぞっとしました。
実際、同時期に同じ症状で入院した患者2人は、すぐに亡くなったそうです」


あんな痛みはもう二度と経験したくない、と林さんは言う。

このような病気は、突然発症し、処置が遅れると急速に死に至る。
痛みの持続時間は短いが、「痛みの激しさ」という点では「一番痛い死に方」と言えるだろう。




対照的に、痛みが徐々に増して長期間継続する病気の代表格は、がんだ。

在宅診療での緩和ケアを専門とする在宅ホスピスとちの木所長の渡辺邦彦医師はこう話す。
「脳卒中や心臓病などは、激しい痛みを伴いながら亡くなっていくことは稀で、死の瞬間には痛みを感じてはいないでしょう。
ですが、痛みを抱えたまま死ぬ病気ということで考えると、がんは『一番痛く、苦しい死に方』だと言えるのです」


実際、がん患者約1200人にとったアンケートでは、9割以上の人が「痛みがある」と回答している。


「緩和ケア」の技術や痛み止め薬の進歩により、病気の痛みを抑えることが以前より容易くなってはいるが、現実はまだ、がんの痛みに苦しみながら亡くなっていく人がほとんどなのだという。

渡辺医師が続ける。

「痛みを取るために使われるモルヒネの使用量は、先進国の中でも日本は非常に少ないのです。欧米と比較すると10分の1程度。これは、医者の知識と経験不足が原因です。
緩和ケア病棟へ入院しているがん患者さんでも、必ずしも痛みから解放されているとは限りません。
がんの痛みは薬でコントロールできるのですが、日に日に強くなっていくため、それに合わせて薬の量もこまめに調節していかないと追いつかないのです」


前述した心筋梗塞などと違って、がんの痛みは、モルヒネなどを使わなければ、痛みの強さは増していく一方なのだ。



とは言っても、同じがんでもできる場所によって痛みが軽いものもあれば、重いものもあり、痛み方も違ってくる。痛みが軽いものには、「沈黙の臓器」と呼ばれる肝臓のがんや、腎臓がんがある。他には、肺がんだ。


「肺の中には神経が少ないので痛みは出ず、肺がんが進行して出る症状は長引く咳や血痰などです。

肺の痛みは胸膜に炎症が起こることで発生しますが、これは、相当がんが進行した場合でないと起こらないのです」(北海道大学大学院医学研究科特任准教授・西原広史医師)



しかし、肺がんが進行して胸膜炎が起こると、その苦しみは尋常ではない。

まず呼吸が苦しくなってくる。これは、炎症が起こることで胸水という水が肺の中に徐々に溜まっていくからである。それと同時に酸素を取り込める量は減っていき、息を吸っても吸っても、肺が酸素で満たされることはない。

水に溺れてもがき苦しむ状態を想像してほしい。肺がんの末期では、この状態が死ぬまで毎日続くのである。

痛みはないが、この上なく「苦しい死」を迎えることになる。



「末期になると、苦しくて寝返りも打てずしゃべることも難しくなります。
ただ静かに歯を食いしばって、苦しみに耐えるのですが、体もクタクタになってしまうので、モノに当たったりすることもできない。
精神的に参ってしまう患者さんも多いのです」(さくら総合病院・小林奈々医師)




では、がんの中でも痛みで発見されやすいのは何か。


「すい臓がんや胆管がんです。
これらのがんは、胃がんや大腸がんなどと比べて神経に浸潤しやすい性質を持っているからです。
神経を辿って、神経の中継局となる部分(神経叢)にも転移し、脊椎内に転移してしまう。すると腰や背中の痛みとなって現れてきます」(前出・西原医師)



このように部位による違いはあるが、末期となり骨に転移が起こった場合は、原発がんの場所に関係なく、さらに強い痛みが生じる。

このがんの骨転移が、「一番痛い死に方」と言えるだろう。


がんが骨に浸潤すると、ほんの少し体の向きを変えただけでも絶叫するほどの痛みに襲われる。骨が脆くなって骨折も起こり、より痛みは強くなる。



「末期の乳がんを患った60代の女性がいました。腰椎に転移していたのですが、少し体を動かすだけでも激痛が走る。
『この痛みをなんとかしてください』と涙ながらに何度も訴えられ、最後には、『先生、殺してください』とまでおっしゃいました」(前出・小林医師)


こんなにつらい思いをするくらいなら、今すぐ死んだほうがましだ−命を長らえるために治療をしている患者の気持ちを、こう変えてしまうまでに、がんの痛みは厳しいのである。



こうした痛みは、緩和ケアなどの医療がさらに発展したら避けられるかというと、そうではない。

「がんが進行すると、モルヒネも効かなくなってしまいますが、痛みを抑えようと投薬量を増加しすぎると、こん睡状態に陥ってしまうのです」(前出・西原医師)


痛みを取るために意識を失い、そのまま話すこともできずに死を迎えるとなれば、それは本末転倒だろう。



さらに、がんに限らず、病気や加齢によって体力が低下し、自分で食事が摂れなくなったときに施す延命治療が、苦しい死を招くこともある。


「高齢の方は、体が栄養素を取り込む能力も衰えてきているので、点滴で栄養を補給しようとすると、吸収できずに吐いてしまうこともあるし、肺水腫や心不全を引き起こすこともあるんです。

点滴は喉の渇きを抑えるにはいいですが、逆に苦しませてしまっていることもあるんです」(ホームオン・クリニックつくば院長の平野国美医師)


特別養護老人ホーム「芦花ホーム」の石飛幸三医師は、延命治療の胃ろうの弊害についてこう言う。


「口から食べられなくなって意識もなくなったときに、胃ろうで命を長らえると、食事を受け付ける量が減っていても、何も考えずに決まった量を入れているだけというケースも多い。

すると、胃ろうで入れたものを胃に収めきれずに吐いてしまう。
寝たきりだと、吐いたものが今度は喉につまって、それが原因で窒息して亡くなるというケースもあるのです。そんな悲惨なことはありません」



命を救うための医療で、結果として苦痛を増やしてしまっているのでは、元も子もない。訪問診療などを行っているケアタウン小平クリニック院長の山崎章郎医師は、こう話す。



「延命をしたり、病気による痛みを完全に取ってほしいということではなく、医療で今のつらさを和らげてくれればいいという方もいらっしゃいます。

ただ、苦痛を取るとひと言で言っても、会話ができるように意識レベルは大きく下げたくないのか、痛みがどれくらい和らげばいいのか、自身の最期について考えておくことも大切だと思います」


痛みもまったくなく、安らかな最期を迎えるには、老衰しかない。

だが、何の病気も持たず、老衰で死を迎える人は全体の4%。ほとんどの人が、何らかの病気が原因で痛みを抱えて死に至る。

「QOL」=「生活の質」という言葉があるが、痛みや苦しみのなかで生涯を閉じることになるのか、それとも眠るように死ぬことができるのか。

「死の質」についても考えておくべきかもしれない。

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2016年11月13日

『世界のお墓』(ネイチャー&サイエンス/幻冬舎)

『世界のお墓』(ネイチャー&サイエンス/幻冬舎)






ネイチャー&サイエンス
動物、植物、宇宙など自然科学分野専門の編集プロダクション。1978年の創設以来、図鑑や書籍、児童書を数多く手がける。『ツノゼミありえない虫』(幻冬舎)、『動物のちえ』シリーズ(偕成社)など多数。



日本のお墓は、
厳かな空気感が漂い、静謐な印象もあるが、
同時にちょっと冷たく、暗いイメージがどうしてもつきまとう。

墓石に多く使われる御影石と、あのひんやりした直方体の独特の積み重ね方が、
見るひとに威圧感を与えているのかもしれない。


先祖を敬い、厳かな気持ちになるための、先代が編み出した装置だといわれればそうかもしれないし、その目的は十二分に発揮されているといえる。


とはいえ、お墓に墓石を設置するようになったのは江戸時代からで、
それまでは、庶民は死んだら穴を掘って埋めていただけだったから、
「墓石」の歴史はそう古くはない。


だから、だれかが、「自分のお墓はこうしたい」といって、
好きにデザインしたものが、一気に広まって、
「墓石」に変わる新しい潮流なり歴史が作られていくこともありうるわけだ。


じっさい、「樹木葬」や「海洋散骨」など、新しいスタイルの埋葬法が広まりつつある。
なかには、ロケットで宇宙空間に散骨する「宇宙葬」なるものも話題になっている。



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もし、お墓(葬送)を好きにアレンジしていい、といわれたら?


皇帝が亡き妻のために建てたインドのタージマハールのような荘厳な御殿?

富士山の頂上で散骨?

太平洋を一望できる高台に別荘のようなお墓を建てる?

あるいは、自宅の庭の片隅に死んだペットの金魚といっしょにひっそり埋めてもらう?



なかなかに、そのひとの死生観と相まって興味深い。




広い世界。
お墓も埋葬方法もじつに多彩だ。


紀元前から受け継がれてきた文化と、風習と、新たに普及した宗教と、

いろんな要素がないまぜになって、

「え? そんなふうに埋葬しちゃていいの?」
「ああ、こんなお墓ならすぐにでも入りたい」
と驚かされることが多々ある。



『世界のお墓』は、
自然科学を得意とする編集プロダクションが、
世界の選りすぐり52カ所のお墓を集めた写真集だ。


以下、紹介されているお墓の具体例。

ナポレオンが造った墓地の島(イタリア)
人生を楽しく語りかけてくる墓地(ルーマニア)
パリの地下、遺骨は眠る(フランス)
祈りと希望の十字架(リトアニア)
船を愛したヴァイキングの墓所(スウェーデン)
墓に住む人々(エジプト)
聖者のための煌めく墓所(イラン)
貝殻に包まれて眠る(セネガル)
天国につづく聖なる河(インド)
風の国の墓地(タジキスタン)
古都を見下ろす光の墓(日本)
宙に浮く棺桶(フィリピン)
クレーターに造られた墓地(アメリカ)
死して宇宙へ旅する(アメリカ)
色とりどり、建て増しも可能(グアテマラ)
時の止まった砂漠の十字架(チリ) etc.




「お墓」なのに、なぜか観光パンフレットを見ているようにわくわくするのはなぜだろう。

ふだん、日本人が見慣れているお墓のイメージとはだいぶ違うからだろうか。


まさに、「ところ変われば」。



ただひとつ、共通していえるのは、故人を偲び敬う気持ち。


食べるもの、習慣、文化、死生観は違っても、
同じ人間なのだ。


そう、人間とは、死者を敬う唯一の生物なのだ。


死者をそうやって見送り、敬うのは、

いざ自分の番が回ってきたときに、安心して旅立つためなのかもしれない。




個人的には、新田次郎も感動したという、
スイスのアルプス山脈を一望できるサン・ロレンツォ教会墓地にもあこがれるが、

寒風吹きすさぶ、不毛の地に埋葬されたいという願望がある。

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見ているだけで寂しくてしかたないのだが、

いつまでも今世を引きずるのも、未練がましいし、遺されたひとたちも
とっとと忘れてしまったほうが楽なんじゃないかと思う。
今世を断ち切り、別な世界に旅立つイメージを
具現化したのが、荒涼としたなんにもない台地なのだ。

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地球が誕生し、まだ生物が生まれる前の世界。
ただ、風が吹いているだけの世界。


なんとなく、死んだらそこへ行くような気がする。




なんてかっこいいことをいいながら、
心のどこかでは、毎日ように墓参りに来てもらって、きれいな花で飾って、
墓の周りでにぎやかに宴会してほしい、とか願っている自分もいるのだが。




『世界のお墓』は、お墓の紹介だけじゃなく、
その地の歴史文化、風習、宗教的背景などが、実に簡潔に解説されていて、

世界史を勉強する中高生にもおすすめの本だ。



ぜひ一読してみてください。









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2016年08月21日

『自死という生き方 覚悟して逝った哲学者』(須原一秀/双葉社)






『自死という生き方 覚悟して逝った哲学者』(須原一秀/双葉社)





須原一秀(すはらかずひで)
1940年大阪府生まれ。日本の哲学者・社会思想研究家。元立命館大学非常勤講師。元龍谷大学非常勤講師。論理学・科学哲学専攻、大阪市立大学文学部哲学科博士課程退学。2006年4月、自身の哲学的事業として自死を遂げる。享年65歳。





つらいことや苦しいこともあったが、
ひととおり人生を謳歌し、
これ以上こらからの人生、特に望むことはない、

それより、これから先、老化老衰で死ぬしかなく、
得てしてそうした死に方は耐え難い苦痛をともなう。

ならば元気なうちに、人生に「ある程度」未練がなくなったときに、
自分の意志で人生を終えられたらすばらしいんじゃないか。



そんな「理想的な」生き方、死に方を自ら体現した須原氏。


考えた方は「安楽死」に通底するところもあるが、
末期のガンで治癒の見込みがなく、この先苦しんで息を引き取るしかない
患者などとは違い、

カラダも精神も、どこも異常がなく、

むしろ、人生の絶頂期にある人間が、まるで長い旅にでも出かけるように、

自らの命を絶つ。


みんなそうしよう、といってるわけではなく、
あくまでも生き方(死に方?)の選択肢のひとつとして、
認められてもいいのではないか。


須原氏は、広く議論してもらうために、
いつか、自死の選択が当たり前な世の中になって、
いよいよ自死するときがやってきたときに、
自分が書いたこの本を読んでもらえたら。


そのために、自ら「自死」してみせた。



現在でも「自死」自体、なにか犯罪に問われたりするわけではないのだが、
やはり世間一般では「自死」に対する「偏見」は根強い。



自死に対する偏見。
「よっぽどどうしようもない理由か狂っているか、変人か」

須原氏はそうした風潮に一石を投じたかったのだ。


もちろん、賛否あるだろうし、
おおいに議論すべきことだとは思う。



わたしは、須原氏の考え方に深く共感した。






本書は、須原氏によって『新葉隠 死の積極的受容と消極的受容』として書かれた原稿を、家族と相談の上、評論家・浅羽道明氏の解説をつけて改題された。


冒頭で、浅羽氏が問いかける。

「いつのまにか老人となり、点滴だの腹水排出だのの管につながれ、寝返りもままならなくなる。終わりなき床ずれの苦痛が始まります。」
「そうなる前に死のうと思ったことはないですか」


「警察が扱う自死は、借金苦、破産、大きな失敗や挫折、無能感、不治の病、人間関係の行き詰まり、鬱病といった理由が普通」

しかし、須原氏のように
「晴朗で健全で平常心で決行される自死がありうる」


「須原氏の自死は哲学的事業だった」
(浅羽道明氏)




須原氏は、2006年4月、半年ほど前から探してあったとある神社の裏山の枝振りのよい樹で縊死した。

頸動脈は自ら刃物で切り裂いた。失敗を防ごうとしたという。








須原氏はいう。
「自然死、ことに病院での自然死は、肉体的にも精神的にも長期間の堪え難い苦しみを経由する悲惨な例が実はほとんど。これではまるで『拷問部屋』ではありませんか」



(本著)『新葉隠』は、自らの老い衰えを迎えるのを拒み、死を選ぶ「自死」を肯定的に受容することを、世の中全体へ向かって要求している書物』








「はっきりいえることは、私は厭世論者でも虚無主義者でもない。ということ。」
「むしろ、人生を普通ないし普通以上に肯定し謳歌している人間である」

「平常心で死を受け入れることは本当に可能か?それはどのようにして可能か」



自死を遂げるにあたり、どうしても「まとも」な人間なら、
死への恐怖がある。

過去に自死した著名人たちは、どのあたりをどう乗り越えたのか。



須原氏は
三島由紀夫と伊丹十三とソクラテスを例に探求する。



「彼らはどうやって人生の未練を断ち切ったのか、死へと至る途中の苦痛への恐怖はどう克服したのか、飛び降り自殺は怖くないのか。」



「彼らの死の理由は我々と同種のものであり、彼らの『死の受容』は一般人に多いに参考になるはず。」



結論からいうと、この3人は、おそらく、「死にたがり」の人間であったはずだと、須原氏は確信している。

つまり「自死」の手段、そこに至る状況こそ各人違うが、
みんな、「死にたくて」死んでいったと。




伊丹十三が飛び降り自殺する1年前の訳書のあとがき。
「年をとったらいい顔になるはずだったんだが。楽しいうちに死にたい」


伊丹十三のエッセイから。
「僕はね幸福な男なんです。正月なんか女房子供と散歩するでしょ? うちの近所はあたり一面みかん畑でね、…太陽がいっぱいふりそそいで…静けさがね、こう、光って澱んでるんだな。…こりゃしあわせですよ。ああ、こうなるために俺は今まで生きてきたんだと思いますよ」



女性スキャンダルが「自死」の動機といわれている伊丹氏だが、
じつはそれはちょっとしたきっかけで、
まさに絶頂期であるいま、死にたい、と思ったのではないかと。





「要するに、自死を決行するひとは、人生の未練を断ち切ったのではなく、人生を気にしなくなったのであり、死への恐怖を克服したわけではなく、気にならなくなったのである。頭ではなく体の方が死にたくなってしまったのである。」






「端的にいえは、私は自然死も事故死も災害死も怖いのである。その点では人工的、意思的死のほうがましなのである」





須原氏は義父が亡くなるときに悔やんでも悔やみきれない体験をしたという。

「義父が病院で死にかかってるとき、早く楽にしてやってほしいと願うものの世間的配慮でいえなかった。」

家族も医者も自分たちの意志で、「じゃあ楽にしてあげましょう」とはなかなか言えない。

けっきょく、
「本人も含めだれも責任をとらない上に誰も責任を問われない。」
『世間的には全うな死の儀式だが、私には神も医者も親族も本人も完全に無責任な体制の死にしか見えなかった。」



人間には驚異的な順応力が備わっている。
事実、これまで自分たちの思うように、環境を変えてきた。

しかし、なぜか「死」だけはコントロールしようとしない。
これはおかしい、と須原氏はいう。






「現代人はまったくすべての人工的居住空間で生活しつつ、ほとんどの自然を公園か動物園レベルにまで調整してしまった。しかしなぜ最大の自然の暴威である「死」だけは制御することに躊躇するのだろうか」

「とにかく、「死」の問題を人工的な調整の範囲内に閉じ込めようとする傾向は止めることはできないはずである」





そもそも、「死」を忌み嫌う風潮は大昔からあった。


人生ははかない、むなしい、辛い、といった厭世的な格言が多いが。
「老化が身に染みてきて、『死』が意識の日程表に明確に記されるようになって、人生全体をその視点から見るせいで、厭世的にも虚無的にも見えるだけのこと」




あるノーベル賞受賞の物理学者が末期ガンにかかりピストル自殺。
そのときのメモ。
「このようなことを個人に独力でさせる社会は、やさしいとは言えない。おそらく今日を最後として、私には一人でそれを実行できる体力はなくなるだろう」

「死ぬべき時に死ぬ自由を保持しておくことが人間的精神の偉大さと晴朗さを確保するための条件である」


「安楽死の拡大や『老衰と老醜を拒否する自殺の流行』はやがて時代の趨勢となり、誰にも止められない」



「人類は『生』 のコントロールの一環として『死』のコントロールも文明として確立していくはずである。
ここまで『生』のあらゆる局面を改良していきた文明が『死』の問題を放っておくわけはない」




「老人たちも『老人道とは死ぬことと見つけたり』で、『死にたがり老人』になって『病気、老化、死』という体制の中で、自尊心と主体性を維持し続けてはどうであろうか」





実践家の須原氏の意見は、歯切れがいい。








とはいえ、いざ「自死」の予定が近づくと、
いろいろ自身の中でとまどいはあったようだ。


「2005年8月13日に自死を決行することを友人に告げた。
まっすぐに私の思いを受け止めてくれた。得難い友人をもって幸福。


「わたしは、以前から『私の人生は65歳までである』と公言してきた。





「年をとると月日のたつのが早くなるといわれるが、それは日々のルーティンに病的に順応していくせいかも。人生の時間を限定することで1日を過ごす意識が適正化されたのかも。
とはいっても、毎日が輝き始めるなどという大層なものはない」



自殺予定日が近くなり。
「『おいおいお前、ほんとにマジかよ』と若者言葉でツッコミを入れると『まあ、本気じゃないの』と答える自分がいた」




こうして、須原氏は、自らの計画を完遂する。



彼の自死を巡り、さまざまな反応があったと息子さんが証言する。



「父の自殺に賛否両論あった。
否定的な意見として、『残された家族が可哀そう。自分勝手すぎる』
賛成派の意見。
『意外とさばさばしている家族を見て、こういう死に方もあるんだな、死についての考え方が変わった』」


最後に息子さんはこういう。

「人生を満喫し、自らの意志で時期を選び、清々しく死んでいった人に対して、悲しむ必要はあるのでしょうか。」





いつやってくるかわかない「死」への恐怖。

それを「自死」という形で、自らの意志でコントロールしようというのは、

まさに生物のなかでも人間だけに与えられた能力なのだ。


それをどう「使う」か、
問題はそれだけのような気がするが、
みなさんはどう考えるだろうか。


ぜひ一読してみてほしい。


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2016年07月28日

『このあとどうしちゃおう』(ヨシタケシンスケ/ブロンズ新社)

『このあとどうしちゃおう』(ヨシタケシンスケ/ブロンズ新社)





ヨシタケシンスケ
1973年、神奈川県生まれ。
筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。
日常のさりげないひとコマを独特の角度で切り取ったスケッチ集や、児童書の挿絵、装画、イラストエッセイなど、多岐にわたり作品を発表している。『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)で、第6回MOE絵本屋さん大賞第1位、第61回産経児童出版文化賞美術賞などを受賞。著書に、『しかもフタが無い』(PARCO出版)、『結局できずじまい』『せまいぞドキドキ』(以上、講談社)、『そのうちプラン』(遊タイム出版)、『ぼくのニセモノをつくるには』(ブロンズ新社)などがある。2児の父。




「死」をテーマにした、子供向けの絵本なのだが、

絵本なので、10分もあれば読み終わってしまうのだが、

そのわずか10分間で、目からうろこが落ちた気がした。



内容は、大好きなおじいちゃんが死んだあと、
部屋の片づけをしていたお孫ちゃんが、ベッドの下から「このあと どうしちゃおう」と書かれた
ノートをみつける。


そこには、自分が死んだあとのことについて、
おじいちゃんなりに思い描く「あの世」のことが書かれていた。


おじいちゃんの描く「あの世」があまりの楽しそうだったので、
お孫ちゃんもさっそく自分の「このあと どうしっちゃおう」ノートを作ろうとするのだが、

いろいろ考えているうちに、「生きているうちに いっぱいやることがある」
ことに気づく。




まず、この絵本の秀逸なところが、
おじいちゃんの「あの世」観だ。


まず、死んだら「ゆうれいセンター」にいって、透明になって「この世」をしばらく様子を見て、

気が済んだらロープウェ―でてんごくへいく。
てんごくに飽きたら(!)、「うまれかわりセンター」へ行き、
生まれ変わりたいものを申請して、「この世」へもどってくる。


「てんごくにいくときのかっこう」では、
もっていくものとして、メガネやほけんしょう(!)や、おさけや「けっこうむずかしいパズル」だったり。

「てんごく」では、
「けっこうゆうめいじんにあえ」たり、「おさしみがおいし」かったり、
「みんながかならずどこかほめてくれ」たり、
「けしきのいいトイレ」があったり。


「みんなをみまっていくほうほう」として、
りんごになったり、けがしたときのかさぶたになったり、じゃむをすくうスプーンになったり。



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とにかく、読んでいて思わずにんまりしてしまうのだ。


主人公の孫でなくても、こんな「あの世」ならすぐにでも死にたい!
なんて思ってしまう。


「でも、そんなことあるわけないでしょ」
と反論したくなるのだが、
しかし、考えてみると、「この世」のだれひとり「あの世」をのぞいたことがないんだから、
否定なんてできないのだ。
おじいちゃんの「あの世」があっても不思議じゃない。


そうなのだ。

けっきょくのところ、死んだあとどうなるかなんて絶対わからないし、
そして必ず誰でも「死ぬ」んだから、

まじめくさった顔で、ことさら神妙に「死」を語る、あるいはタブー視して「語らない」のはおかしいのだ。



「死」=終わり、と考えるから悲しくなるし恐ろしくもなる。
「死」を直視することさえしなくなる。

そして、いざ「死」が避けられなくなるとじたばたして、
大切な最期の時間をおびえて生きていくことになるのだ。


だから、どうせなら「楽しい愉快なあの世」を想像しておけばいいんじゃないか。
と思う。

のだが。



絵本の最後に、主人公がギモンに思うシーンがある。


「おじいちゃんはしぬのがたのしみだったのだろうか。
もしかしたらすごくさみしくて すごくしぬのがこわかったのかもしれない」

「死」は誰でもこわいものだ。


それは、人間の本能であり、おそらくその「恐怖」からはカンタンには逃れられない。


だからこそなおさら、「おじいちゃん」をみならうべきなのではないか。





この絵本には、
著者のヨシタケシンスケ氏の「インタビュー」がとじ込み付録でついている。


それによると、
じつはヨシタケシンスケ氏は27歳のときに母親を長患いの末に亡くし、
その数年後には父親を急性の病気で亡くしている。

「突然の死とゆっくり進行していく死」の両方を経験し、それぞれの怖さを知ったという。



両親の死を経験したうえで実感したのが、人間は死の間際になればなるほど、死について語れない、といくこと。


もっとふだんからカジュアルに「死」を語れないかと思っていたという。


この絵本は、
ヨシタケシンスケ氏の、長年のテーマがようやく形になったのだ。



誰でも怖い「死」は、だからこそもっと軽く、カジュアルに語り合えれば、
必要以上に怖がる必要はなくなるのではないか。


わたしもさっそく、自分なりの「このあと どうしちゃおう」ノートを作ってみたい。


















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2016年06月29日

『病院でなく天国へ」 5歳の少女が選んだ最期

『病院でなく天国へ」 5歳の少女が選んだ最期
CNN.co.jp 6月20日(月)17時14分配信



「病院に行くより天国へ」――助かる見込みのない病状に陥った5歳の少女がこのほど、自分の意思で選んだ通り、自宅で死を迎えた。


少女は米ワシントン州のジュリアナ・スノーさん。

ジュリアナさんの母で神経学者のミシェル・ムーンさんは14日、娘の闘病をつづってきたブログで「私たちのかわいいジュリアナが、きょう天国へ旅立ちました」と報告した。

「私はぼうぜんとして悲しみに暮れています。でも同時に感謝の気持ちにあふれ、世界一幸運な母親だと感じています。神様が私にこの素晴らしい子どもを授けてくださり、6年近く一緒に過ごせたのだから」



ジュリアナさんは先天性の神経難病にかかっていた。

CNNは昨年放送した番組で、ミシェルさんと夫の空軍パイロット、スティーブ・スノーさんがジュリアナさん本人と、死の危険が迫った時の選択について話し合ったことを伝えていた。



病院へ行きたいか、それとも治療をやめて天国へ行くか。



ジュリアナさんは天国を選び、両親は医師と相談したうえでその意思に従うことにした。


「病院でなく天国へ」というジュリアナさんの選択は、死が迫った子どもにどんな治療を受けさせるべきか、その決断に際して本人の意見を聞くべきか、という議論を巻き起こした。



ニューヨーク医科大学の医療倫理部門を率いるアート・キャプラン氏は、「ジュリアナさんは非凡な女の子だった」「幼い子どもでも難しい病気のことをよく理解し、思慮深い意見を述べることができることを私たちに教えてくれた」と話す。




ジュリアナさんは2歳の時に、シャルコー・マリー・トゥース病と診断された。4歳になる頃には腕と脚が動かなくなった。飲み込む力も弱くなり、チューブで胃に栄養を送るようになった。呼吸筋にも影響が出て、オレゴン州ポートランドのドーレンベッカー子ども病院に入退院を繰り返した。


しかしジュリアナさんには、完璧な思考力があった。



だからこそ両親は、病院の医師から難しい決断を迫られた時、当時わずか4歳だったジュリアナさんの意見を聞くことにしたのだ。




医師らは両親に
「今度呼吸困難が起きた時にどうするか、考えておいてください」と告げた。病院へ連れ帰ることを希望するかどうか、ということだ。


病院で苦しい処置を受けた後で亡くなる可能性も低くはないという。


たとえ一命をとりとめても生きられる時間は短く、おそらく鎮静剤によって考えることも話すこともできない状態になるだろう。

どちらを選ぶか、正解など存在しない――医師らはミシェルさんたちにそう話した。




昨年の初め、ミシェルさんはジュリアナさんと会話した内容をブログに書いた。





ミシェル:ジュリアナ、あなたの病気が今度悪化したら、また病院へ行きたい? それとも家にいたい?


ジュリアナ:病院はいや。


ミシェル:家にいたら天国に行くことになるとしても?


ジュリアナ:はい。


ミシェル:ママとパパがすぐには一緒に行けないのは分かるわね。一人で先に行くのよ。


ジュリアナ:心配しないで。私のことは神様が引き受けてくださるから。


ミシェル:もし病院へ行けば、具合が良くなってまた家に帰って、私たちともっと時間を過ごせるかもしれない。あなたがそれを理解していることを確認したいの。病院を選べば、それでママやパパと過ごす時間を延ばせるかもしれないのよ。


ジュリアナ:理解しているわ。


ミシェル:(泣きながら)ごめんなさい、ジュリアナ。ママが泣くのはきらいだよね。ただ、あなたと会えなくなるのはとても寂しくて。


ジュリアナ:大丈夫。神様が引き受けてくださるから。神様は私の心の中にいる。






ジュリアナさんは最後の1年半をホスピスで過ごした。




大好きなプリンセスのドレスを着たり、手の込んだ物語やゲームを作ったり、ボランティア活動に訪れる人たちと工作を楽しんだり、足の爪にペディキュアを塗ってもらったりして過ごした。



ミシェルさんからCNNに届いたメッセージによると、別れはあっけなくやってきた。



「病状が急変して、呼吸を維持させる戦いがまた始まった」
「今回は回復してくれなかった。どんどん悪くなるばかりで、24時間余りのうちに逝ってしまった」

という。




「ホスピスが全面的にサポートしてくれて、居心地を良くしてあげるのに必要な物は全てそろっていた。ジュリアナは自宅で、自分のプリンセス・ルームで、私の腕に抱かれて息を引き取った。本人にとってそれ以外に望む形があったのでしょうか」





ジュリアナさんの話は何百万人もの人々の心に響いた。


CNNの番組に続いて、米誌ピープルもジュリアナさんをシリーズで取り上げた。韓国人のミシェルさんの縁で、韓国放送公社(KBS)が自宅へ取材に訪れ、クリスマスのドキュメンタリー番組で一家を紹介した。



読者や視聴者の多くは一家の決断を支持したが、神経疾患を抱える一部の患者はこれに異を唱え、フェイスブック上で「親愛なるジュリアナ」と題したキャンペーンを展開した。




ミシェルさんはブログに、「悪者以外のみんな」を愛し、「明るい光」だったジュリアナさんを、世界の記憶にとどめてほしいと書いた。



「娘のことをどうか忘れないで。彼女が生きていたこと、実在したこと、大事な存在だったこと」



「ジュリアナはいつも忙しく頭を働かせていた。私たちを果てのない美しい場所へ連れていってくれた。私たちが一番生き生きと、すてきな自分でいられるように力づけてくれました」



そして最後に、医療の介入を受けずに死を迎えるという願いをかなえたのだ。



「ここへたどり着くまでに、ジュリアナは精一杯戦った。この世で生きるにはあまりにも弱々しい体を抱えて、私が今まで見たどんな人よりも立派に戦った。彼女はとても勇敢でした。あれほどまで勇敢にならざるを得なかったことが、私にはつらかった」

と、ミシェルさんは書いている。


「彼女はきょう、自由の身となった。私たちのかわいいジュリアナは、ついに自由になったのです」


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2016年06月28日

「死ぬ」ってなに?『あの世へ逝く力』(小林玖仁男/幻冬舎)





『あの世へ逝く力』(小林玖仁男/幻冬舎)


小林玖仁男(こばやし くにお)
1954年生まれ。埼玉県北浦和の有名会席料理屋「二木屋」の主人。薪能の開催でも知られる同店は、祖父(小林英三/政治家・元厚生大臣)が所有していた屋敷で国登録有形文化財。その古い由緒ある日本家屋で、料理のみならず、和食文化を歳時の室礼にして見せるなど和の継承に努めている。店主の顔以外に、著述家として活動、絵や書もたしなむ。郷土玩具研究家、雛人形研究家でもあり、東京・目黒雅叙園の「百段雛まつり」のプロデュースをはじめ、雛による全国の町おこしにも尽力。




「ある日病が発見され、突然、余命宣告を受けました」




この書きだしで始まる本書。

気の毒に。

そんな他人事のように考えてしまうのは、

あまりにも現実感が乏しいからだろう。



「あと長くて2年ですよ」
そう宣告されたところをいくら想像してもピンとこないのは、
わたしだけじゃないだろう。




おそらく、著者も同感だったはずだ。

晴天のヘキレキ。

アタマに雷が落ちた心境か。


本書でも紹介されている
エリザベス・キューブラー=ロスの
『死ぬ瞬間』によると、
余命宣告を受けた人間は次の5つの過程を経るという。
すなわち。
• 否認・隔離
自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
• 怒り
なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
• 取引
なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
• 抑うつ
なにもできなくなる段階である。
• 受容
最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。



わたしは第一段階から抜け出せずにそのままお迎えがくるんじゃないかと
思うほど、「死」への恐怖は人一倍強いが、

著者は強い精神力でしっかり「受容」段階にまで到達している。




死の宣告を受けた人間の「本音」をまとめた、
非常に希少なこの本。

とにかく一読して、思わず小林氏に「感謝」した。

いつか必ず直面する「死」の前に本書に出会えたことに。


そして、
「死ぬのも悪くないかも」
と初めて「死」を肯定できたことに。


著者もこう書いている。
「私は一足先に逝きますが、死の宣告以来書き綴っていた、自分の心の対話や葛藤や本音を洗いざらいまとめて、あとに続く人々に遺します」



おそらくほぼみんなが「知りたい」「教えてほしい」ことを
著者は実感としてわかっていたのだろう。









「間質性肺炎」
著者の病名である。


「肺壁が壊れていき、呼吸をするのが困難になっていく病。助かる見込みのない進行性の難病。早ければ二年半ほどで死に至ると知りました」



「『終活ブーム』だといわれます」
「しかし、死の宣告を受けた私は死ぬということに対する覚悟をつくるほうが先決でした」




これは、ほぼ万人に共通することではないだろうか。

「終活」といわれて、
じつはいまひとつ身が入らないのは、

やはり「死」がまだ「遠い」からなのだろう。



小林氏はなげく。

「終活本は多くみかけるのに、『死の恐怖ジタバタ解消ノウハウブック』は見当たらない」



「手がかりのない真っ暗闇に放り込まれ、頭の中は大混乱。はじめのうちは本当に苦しくてジタバタしました」


「作家の曽野綾子さんは、『義務教育で「死」を説かないのは日本の大人な教育者の怠慢だ』と主張されているが、わたしも同感」


そして、

「限られた時間をどう有意義にすごすか、そのことのみに神経を集中していきました」


ある意味、この心境に到達できれば、
だいぶ気分的には楽なのかもしれない。

とはいえ、もちろん不安はそう簡単に払拭できるものではないようだ。




「心が突然おぼれ、早く岸辺に泳ぎつかないと溺死しそうな恐怖の中にいました。」
「経験したことのない葛藤や、叫びたいような絶望が押し寄せてきました」



「なんとかこの死に正当性をこしらえようとします。死が確定してもなお、自分を優位に保とうとしている心に気づいて呆然としました」






ある程度、「死」を受け入れたあと、
ひとはどうなるのか。



「『生きる』でガンに冒された志村喬演じる市民課長が最後に公園を作ったように、人は最後に自分が納得した成果物がきっと欲しくなります」






「死の宣告から五日目で、私は心に決めました」
「『藁にもすがってみよう』『泣き叫び、あがいてみよう』」



まず小林氏が取った行動は、「神頼み」。
しかし、この行動は、意外にも?効果があったようだ。



「不安の蓋を吹き飛ばすことにした今、『神頼み』から逆襲を始めると決め、『鹿島神宮』へ」


「死ぬ前に着たかった鹿島神宮は、死ぬために着たかった鹿島神宮になりました。」
「『神にすがる』『神前で祈る』という行為は、心がとても落ち着きます。本当に着て良かった…」


鹿島神宮でおみくじを引くのだが。


「生まれて初めて『凶』を引いた。ここ一番で、ウソ偽りのない『凶』が出て、とてもすっきりしました」


「死の宣告を受けても、ひとは『もしかしたら』と一縷の望みを捨てきれない。だから苦しいのです。神前でその欲望をこそぎ落としてもらえたようで、気持ちが浄化された思いでした」



「神頼み」の次は占い師のもとへ。


「このような難病になったのは自分の運命なのだろうか。それが知りたくて信頼のおける親しい占い師を訪ねました」





自分自身と(そして抗えない運命)の葛藤の末、
小林氏はある境地に近づく。




「死とは『前人未踏の道』ではなく、『全員未踏の道』。到達したひとは帰ってこないので、どうやって到達するかわらかない道。私はこの一発勝負の『未踏の道』を切り開こうとしています」




「不思議なことに、こうした死への準備を楽しみにしている自分もいます」



「生きてりゃいいってもんじゃない。適正寿命というものがあるのだと、長生き派から外れて気が付きました」





さて、「死」を「受容」できてきたら、いよいよ「死ぬ」準備。

「要らないものは断つ。使わないものは捨てるか、ひとにあげるか。モノへの執着からサッパリ離れる。こういう発想が必要です。」


「あの世へはなにももっていけません。もらってもらわないと遺品はほとんどゴミになります」
「ゴミを出すたび、生への未練も捨てられました」




おもちゃのコレクターとしても有名な小林氏。
命の次に大切なコレクションを手放したときは断腸の思いだっただろうが、

その一方で「モノ」への執着もなくなり、だいぶ気が楽になったようだ。






いざ、自分が「死」と直面して、
小林氏は社会における「死」のとらえ方に違和感を覚え始める。


「死が全部のひとに暗くて重くて悲しくて辛いわけではない」
なのに、

「人が死ぬと『ご不幸があった』という。死をすべて『不幸』とか『敗北』にしてしまう。この脳への刷り込みによって、社会中みんな間違った方向を向いてしまっています。
「生まれ落ちた全員が死ぬのに、その全員が、最後は負け戦?」



確かに「死んだら不幸だ」といわれること自体、
なにか決定的に間違っている気がする。




卵巣がんで亡くなった女優の賀原夏子。
「初めて死ぬのに、この経験が訳者として活かせないのが悔しい。
死ぬって初めてで、どういうことだか楽しみでしょうがない。でもそれを言うと不謹慎だからね。黙っているのよ」







「死んだ」あとも楽しみがないわけじゃない。


「母も、父も、祖父母も、早くに逝った友人たちもみんないます。この世の人は、少しだけ待っていればやがてどんどん来ます。三十年も経てば、だいたいあの世にそろうでしょう」






そして、平均寿命より早く逝くことも悪くないと。



「早死にだと多くの人がその死を惜しみ、故人を心に留めてくれますから、やや早めに逝くことが、考えようによっては得なことで、ありがたいことだと思います」







「死は人生の大事な、たった一回だけのゴールです。もっと前向きに考えないといけない」



「いい人生だった」と褒めてもらいたい。
「これからはゆっくりして」とねぎらってもらいたい。
「あの世の誰々に伝えて」と伝言を託されてもいい。







「私のラストテーマは、『死を、積極的に、明るく迎える』こと」




「出棺時は盛大な拍手で見送ってもらいたい。死は不幸ではないからです」


「『死の準備教育』では、『最後の時間の使い方』を最優先に教えるべきではないか。
私は、
思い出の写真が入った愛用のデジカメを眺める
まだ読んでいない『徳川家康』全26巻を読破する
ずっとモーツァルトを聞いていたい。そのために高級ヘッドホンを買っておくつもり。
モーツァルトを聞きながら、夢の中なのか、あの世なのかわからない瞑想に浸りたい





「登りたい山を決める。これで人生の半分決まる」
孫正義。
私は、
「山の降り方を決める。これで人生後半の半分が決まる」





つまり、「死ぬ」ことから逃れられないのなら、
しっかり腹をくくって、
むしろ、最終ゴールの「イベント」として楽しめ、


ということ。



いざ、余命を宣告されて自分がこうした境地に辿り着けるかどうかはわからないが、
少なくとも暗闇を明かる照らしてくれる
誘導灯にはなったことは間違いない。


ぜひみなさんも「死ぬ前」に一読されることを強くおすすめします!


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2016年05月30日

人間の魂の重さは21g!?

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人間は死んだらどうなる?




「魂が抜けて、残った肉体は自然に帰る。」

という前提なら、抜けた魂の重さだけ、肉体の体重は減るはずだ。


理論的にはそうだが、そもそも「魂」の存在を認めるのかどうか、
云々かんぬんの議論はさておき、

大真面目に、前述の魂の重さを量る実験をした科学者がいた。





※以下『カラパイア』記事より。
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52218364.html


1907年、アメリカのマサチューセッツ州の医者、ダンカン・マクドゥーガル医師がそのひと。



ダンカン医師は人間の魂はあると信じ、

塊ゆえに重さもあるという考えにとりつかれていた。



当時としては精度の高い秤をベッドにくくりつけ、

実験に協力してくれると約束した末期患者をそのベッドの上に寝かせ、彼らが死ぬを待った。





マクドゥーガル医師の実験は当時としては正確性を極めた。


彼は各患者がベッドにいた合計時間、

死亡した時刻を正確に記録した。

そして、死が近づく瞬間の微細なる体重の変化も記録し続けたのだ。




体液や汗や尿や酸素や窒素もその計算に入れていたという。

その結果彼が出した結論は





人間の魂の重さは21g(4分の3オンス)





となった。



現代の科学では到底受け入れられないような実験だが、

彼の考え方や結果はある意味において、今でも支持されている。




魂の重さをめぐっての激しい議論

マクドゥーガル医師が行った研究は1907年3月の『ニューヨークタイムズ』に掲載された。

掲載された記事をみて内科医のオーガスタスPクラーク氏が激しく反論し、

2人の間で議論が続いた。


オーガスタス医師はマクドゥーガル医師のお粗末な軽量方法を紙面上で大いに馬鹿にした。


オーガスタス医師は、人間は死ぬ瞬間に肺が停止し血液を冷やすことができなくなり、

体の温度がわずかだが上がるため肌から汗をかく、

という事実をつきつけ、その汗こそがマクドゥーガル医師の主張する「失われた21グラム」だと述べたのだ。





また、マクドゥーガル医師は数匹の犬に対しても同様の実験を行ったが、

犬の場合体重の変化はなく、

人間の場合だけ21グラム失われたと結論付けていた。




それに対し、オーガスタス医師は、

犬にはそのような機能がないため犬で実験しても体重の変化が見られないのは当然だと述べた。



マクドゥーガル医師も黙っておらず、

血液の循環は死ぬ瞬間に止まるのであって、体温の上昇で肌が温まることはないと反論した。


こうして彼らの議論は1907年の終わりまで続いた。


そして議論が進むにつれ、科学者や一般市民もマクドゥーガル派とオーガスタス派に分かれていった。





一旦は白熱した議論もその後の4年間はマクドゥーガル医師がおとなしくなり、

終焉を迎えたように見えた。



しかし、

マクドゥーガル医師は1911年に『ニューヨークタイムズ』のフロントページを飾り、

「今回は人間の魂を測ることはせず、魂が体から抜ける瞬間を写真に収めることに成功した」

と主張した。




死んだ時の魂の物質は、写真に収めようとすると少し興奮状態になる可能性があると懸念を表明した上で

マクドゥーガル医師は魂が抜け出た写真を公表した。



そして魂は
「星間エーテル(宇宙空間に存在し光を伝える働きをすると考えられていた化学物)に似ている光」
と説明している。

その光は死ぬ瞬間に患者の頭蓋骨周辺に現れるというのだ。




マクドゥーガル医師は彼の熱烈なサポーターたちを残したまま、

1920年に自身が星間エーテルとなって亡くなってしまった。

やがてマクドゥーガル医師の実験は話題にならなくなっていった。


しかし、完全に忘れ去られたということではない。






奇異の遺産

ビクトリア時代から現代まで、

マクドゥーガル医師の実験は数年ごとに大衆文化で注目を浴びるようになった。

「魂の重さが21グラム」という考えは小説や音楽や映画などにも使われることもある。

映画『21グラム』のタイトルは、

マクドゥーガル医師の説を元にして出来た。

ベストセラーとなった『ダ・ヴィンチ・コード』の作家であるダン・ブラウンはマクドゥーガル医師の実験の詳細を『ロスト・シンボル』で書いている。





機能的神経イメージングはすべての機能と結びついている、
そして脳の構造や分野などとも
物理学は亜原子粒子とのつながりを作った。

なので、霊的・超自然的な力の余地は残っていない。



そして...

魂の計量という考えは現在の私たちに根付いている。

その考え方はロマンチックだでストーリー性に満ちている。

1907年にマクドゥーガル医師の読者の心を捉えた、死という未知の事柄に対する私たちの深い憧れと恐れ、は現代に生きる私たちも虜にする。






別の種の不気味さ

マクドゥーガル医師が魂の重さを量ろうとしたきっかけは何であろうか?

そしてなぜ彼はそれが可能だと思ったのだろうか?

それを理解するには彼の環境を理解することが役に立つ。


彼の仕事は、心理学者フロイトやユングの考えに大きく影響されていた。

MRIやDNAがまだ存在していなかった世界で、意識や人生などを意味する“精神機能”や“生命原理”などが多く語られていた社会だった。



科学が進歩した現代でも、

私たちには分からないことがたくさんある。

正直な科学者ならそれを認めるだろう。


量子粒子などは私たちを困惑させるばかりだ。



脳の働きを完璧に理解するのはまだまだ遠い道のりだ。


宇宙の80パーセントを占める未知の物質、

暗黒物質(ダークマター)についての調査や研究はまだまだ続いているが、

これまでにたった1つの原子もその中から見つかっていないし、

正確にどこにあるのかも分かっていない。



ダークマターの懸念がある一方でまだ魂を探している人たちもいる。


やがて量子粒子だということが分かるだろう、と言う人もいれば、

脳が生みだす電磁波だと主張する人もいる。



ほとんどの科学者が両者の説を否定しているが。


しかし、彼らのような研究者や理論家はいつの日か魂の計量に成功するという望みを捨ててはいない。



実際マクドゥーガル医師の研究は共感を得ているのだ。


そしてこれからも共感を得続けるだろう。

それは彼が発見したこと(もしくは発見できなかったこと)が理由ではなく、彼が示したことが重要だったからだ。


シンプルすぎる彼の考え方が魅力的だったのだろう。

ニューヨークタイムズ上での討論を追っていた多くの人たちにとっても、魂を量るという考え方こそがマクドゥーガル医師の研究が討論されるに値すると感じたはずだ。



しかし1907年では、現代のように現実的なことやテスト可能なこと、

証明できることが超心理学を押さえつけていた。



なぜ光子は粒子や波の性質を両方持つことができるのに、

どちらでもないのか?



なぜ我々の銀河にはこれほど多くの惑星があるのに、

生命体が暮らせる星はわずかしかないかの?




この宇宙は実際に解けない謎で溢れている。そして答えはどこかで眠っているのかもしれない。




一連の実験を作り上げるのに死人の魂は必要ない。



計測可能で、物理的宇宙の方が遥かに不気味なのだから。












われわれ人間、そして目に見えるすべての物質を生み出してきた、
そしてこれからも生み出し続ける母なる宇宙のしくみを
じつはわれわれはほとんど理解できていない。

にもかかわらず、「魂はある」「いやそんなもの存在しない」と
大声で議論できる「人間」は、ある意味傲慢といわれても仕方ない。

どうせ数百年、数千年、いや未来永劫わからないかもしれない
「魂」の存在を信じ(もちろん、魂に変わる何かでもいい)、
21グラムの重さがあると考えたほうが、
なんとなくいろんなことがうまくいきそうな気がする、
のは管理人だけだろうか。


さて、みなさんは、どう思われますか?


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2016年05月29日

5月29日「ちびまる子ちゃん」お姉ちゃん声優ラスト放映

5月17日、乳がんのため51歳という若さで亡くなった
声優の水谷優子さん。



本日、5月29日放映の「ちびまる子ちゃん」のお姉ちゃん*が最後の収録となった。


人気アニメ「ちびまる子ちゃん」で90年の放送開始からお姉ちゃん(さくらさきこ)役を務めるなど、多くのアニメや映画の吹き替えで活躍した。

ほかの出演にアニメ「ブラック・ジャック」(ピノコ役)、

映画「めぐり逢えたら」(メグ・ライアン役)など。
本名は西久保 優子さん。


『女性自身』に、アニメーション監督で夫の西久保瑞穂さん(63)のインタビュー記事が掲載されたので、ご紹介したい。




「彼女はずっと『病気のことはあまり人には言わないでね』と言っていました。親族に打ち明けたのも、本当に最近のことだったんですよ」



水谷さんは’90年からずっとアニメ『ちびまる子ちゃん』で“お姉ちゃん”・さくらさきこの声優を務めてきた。



水谷さんは’85年に声優デビュー。’88年に『エースをねらえ!2』の岡ひろみ役で、初めて主演に抜擢された。

「めいっぱい叫びながらテニスをする主人公に入り込みすぎて、優子は喉を枯らしちゃったんです。その仕事の直後に入っていたのが、僕が手がけていた『天空戦記シュラト』の収録でした。声を枯らした声優に来られても困るのですけどね(笑)。彼女はそんな一途な性格でした」(西久保さん、以下同)



2人が結婚したのは’94年11月19日。西久保さんが41歳、水谷さんが30歳のときだった。


声優歴31年の水谷さんは、数多くの役を演じてきた。


「『ブラックジャック』のピノコも長いし、他に長くやっているキャラがいくつかあります。長く演じた役にはどれにも愛着を持っていましたが、『ちびまる子ちゃん』のお姉ちゃんは、いちばん自分の地声にも近いし、キャラクター的にも演じやすかったようです。自分のなかの厳しい部分を、わざと出して演じていたのでしょう」


この数年は人知れず乳がんと闘ってきた水谷さん。

最近では、めまいなどにも苦しめられていたという。



「僕も時間があるときは彼女を現場に連れて行っていました。車から降りた彼女を、今度はマネージャーさんが、スタジオに連れていってくれていたんです。それまでよろけていた彼女が、スタジオに入るとシャキッとなって。仕事なので無理して頑張っていたのでしょうが、その後に体調を崩すことも増えてきました」



水谷さんが『ちびまる子ちゃん』の最後の収録に挑んだのは4月22日のこと。その日も現場へは西久保さんが送っていった。

「吐き気もあったので、洗面器を持って移動していました。ほかならぬ本人の意志でしたし、私も応援していましたが、現場のスタッフの皆さんも、いろいろフォローしてくれていたようです。かなりつらかったようですが、彼女も『できた』と言って、戻ってきました。その日の収録では、お姉ちゃんがクローズアップされるエピソードもあり、セリフも多かったから、本人も喜んでいたと思います。でもまさか、あの日がちびまる子の最後の収録になるとは、彼女も私も思っていませんでした」 



水谷さんの体調が急激に悪化したのは、その1週間後だったという。

「病室に台本などを持ち込んでいて、本人としては仕事を続けるつもりだったんですね。でも、さすがに体調がかなり悪くて、そこまではできませんでしたが……。特に彼女も意識していなかったようですが、『仕事に行きたい』が最期の言葉になってしまいました。入院期間は2週間ちょっとでした。まぁ逆に言うと、亡くなる2週間前まで仕事をしていたわけですからね。僕なんかより全速力で突っ走って……、本人としては満足しているのではないでしょうか」


水谷さんが喜んでいたという“お姉ちゃんのセリフが多いエピソード”は、5月29日に放映される予定だ。


「優子が毎回録画はしているのですが……。最後の放送は、できればリアルタイムで見てあげたいと思っています」







大好きだった声優の仕事を、
命が尽きる瞬間まで携われたのは、幸せだったのかもしれない。


水谷優子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。






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2016年05月26日

「囲碁を打ち、次の日に死にたい――」

死ぬ直前になにがしたいか。



よく耳にする質問だが、

「うーん、なんだろう」

なかなか簡単には答えられない。



もし、即答できるひとがいたらうらやましい話だし、
そしてもし、そのまま「実行」できたら、
それこそ、悔いなく人生を終われるだろう。






末期がんのあるアマチュアの囲碁の棋士が、

「囲碁を打ち、次の日に死にたい――」という願い通り、

アマチュア名人戦に出場し、

そしてその翌日、息を引き取ったという記事が、

朝日新聞に掲載された。



ここで記事をご紹介したい。








〈朝日新聞デジタル 5月24日(火)〉


囲碁を打ち、次の日に死にたい――。

そんな執念から、末期がんを押して15日の

朝日アマチュア囲碁名人戦群馬県大会予選に出場した長谷川義則さん(66)
=群馬県高崎市吉井町吉井川=

が、翌16日に亡くなった。


高崎市内で19日にあった告別式では、

「囲碁は人生の全て」と語っていた長谷川さんを多くの仲間がしのんだ。




告別式には遺族や親族、長谷川さんが18歳から所属していた

市内の囲碁クラブの仲間ら計約70人が参列した。


式場前には長谷川さんが獲得した数々のトロフィーや盾が並び、

戒名には囲碁にちなんだ「定石」の文字が入れられた。





姉の湯浅通代さん(69)によると、

長谷川さんは3年半前に胃がんが見つかり、

昨年3月には医師から「余命1年半」の宣告を受けた。

今年2月からは体調が急激に悪化していた。



大会当日は、それまで服用していなかった痛み止めを飲んで、

はうようにして車に乗り込み会場へ。

4局とも勝ち、22日にある決勝大会に駒を進めていたが、

体力は限界に近づいていたようだ。

通代さんも「最後の気力を振り絞ったんでしょうね」と振り返る。





対局を終えた15日夜、

長谷川さんはこれまで見せたことのない優しい顔で

「もう、疲れたね」

とつぶやいたという。


通代さんは「私にも疲れさせたね、と言っているようで……。

本当に囲碁が人生の全てだったんですね」と涙ぐんだ。




告別式には、長谷川さんが「俺の後継者だ」と将来を期待していた

高崎市の永峯将法さん(23)も参列した。


長谷川さんから

「その手は欲が出ている」「人間性を高めなければ碁も強くならない」

と教わったという。

遺族から故人の帽子を遺品として受け取った永峯さんは

「長谷川さんの代わりになれるぐらい、強くなりたい」と決意を語り、

目を赤くした。







おそらく、
長谷川氏の周囲も、「最後の願い」を叶えてあげるべく、
いろいろ奮闘したのであろう。


みんなに支えられ、大好きな囲碁をさす夢を見ながら
人生を閉じた長谷川氏が、
素直にうらやましい。



がんを患い、想定していたであろう寿命よりは
短かったかもしれないが、

終わりよければすべてよし、

心おきなく終幕できたのではないだろうか。



長谷川氏のご冥福をお祈りいたします。


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2016年05月07日

肺ガン特効薬がもたらす意外な問題って?

「オプジーボ」という薬をご存じだろうか。


「夢の薬」と呼ばれている肺ガンの特効薬のことだ。


販売元は小野薬品工業。

2014年に皮膚ガンの治療薬として保険適用が認可されたのに続き、

昨年12月には「肺ガン」への適用も認可された。





【オプジーボ】
人が本来持つ免疫力を利用してがんを攻撃し退治する免疫チェックポイント阻害剤。一般名称は「ニボルマブ」。病原体を攻撃するキラーT細胞という免疫細胞ががん細胞から発せられる「攻撃の必要はない」という偽信号に惑わされず、がん細胞を攻撃することを助ける。従来のがん治療法であった局所療法(手術や放射線治療)や抗がん剤での治療とは異なった仕組みのがん治療アプローチであり、画期的とされる。日本での販売元は小野薬品工業株式会社。同薬は2014年7月、皮膚ガンの治療薬として日本での保険適用が認可されたが、15年12月には肺がんにも適用が認可されている。

※コトバンク
https://kotobank.jp/








肺ガンといえば、
まさに国民病。患者数は日本で14万人もいて大腸ガンに次いで2位。


そしてガンの死亡率では、断トツ1位の、やっかいがガンである。


その「肺ガン」に効き、さらに保険も適用されるというんだから、
注目されて当たり前だろう。




と、ここまでは日進月歩の製薬開発者の勝利であり、
たいへん喜ばしい話である。


肺ガンに罹患されてる患者さんにとってはまさに
朗報であろう。




さて、問題はここからだ。
この「夢の薬」は、非常に高価なのである。

肺ガン患者が使うと年間3500万円!




日本では「高額療養費制度」があるから、患者が全額負担することはなく、
平均年収なら月額8万円以上かかった場合は、国が負担してくれる。


国が払ってくれるんだから、どんどん使えばいい、
と思ってしまうが、

もし、肺ガン患者がこぞってこの高価な薬を使えば、
たちまち国の医療制度は崩壊する。






『週刊新潮』ゴールデンウィーク合併号で、このことについて
特集が組まれていた。

『医学の勝利が国家を亡ぼす 第1回
対談 里見清一VS.曽野綾子 「夢の薬」をみんなで使えば国が持たない』



日本赤十字社医療センター化学療法科部長の里見清一氏と、
作家の曽野綾子氏が、



医療費の高額化、
超高齢化社会の中での「死ねない不幸」など、
オプチーボがもたらす弊害について語っている。






この記事を読んでふと思ったのだが、
人間には超えてはいけない「神の領域」があるのではないかと。

以前からよく議論されている話ではあるが、
つくづくそのことを実感した。


遺伝子操作やクローン技術のめまぐるしい進化は、
「不治の病」を「治」し、

寿命をどんどん延ばし、

結果的になかなか「死ねない」ニンゲンを作り上げている。



果たしてそれが本当に幸せなのか。

曽野氏はいう。
「人間の救いは死ねること。永遠に死ねないという刑罰があったら最高刑」



そういえば、
『パイレーツオブカリビアン』に登場する海賊で、
「死ねない」体になって海をさまよっていたバルボッサが

最後にスパロウに撃たれて「ようやく」死ねるシーンが
印象的だったのを思い出した


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2016年05月05日

上海の「死亡体験館」に予約殺到!

上海の「死亡体験館」に予約殺到!
熱風と炎の映像で“火葬”→胎内を通って再び“誕生”する3時間の旅


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日本では、
葬儀社や終活イベントなどで、疑似的に棺桶に入る「入棺体験」コーナーが設けられたりしてたびたび話題になるが、


お隣の中国は上海で、なんと「火葬体験」ができる施設がオープン、
大反響を呼んでいるとか。
さらにこの施設、「火葬」のあとに「誕生」も疑似体験できるというのだが。

いったい、どういうこと?





なんとも「恐ろしい」施設を作ったのは、
中国で9万人近い死者と行方不明者を出した8年前の四川大地震で被災地ボランティアを経験した男性ら。



初対面の12人が家族の死や自分の悩みなど身近な問題について、

さまざまな角度から議論。

その上で“火葬場”に運ばれ、炎の映像と全身を包む熱風や、

激しい音で“火葬”を体験。

さらに母親の胎内を模したトンネルを通って、

再び“誕生”する3時間の旅。



(おそらく、もといまず間違いなく)世界初のシミュレーション施設の名称はは

「4D死亡体験館『醒来』」。

入場料は1人444元(約7500円)。参加枠は1日24人まで。

20〜30代の中国の若者を中心に問い合わせが相次ぎ、

すでに6月分まで満席でキャンセル待ちとなっているらしい。



産経新聞の記事によると、

議論の過程や“火葬”の最中に泣き叫んだり気を失いかけたりする参加者もいるという。

“火葬”を体験した10代後半の中国人男性は、

「高校を中退して人生に悩んでいたが、生きる力をもらった」とか。


棺桶に入る疑似体験くらいじゃ、「死」は実感できない、ということ?





四川大震災で被災地ボランティアを行った

運営責任者の1人黄衛平氏(46)は、

かつてビジネスで成功したが麻薬に溺れ、死のふちをさまよった経験をもつ。



そのころに起きた震災の現場に入った黄氏は、

家族を亡くした人たちへの支援などを行ううちに

「死生観」が変化した。


その後、上海のホスピスで働き、

意気投合した丁鋭氏(43)らと生命教育に関する非営利団体を設立。

「死を通じて生命の大切さを実感する」ための施設を思いついたという。



「死」を実感することで、今をより生き生きと生きることができる、
これはまさに「終活」の最大の目的であるし、

そのこと自体は、なんの異論もない。

しかし…。




4年前から約400万元を投じて準備し、

開設にこぎ着けた黄氏らは「死亡体験館」で今後、

医療関係者や警察・消防、葬儀業界関係者など、

「死」が身近な職業の人たちへの心理ケアも行っていく考えだ。


という。




「焼かれて」消滅してはい終わり、では、あまりにも絶望的で、
まさに夢も希望もない。

火葬体験のあとに、

『母親の胎内を模したトンネルを通って』

またこの世に『誕生』することが、

受け入ている理由ではないか。


まさに仏教の『輪廻転生』を体感できるわけだ。





そうした宗教的背景がこの施設の人気の秘密、ということかも。




とはいえ、

「火葬」の疑似体験は、

必ずトラウマになる自信がある、

のはわたしだけ?


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2016年05月03日

「死ぬ」ってなに?『中居正広の終活って何なの!?〜僕はこうして死にたい〜2016』

フジテレビ土曜プレミアム4月30日放送
『中居正広の終活って何なの!?〜僕はこうして死にたい〜2016』



昨年2月に放送され、大きな反響を得た『中居正広の終活って何なの!?〜僕はこうして死にたい〜』が1年ぶりに放送された。


当ブログのテーマのひとつである
「死」の迎え方。


「タブー」ともいえるこのテーマの番組を、
ゴールデンウィークのゴールデンタイムに放送されたことに、
わたしは、少なからず衝撃を受けたのだが、

それだけ「死」をとりまく環境に変化が表れてきているということなのだろう。




司会は、1年前の第1回目の収録当日が父親の通夜だったという中居正広。


ゲストは、
綾小路きみまろ、岡江久美子、加藤諒、坂上忍、鈴木奈々、冨士眞奈美。



番組のコンセプトは、
@ 死をイメージしているか

A 誰に何を伝えておくか

B 誰に何を遺しておくか

C どんな葬儀にしたいか

D どこで逝きたいか



番組は、
中居が父の「最期」を看取ったときの実体験を語りながら、

ゲストの体験や「死」に対する考え、

「死」の迎え方などについて語り合い、

最終的に、それぞれの理想的な「終活」を探っていくというもの。




個々人が「死」をどうとらえているか、
という根源的な問題が絡んできて、

万人が納得する「答え」をさくっと提示するバラエティ番組とは違い、
テーマとしては深く重い分だけ、
番組の構成進行は難しかったのではないだろうか。




まず紹介された、実際にあった「終活」の形。

『漁師の父が残した“命のノート”』

ある漁師の男性は、

余命を宣告され、妻や子供達のために日々の思いをノートに書き留める。

家族と残された時間を少しでも一緒にいたい、

しかし家族のためには漁に出続けなければならない、という

引き裂かれるような思いで男性が残した“命のノート”が紹介された。





次のテーマで取り上げられたのが、
『今話題の「親家片」(おやかた)を冨士眞奈美親子が体験』

親が元気な内に親の家の生前整理を行うことを意味する言葉だが、

実際に体験してみるといろいろなことが見えてくる、ということで

冨士眞奈美と娘のリズ親子が「親家片」を体験する。



ここで、
専門家からは、「そなえアルバム」を作るようにアドバイス。


親が遺したいもの、処分してもいいものを親といっしょに写真に撮り、
ひとことメモを書いてアルバム風に保管しておくというもの。

その作業の中で、親から子へ伝えたいことがあったり、
子どもは、親の貴重な話を聞けたりできるというメリットがある。



このときに、子どもが親に対して、
「どうせ使わないでしょ」
「もう捨てなさいよ」といった発言をするのは禁句だという。





あくまでも親の意見を尊重することが大切、とのこと。






さらに、子どもが「親から聞いておくべきこと」の実例が紹介された。

まず、「身分証関係」の保管場所。

「返納」したり、諸手続きで必要になる、とのこと。

●パスポート
●免許証
●健康保険証
●マイナンバー
●年金手帳



また、「相続関係」で必要なものは次の通り。

●銀行保険証
●キャッシュカード
●クレジットカード
●不動産の権利証
●戸籍の履歴


さらに、
●お葬式の希望
●宗派
●遺影の希望(古い写真でもなんでも本人の希望する写真でOK! とのこと)

なども事前に聞いておいたほうがいいという。



あと、不意な事後などで本人が身辺整理する余裕もなく亡くなることもあるが、
このときにのちのちトラブルの原因になりやすいのが、

●デジタル遺品

だという。

たとえば、「有料サイト」に入っていて、亡くなったあともずっと支払いが続くとか、



浮気現場の写った写真が出てきたり
「知りたくなかった事実」
が判明し、嘆き悲しむどころか、一生家族を苦しめることになったり、

家族が知らないうちに、株、FXなどに投資していて、多大な損失が判明したり。


こうしたトラブルを未然に防ぐためには、

「家族にアカウント、IDを知らせる」「
「写真をまとめておく」

ことが大切だという。

専門家曰く、

「故人にはプライバシーの侵害は存在しません」













次のテーマは、「どこで死にたいか」。

「自宅で死にたい」と希望するひとは多いのだが、
果たして、
『家族とともに自宅で最期を迎えることは可能なのか』


病院ではなく自宅で最期を迎えることは可能なのか。
在宅緩和ケア専門医の活動に密着した様子が紹介された。

近い将来病院のベッドが足りなくなり2025年には病院で死ねない時代がやってくると言われている中、

自宅で死を迎えるためにはどうしたらよいのか、

自宅で死を迎えるにあたっての意外な障壁などが取り上げられた。

もし自分が余命を宣告されたら、どこで死にたいか。
という街頭質問に、

「家族が大変だから病院で死にたい。」

と答えるひとが多かった。




そうした中で、ある末期がん患者の話が紹介された。

「末期がん患者でも病室は大部屋。人生の大半を仕事で気を使った生きてきたから、最後くらいは静かに過ごしたい」


まったくだろう。
「死」を目前にした患者の、切実な思いが伝わってきた。




ここで、ある在宅緩和ケア専門医の活動が紹介された。

医師はいう。
「緩和ケアとは、まず痛み・つらい症状を和らげること」

そして、
「じつはガンの最期は痛くない。ではなぜ痛がるのかというと、
死を目前にして、不安からくる恐怖。精神的なものから来る」
のだと。


医師の自宅訪問看護を受ける患者。
「死ぬ前に痛みでのたうちまわる、それが不安だったが、
それがないと先生にいわれて、本当にほっとしました」






死を受け入れ、準備する夫とその妻。

しかし、意外にも、粛々と毎日を過ごす夫を前に、
妻が追いつめられることがあると、医師はいう。



患者以上に「死」を負担に感じる家族。


患者と同様に、家族のケアも大切なのだ。





ある全盲の女性が自宅で夫を看取った。


「結婚する前に全盲になることがわかって、婚約を破棄してくれと頼んだ夫は、それでも結婚してくれた。その恩返しに自分が自宅で看取りたい」

医師や家族の助けもあり、女性は最後までしっかり夫を看病した。

「死ぬ最後の1カ月間があったから、わたしはこれから前向きの生きられる」(妻)






●どんな葬儀にしたいか。

このテーマに対して、
ゲストの加藤諒は、

「プロジェクトマッピング葬にしてほしい」




坂上忍は、
「みんなでさんざん自分の悪口いってほしい。もちろんいいところもあったっていう話もしてほしい」




岡江久美子は、
「卒業アルバム、両親のアルバムを棺にいれてほしい。
なぜって?
そんな写真を遺されたって、子どもたちは困っちゃうでしょ。
だからわたしがもっていく。
子どもたちには思い出だけあれがいい。」





最後に。
中居正広。

「学びがないと救われない。
(死ぬ)準備は少しずつしていく必要がある。」




みんな、「死生観」はそれぞれ違う。

ゲストたちの、意外な一面も見られて、興味深かった。



できればこうして明るい雰囲気のなかで、
家族と「死」について語り合えれば、
とつくづく思った。





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2016年04月16日

「死ぬ」ってなに?『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』(樋野興夫/幻冬舎)




「死ぬ」ってなに?『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』(樋野興夫/幻冬舎)


樋野興夫(ひの・おきお)
1954年、島根県生まれ。医学博士。順天堂大学医学部、病理・腫瘍学教授。がん哲学外来理事長。2008年「がん哲学外来」を開設し、がんで不安を抱えた患者と家族を対話を通して支援する予約制・無料の個人面談を行う。肝がん、腎がん研究の功績により日本癌学会奨励賞、高松宮妃癌研究基金学術賞を受賞。著書に『いい覚悟で生きる』。



がんになり、余命宣告を受けた患者の心情は、
察するに余りある。




筆舌につくしがたい不安に
押しつぶされそうになるのだろう。



そうした不安を和らげ、生きる希望をともに見出すことを目的として
設立されたのが、

「がん哲学外来」

である。





設立を提唱したのは「がん哲学外来」理事長、樋野興夫氏。



樋野氏は、臨床医ではなく、病理学者。


「『がん相談』の多くは、治療や社会保障制度等の情報提供に終始しているという印象を受けていた」
樋野氏。

「患者さんたちのニーズは、情報提供だけではありません。」
「患者さんたちが必要としているものは、いかにして生きるかという『生きる基軸』です。『生きる基軸』となる言葉を伝えるのが「がん哲学外来」です。




本書は、3000人以上のがん患者とその家族に相対してきた、
樋野氏の「言葉の処方箋」をまとめたものだ。




「死」を目の当たりにした患者の、切実な悩みを聞いてきただけあって、
ひとつひとつの「言葉の処方箋」がストレートに響いてくる。



がん患者でなくとも、
いま健康でなんの不安もないひとも、
いつか必ず「死ぬ」すべてのひとに読んでもらいたい。






がんを宣告されたらどうなるか。


「がんになると、約3割の方がうつ的な症状を呈します」

「うつ的な症状を解消するには、患者さんの思考そのものを前向きに変えてあげる必要があります。そのきっかけとなるのが『言葉の処方箋』」


もちろん、医療行為は大事だが、
末期がんであればなおのこと、治療よりももっと大事なことがある。

もしかすると、「言葉の処方箋」は、医学的治療よりも何倍も効果があるかもしれない。

少なくとも本人にとっては。








「うつ的症状を解消するためには、人類の最初にして最後の問いに向き合わないといけません。
『自分は何のために生まれてきたのか』」



この問いには、おそらく「死」に直面したすべての人間が向かい合うはずである。



では、その答えは。
これもまた、おそらく答えは出ないだろう。



ただ、樋野氏はいう。


「『自分の命よりも大切なものがある』と思ったほうが幸せな人生を送ることができる」

「『命がなにより大切』と考えてしまうと、死はネガティブなものになり、死におびえて生きることになる」



「いのち」は大切である。
しかし、そのいのちはいずれなくなる。

確実に。



命より大切なものがある、と考えることは、
目先を変える、死から目を遠ざける、ことでは決してない。




大きな、それこそ宇宙的視野でみたら、
(自分とはなにか、という問いには、そうした視野で考えざるを得ない)


自分は、なにかのために存在している。

自分はひとりでは決して存在しえない。

自分を生んだ人間と、その人間を生んだ人間と、

それをとりまく人間と、


おおきななにかを生み出すために、みんなで支えあって、生きていて、

それを連綿とつないできたし、これからも未来永劫、人類の営みが続く限り、
変わらない。





「自分以外のものに関心を向けてください。
そうして見つけた役割や使命を人生最後の瞬間までまっとうする。
つまり、明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげるのです」


ひとによって寿命はことなる。
中には生まれてすぐ亡くなる赤ちゃんもいる。

その赤ちゃんにも、しっかりと役割がある、と樋野氏はいう。

「人間には与えられた使命がある。たとえ、生後2時間で亡くなった赤ん坊でも変わりわない」




生まれて数時間で赤子を亡くした両親に10年後に会ったとき。

「『あの子が生まれてきたからいまの私たちがあります。
あの子の分も楽しく、素敵な人生を送りたい』




「役割は使命は、自分のことばかり考えているうちはなかなか見つかりません。むしろ自分以外のものに関心をもつと、自分のするべきことが見えてきます」



病理学者は亡くなったあとの人間(遺体)と接するのが仕事である。
「遺体から臓器を取り出し、おなかがからっぽになった様子をみて、『生きるとはどういうことか』と自問した」



そしてこう指摘する。
「自分にしかできない役割や使命感をもった人はみな暇そうに見えました」
「なんでもかんでも『自分が自分が』という生き方には品性が感じられない」


「私でなくてもできることは人にまかせて、私にしかできないことに専念します」


さらに、
「人生は一周遅れぐらいのほうがちょうどいい。ゆっくり走ると、ゆとりが生まれる」






末期がん患者に対して、樋野氏はこう語る。

「たとえ寝たきりであっても、あなたには十分に生きている価値がある。あなたの存在、優しい笑顔、思いやりのある言葉がお見舞いに来てくれた人たちを勇気づけたり、明るい気分にしたりしているのではないですか」



そして、病気になる前と比較しないようにすることも大切。
「病気になる前の自分を『最高の自分』と思い、いまの自分と比較しているのです」


「あのひとよりもお金があるから、あのひとよりも偉くなったから、あのひとよりも有名になったから、これらのことが死の前にどれほどの価値をもつのでしょうか」







樋野氏はいう。
「わたしたちの人生は最後の5年間をどう生きたかで決まります」

「60代になっても自分のことしか考えていなかったら恥と思え」



老人には老人の役割がある。

聖書から引用。
「若者はビジョン(幻)を見る。老人はドリーム(夢)を見る」

つまり、
「老人は、自分の人生では到底果しえないような大きな夢を思い描く」

と。


「全力をつくしたらあとは心の中でそっと心配するぐらいのほうがいい。なるようにしかならないから」


自分の使命。
それは家に閉じこもっていては見つからない。

「がんになったからと閉じこもっていては自分を見失ったまま。自分という存在は社会の中で見つけ出すもの。街へでましょう」



こんなアドバイスも。
「がん哲学外来にくる患者さんには『書くこと』をすすめています。日々のできごとを観察することで自分以外のことに関心が向くから」





末期がん患者の役割で忘れてはならいことが、ひとつ。
家族へのいたわりがそれだ。



末期がんの夫を最期まで献身的に看病した奥さんの話。
「『ただひとつだけ残念なことがあります。夫の口から『ありがとう』の一言が聞けなかったことです。
最後に『ありがとう』と言ってくれたら私はどんなに報われたことでしょう。そのことだけが心残りです』」



そして看病する家族には、

「がん哲学外来にくる患者さんは遠慮しない言葉を求めています。遠慮しない言葉のほうが、患者さんの心に確実にヒットします」

と指摘する。








「死」という見えない恐怖とどう向き合っていけばいいのか。
「死」を向き合っていかざるを得ない患者の家族はどう接すればいいのか。




本書には必ずそのヒントが書かれています。

ぜひご一読を。






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2016年02月06日

「死ぬ」ってなに?『ぼくがいま、死について思うこと』(椎名誠/新潮社)





『ぼくがいま、死について思うこと』(椎名誠/新潮社)



椎名誠(しいなまこと)
1944(昭和19)年、東京生れ。東京写真大学中退。流通業界誌編集長を経て、作家、エッセイスト。『さらば国分寺書店のオババ』でデビューし、その後『アド・バード』(日本SF大賞)『武装島田倉庫』『銀天公社の偽月』などのSF作品、『わしらは怪しい探検隊』シリーズなどの紀行エッセイ、『犬の系譜』(吉川英治文学新人賞)『哀愁の町に霧が降るのだ』『岳物語』『大きな約束』などの自伝的小説、『風のかなたのひみつ島』『全日本食えば食える図鑑』『海を見にいく』など旅と食の写真エッセイと著書多数。映画『白い馬』では、日本映画批評家大賞最優秀監督賞ほかを受賞している。




「若い頃は格闘技や登山をやっていたし、本にも書いたけど今でもスクワットや腕立て伏せは毎朝欠かしてない。

※腕立て伏せ100回、腹筋200回、ヒンズースクワット300回、または腕立て200回、腹筋200回、スクワット200回を15分程度かけて行うことを日課にしている

酒も三六五日、毎日、飲んでる」



そう豪語する椎名誠氏。


世界中を旅し、人生を謳歌している椎名氏も、気がつけば69歳に。



主治医である精神科医の中沢正夫先生に、
「椎名さんは自分がいつか死ぬ、病気になって生死の間をさまようなんてこと考えていないでしょ」
と、半ば叱責するような感じで言われたのが、
同書を書くきっかけだったという。









「健康で生きていくことに責任を持つ歳になったのだから」と妻。

「そういう思考が鬱陶しかったが、しかし妻のいうことが正しいのだろう。」




まず、椎名氏がこれまでに遭遇してきた「死」について語る。



「母の死については『衝撃的』な体験がある。『予知夢』を見たのだ」

「ぼくは赤ん坊みたいになった母を抱いていて、だめだよ、元気だしてよ、などといっている」
目が醒めてぼくは「母が死んだ!」と強烈にわかった。



「小学生のころから常に暴れて怪我ばかりして、母にとっては一番心配な子どもだったのだろう。ぼくのところに夢が飛んできたのはそのためかもしれない」



母の葬儀のあと火葬場の煙をみてこう思った。

「一時間あまりもすると母の体は焼き尽くされて消滅し、わずかな骨が残る。その段階になると『母の骨』は『母の残骸』であり、母の魂は、『冬の風』になってどこか遠くに流れていってしまったと考えるのが自然」
「そう考えると埋葬のときに少し気持ちが軽くなりそうな気がした」





そして、一番悲しかった死とは。

水中カメラマン岡田孝夫さんを見舞ったとき、そして彼の死だという。

「また一緒に海に潜ろう、また近いうちに見舞いにくるから、という言葉も空疎で実現性は薄かった。おそらく生きている岡田さんを見るのは最後だろう、とわかっていた。だから「さよなら」ともいえなかった。」






世界の辺境を旅したときに遭遇した強烈な死の記憶もある。


「ある国で案内人がバイクで先にいく。ある山奥にさしかかったとき、泣き叫ぶ母親の声が聞こえた。母親の腕には10歳くらいの子供の白い顔が見えた。もう死んでいるらしいと判断できた」


案内人のバイクに轢かれたのだ。



「少し前まで元気に生きていた「人間」が、僕に関係する「人間」によっていきなり「白い顔」になって死んでしまったことが、その後何年か脳裏を離れなかった。」
「その記憶が僕の心をいまだに苛んでいる」



「こういう体験を経たからか、年齢のいった親族の死を「幸せな消滅」として冷静に受け止められる精神的な余裕を得たように思う」






日本式の墓について。
椎名氏は独自の視点でとらえる。


知り合いの中央アジア生まれ、アメリカ先住民のもとで育った女性。
「日本人は墓参りで雑草をみんな抜いてしまい、切り花を供えますが、墓のまわりから生まれた『命』を無造作に抜き取り、『殺して』しまった切り花を供えるのはおかしい」


「外国人には、ひときわ異質な『くっきり』としすぎる固く冷たい印象を与え、自然の風景から断絶した『異物的存在』として見えるようだ。
とてもヘンテコな、この国ならではの『異質な風習、風景』ではないのだろうかと、思うようになった。






広い世界、死=死生観も日本とは相当違う、と指摘する。


「ぼくがチベットの死生観でとくに興味をもったのは、死者の痕跡を一切なくしてしまうというシキタリだった。
写真はもちろん、故人が書いた文字、衣類もあげたり捨てたりする。集合写真も故人の顔だけ切り抜いて無くしてしまう。
遺体はもちろん、生きていた痕跡のすべてをこの世から消滅させてしまうのだ。」


「鳥葬の基本理念は、ポアの儀式のあとのただの物体として残った人間の体を空腹の鳥などに食べさせてやることによる『ほどこし』である。」


チベットは土葬できる土地は限られ、火葬する木材が少ない。
鳥葬もそれなりの深い意味のある葬送方法なのだ、と椎名氏。






また、「モンゴルなどの遊牧社会における「子どもの死」は
「死を死として単純に認めない」という独特の死生観があるのを知った。
それは主に乳児の場合に強固である。」


「乳児が死んだ場合は、どんな地域でも必ず「野に置く」のだという。
ラオス山岳民族もそうだった。」




「風葬はアジア各地で行われているが、簡単に言えば「野ざらし=曝葬」に近い。
ミャンマーでは、埋葬というより『死者は捨てる』感覚に近い。死者に冷たいわけじゃなく、遺体から解放された魂の昇天が大切であって、遺体は『ほどこし』に近い。



日本でも、「葬る」は「ほふる「放る」からきたといわれている。





一方、インドのムンバイ付近に住むパールシー(ソロアスター教)は、遺体は最も汚れたもの、という考え方らしい。


「そのため燃やすと火や大気を汚すことになり、土葬にすると大地を汚し、水葬にすると水を汚すから、塔の上に置いて禿鷹に食べさせる。
これはチベットのそれとはまったく考えた方が違う。」







「遺体を舟に乗せる水葬は日本をはじめ世界中でおこなわれていた。
タクラマカン砂漠の「楼蘭」に探検に出かけたが、ここには巨大な湖があったといわれる。そこにも小舟に乗せられたミイラが発見されている。

あらゆる葬送のなかで、砂漠の太湖に星への使いのように死者を小舟で送る風景というのはなかなか素晴らしいように思えた。」






最後に椎名氏の死生観とは。


「ぼくはまだ、『自分がいつか必ず死ぬ』ことについて一度も真剣に考えたことがない。

そこで正直に書いていきたい。」




その前に近しい知人に質問。

「どうやって死にたいか。」
「葬式は? 墓は?」


○ヌーイストの野田智佑さん。
「“ハリツケ”(カヌー用語)で死にたい。好きな河に抱かれて死ぬようなものだから贅沢な死に方」


○精神科医で主治医。
「ガンで死にたい。あっちこっち不義理しているところに仁義をきってから死ねる」
「しかし、自死以外、死に方に選択権がない、という現実がある以上、計画は無駄。それが来たときに考える」
「ずっと、死に際の美学を追及してきたが、それもむなしくなり、いま、「私」ってなんだろう、と考える。



○親友の弁護士
「できればカッコよく死にたい。世の中のためになるような死に方。死んだら八丈島の海とピラミッドの中に散骨。ピラミッドが自分の墓になるなんていいじゃないか」



さて、本人は。


「海べりで潮風に吹かれながらたき火にあたり、最後の極冷えビールを飲みつつぼんやり死にたい。息をひきとったらそのまま浜辺に埋めてもらえれば最高である」

「ちなみにぼくは死後の世界を信じている。肉体が消滅してもその「力」はどこかに残るはず。」

「死ぬことは全然怖くない。逆にパスポートをもらって新しい世界に行けるわけだからちょっと楽しみ」

「葬式は簡単に。読経はいらない。演歌もしくはバッハをBGMに流してくれれば」

「92年にチベットで妻がぼくに書いた聖山カイラスのスケッチと3人の孫たちの小さな絵と一緒に焼かれたい。」









本書で印象的だったのが、椎名氏が若いときに遭遇した親友の「自死」。



「最後に、あえて書かなかったひとの死がある。
躊躇したのは自死だったからだ。
親友のひとりで、二十歳だった。


車を運転していて子どもを轢きかなりの怪我を負わせてしまった。
事故から10日もたたないうちに自宅で自死した。」



「彼の遺書ノートがすさまじかった。
詫びと悔恨が書かれ、やがて「死にたくない」という言葉がなんべんも書かれていた。
すさまじい『生』への執着、葛藤と苦悩がそこにつづられていた。

必ずしも『自死』を選ばなくてもよかったのではないか。
生涯を詫びにささげる思いで生き続ける道もあったのではないか。」






彼の「自死」から、話が尊厳死、孤独死へ。


「逆に年配者の『尊厳死』は自死の対極にある。

ゆるやかな、しかし確実なやすらぎへと向かって生の終止符をうつ『しめくくり』への選択が認められてもいいと思う。」



「同じく『孤独死』にも、みずから選んだ死、というケースがあるのではないか。

じわじわ生き続けることにあまりたいした意味を感じなくなる状態というものが訪れることもあるだろう。
そのときは自発的に、ゆったりとした自分たけの空間でゆるやかに自分で進んで生命を断っていく、という選択もあっていい。
それは決して『あわれ』ではなく、尊厳すべきもうひとつの死の選択。」






椎名氏じゃなくとも、
60代くらいの年齢で、「自らの死」を想像することは難しい。

ただ、妻や第三者に「促され」たり、なんらかのきっかけで、
自らの死について、いまいちど立ち止まって真剣に向き合ってみることの大切さを、本書は教えてくれている気がする。




椎名誠ファンならずとも、
興味をそそられる内容満載なので、ぜひ一読をおすすめします!


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2016年01月05日

「死ぬ」ってなに?『寺院消滅』(鵜飼秀徳/日経BP社)






『寺院消滅』(鵜飼秀徳/日経BP社)


鵜飼秀徳(うかい・ひでのり)
1974年、京都市右京区生まれ。成城大学卒業後、報知新聞社に入社。事件・政治担当記者を経て、日経ホーム出版社(現日経BP社)に中途入社。月刊誌「日経おとなのOFF」など多数のライフスタイル系雑誌を経験。2012年から「日経ビジネス」記者。これまで社会、政治、経済、宗教、文化など幅広い取材分野の経験を生かし、企画型の記事を多数執筆。近年は北方領土問題に関心を持ち、2012年と2013年には現地で取材を実施、発信している。正覚寺副住職。




「地方都市から寺院が消滅する」

そういわれて、
たいへんなことだ、と、頭では認識しながら、
なぜか危機感が希薄…。


なぜだろう。


もし、そう思われた方にはぜひ一読をおすすめしたい。

まさにその答えがこの本に書かれている。



本書のテーマは、
「地方の困窮寺院の声を拾ったルポルタージュ、伝統仏教の構造をひもといた歴史書、あるいは菩提寺との付き合い方がわかる実用書」(あとがきより)


葬儀や初詣、墓参りと、お寺はいろんなシチュエーションでなじみ深いし、
なくてはならない存在であるのは確かだが、
その一方で、あまり寺のことを理解していないひとが多いのではないだろうか。

本書を読めば、おそらく見慣れたお寺も違った視点で眺められるはずである。




高度経済成長を境に、
地方から都会へ人口の集中化が進んだが、
それは同時に地方に残してきた墓をどうするか、という問題を生み出した。


墓を移す=改葬。

じつはこれがなにかとトラブルを引き起こしているという。


その一例として、福沢諭吉の「改葬」が紹介されているので抜粋。
「お墓にまつわる悩ましい問題」を先取りした事例。
67歳で死去した諭吉は菩提寺である麻布十番の善福寺で執り行われた。
通常、『葬儀』と『埋葬』が別々の寺で行われることはない。
しかし、自由人らしく諭吉は眺望がよかったことから常光寺の墓地を購入、埋葬された。
その常光寺は慶應大学を目指す受験生たちの『受験の聖地』になったのだが、
諭吉の宗旨は浄土真宗。常光寺は浄土宗。遺族はその後改宗を迫られ、しかたなく墓を善福寺に改葬した」

ちなみに、掘り起こしたところ、土葬されていた諭吉は絶妙な偶然が重なって白骨化せずミイラでもなく屍蠟化していた、というエピソードは興味深かった。


まだ「改葬」が一般的じゃない時代であり、
しかもあの諭吉が「主人公」とあれば、騒動もたいへんだったであろうが、

「団塊の世代が両親が死んだ段階で自分たちの生活圏に移す。墓が日本全国を大移動する『墓が彷徨う』時代がくる」

まさに、諭吉は時代を先取りしていたわけだ。




改葬をめぐるもっとも深刻なトラブルは寺と檀家との関係悪化。
「改葬は寺にしてみれば檀家一軒が減ることを意味する」

どういうことか。

寺の収入構造は、
墓地管理料が一軒あたり年間3000〜5000円。
護持費(上記とは別の維持管理費)が5000円〜1万円。
檀家が多ければ多いほど経営基盤は安定する。



檀家が田舎を離れ大都市へ引っ越すと、
それだけ寺院の収入は減るわけだ。



ある寺院関係者。
「東京に出た人とは疎遠になる一方。こちらから檀家のいる都会へ出むくなど、何か行動を起こさなければ地方都市の寺は間違いなく滅びる」




経営が「破たん」し、
住職いなくなった空き寺は、いろんな問題を引き起こす。

たとえば、
空き寺の宝物を狙った窃盗が全国で相次いでいるという。


とはいえ。。
「信仰が失われたから空き寺になったわけではない。田舎ほど寺の存在を大事にしている」


空き寺が増えるということは、
地方住民の大切なこころのよりどころがなくなる、というわけだ。



人口流出だけじゃなく、大規模な自然災害も「寺院消滅」に拍車をかける。

東北大震災から4年が経過したが、
地元住民の住居、インフラは復興しても、
宗教施設はほとんど再建されていないという。

「『政教分離』の原則から、宗教団体は公の支援を受けることはできない」




苦境に立つ寺院の中にはあらたな「サービス」を手掛けるところもでてきていている。


埼玉県の見性院は、
ゆうパックを使った「送骨サービス」を受け付けている。
寺が用意した専用段ボールに骨壺を入れて送るだけ。
永代供養3万円。
月に遺骨が三〜五柱送られてくるという。



「赤ちゃんポスト」同様に賛否両論あるが、住職はいう。
「受け取りを拒否された死後行き場のない故人のために、僧侶として受け入れないといけない」
「不遇な環境の下に生まれてきた命は「受け皿」があってこそ救われる。『赤ちゃんポスト』と『送骨』の問題はむしろ『そうせざるをえない』状況を生み出す社会構造にある。赤ちゃんや死者に罪はない。







「直葬」「送骨」を求めるニーズが増えているのは確かだし、
一定の理解を示しつつも、著者は語る。
「ただ、生きているものが死んだものへ敬意を払うことを忘れてはならないと思う。
「死」を避けることは同時に「生」をおろそかにしていることになる」




本書では、有識者へのインタビューも掲載している。


國學院大學の石井研士氏。
「少子高齢化、過疎化が影響して寺や神社が存続できなくなることは、30〜40年前から予想されていた。存立の危機があったのに、関心を払ってこなかったツケが今まわってきている」

「25年後には35%の宗教法人が消える」
「でも、それはある意味、日本人の総意として望んだこと」
「高度経済成長は日本人が望み、都市にひとが集まることを政府が奨励した。その結果過疎化がすすんだ。でも地域の寺や神社は大切だから存続させなければ、という考えにはならなかった」






寺が完全に消えた「寺院消滅」した県がある。
鹿児島県。
「幕末から明治9年頃にかけて全国的に実施された仏教弾圧「廃仏毀釈」。鹿児島県では最も激しかった」
いまでは当時の半分くらいまで復興しているが、鹿児島県内には古い寺は存在しない。


地元住職はいう。
「ただ鹿児島県人が仏教に冷徹というわけではない。
鹿児島は一人当たりの生花の消費量は日本一。
これはご先祖様に対する思いがひときわ強い県民性の現れ。
つまり信仰心は薄い一方でお墓参りへの意識が高いのが特徴」



仏教は崇拝しないが、祖先は大切にする。
少子高齢化、過疎化で寺院が減り、仏教への信仰心が失われつつある昨今、「日本の宗教」の未来を先取りしているかのようだ、と著者は語る。




各方面に取材しながら、
「なぜ寺院が必要か。寺院とはなにか。自問自答してきた」著者。


答えは、
「あなた自身を見つけられる場所。自分につながる亡き人と再会できるのが寺院」





最後に作家の佐藤優氏の寄稿。
「宗教の衰退の一番の理由は『死に対する意識の変化』。葬儀を行わず、墓を作らない人が増えているのはこのため」

氏いわく、
「死の現実を広く社会に認識させれば、宗教は復興する。1500年の歴史があり、廃仏毀釈も乗り切った仏教団が、都市化や高齢化ごときに負けることはない」

そう。
「寺院は消滅しそうで消滅しない!」




結局は、「死」のとらえ方なのだ。
寺院とは、「死」を執り行う場所。


初詣で願い事ばかりするのではなく、
手を合わせながら「死」と真摯に向きあうことが、引いては「生」を見つめなおすことにつながる。



わたしも、なるべく暇をみつけては
寺院に立ち寄り、自分自身と向き合ってみたいと思う。


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2015年12月26日

「死ぬ」ってなに? 末期がんの内科医・僧侶 田中雅博氏

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末期がんの内科医・僧侶 田中雅博氏




つねに死を直視し続ける医者や、
死後の世界や来世を説く僧侶は、
みずからの「死」をどのようにとらえているのだろう。



おそらく、医者なら「どんなに医学が発達しようと、人間の致死率は100%だから、
自分も死ぬときは死ぬのだ」と達観しているのではないか。



僧侶なら「今世は十分に修行したから思い残すことはなにもない」と
じたばたせず、静かにそのときが来るのを待つことができるのではないか。


内科医であり僧侶でもある、田中雅博氏は、末期がんで余命わずかと宣告された。

前述した、医者で(しかも国立がんセンター勤務)、僧侶なんだから、
「死ぬことなんか、ちっとも怖くない」と
自分の「死」を真正面から直視しているだろう、と思いきや。



田中氏は1946年生まれの69歳。

東京慈恵会医科大学卒業。74年に国立がんセンターに入り、83年に退職。現在は1300年の歴史がある西明寺の住職である。


昨年10月に膵臓がんがみつかり、手術したが、こんどは肝臓に転移した。
検査結果から、来年3月の誕生日を迎えられる確率は非常に小さいという。


 「つい先日、孫が生まれたんですよ。女の子です。どこまで成長を見ることができるか。あと3カ月くらいかな、あるいはもっと短いかもしれない、と考えてしまいます。複雑な思いですね。人の死は思い通りになりません。私も順番が来たわけです」


僧として、医師として、ずっと「死」の問題を考えてきた田中氏。
自身の死は怖くないだろう、と思いがちだが。


 「そんなことはありません。生きていられるのなら、生きていたいと思いますよ。私には、あの世があるかどうかは分かりません。自分のいのちがなくなるというのは……。やはり苦しみを感じますね。いわば『いのちの苦』です。自分というこだわりを捨てる仏教の生き方を理想とし、努力をしてきました。生存への渇望もなくなれば死は怖くないはずです。ただ、こだわらないというのは簡単ではありません」



自分の「死」がこわくない人間なんて、ひとりもいないのだ。



では早く死にたい、と思ったりはしないのか。
「生きられるいのちは粗末にしたくありません。一方で、自分のいのちにこだわらないようにする。そのふたつの間で、『いのちの苦』をコントロールしているわけです。死の恐怖や不安と闘うというよりは、仲良くしようとしている感じでしょうか」


つまり、自分の「死」と折り合いをつける、というわけだ。


田中氏は、
「私は進行がんが専門で、がんセンターでは内分泌部治療研究室長も務めました。医学はいのちを延ばすことを扱うわけですが、そのいのちをどう生きるかという問題にはまったく役に立たない。体の痛みを止める医師が必要であるのと同じように、『いのちの苦』の専門家が必要です。それがほとんどいないのは日本の医療の欠陥だと思います」



自身、90年に境内に緩和ケアも行う「普門院診療所」を建設している。


自分自身が末期がんと向き合うことになり、
緩和ケアの重要性をあためて実感されていることだろう。




「死」がいよいよまじかに迫ってきて、田中氏はなにを思うのだろう。

「いま、何でもないことが非常にありがたい。晴れた日はいいなあと思うし、雨の降る日もいいなあと感じます。はやり、生きているというのはいいことですね」


「死」と直面してはじめて芽生える感性もある。
それもまた人間が本来、身に着けている大切な機能なのかもしれない。


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2015年11月08日

『幽霊のメカニズム』がわかった!

『幽霊のメカニズム』がわかった!

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暗闇を歩いていると、うしろから誰かがついてきている気がする、
そう思いはじめると、それはどんどん確信に近づいていく。

絶対誰かがついてきている、ひたひたと…

ゆ、幽霊だ〜!


こんな体験をしたひと、多いのではないだろうか。




いるはずもない誰かがすぐ側にいるという感覚を”存在の感覚(feeling of presence)”という。

ジュネーブ大学病院のオラフ・ブランケ博士とそのチームが2014年に学術誌「カレント・バイオロジー(現代生物学)」に掲載した論文で、この感覚を生み出す脳の領域の特定に成功、実験室で再現することができたと発表した。



ある世論調査機関の調査によると、幽霊に出会った経験をしたと述べた米国人が18%もいたという。


おそらく、実際に出会っていなくても、その存在を感じたことがあるひとはもっと多いのでないか。


そして、とりわけこの経験をするひとは特別の種類の脳損傷を持つ患者が多いというのだ。

研究者チームは、これらの患者の島皮質、前頭頭頂皮質、側頭頭頂皮質の3領域において損傷を受けていることを突き止めた。

これらの領域は、自意識、動き、空間的位置の認識を司る部位であり、これらの感覚運動信号に混乱が起きたとき、いるはずのない何者かの存在を感じとるという。

われわれに自らの身体を感じさせるのと同じ脳分野である。


どういうことかというと、
わたしの体の内部に「わたし」が住んでいると認識することと、
別の「誰か」の存在を認識することが、脳の同じ領域で行われている、ということ。


これは神経障害のある患者だけに限らない。

研究チームはどのような実験を行ったのかというと、
まず、普通の健康なボランティア50人を被験者にした。
実験で、被験者は2つのロボットの間に立ち、前にいるロボットに杖で触れる。
この「マスター(主人)」ロボットは、被験者の背後にある2台目の「スレーブ(奴隷)」ロボットを制御しているシグナルを送る。
スレーブロボットは、被験者の動きを再現し、
それらを利用して別の杖を制御し、被験者の背中に触れる。
つまり、被験者は前方でマスターロボットを軽く突いているのだが、自分の背中にも同じ動きを感じる。


その結果、被験者は、どういうわけか自分の背中に自分で触れているという極めて強い感覚を得る。
物理的にそれが不可能だと承知していても、感じる、のだ。



今度は、被験者がマスターロボットに触れた0.5秒後にスレーブロボットが被験者の背中に触れるようにする。
被験者の行為と感覚との間でほんの少しの遅れをもたせるのだ。

すると被験者たちは、「存在の感覚」を報告した。
彼らは、どういうわけかこの部屋の中に目に見えない亡霊がいると言う。





脳は身体の動作を常に理解しているわけではなく、その動作を行っているのが自分の身体であることも忘れてしまう可能性があるのだ。

脳に損傷があったり、ロボットなどによる混乱が起きたりすると、別の身体のイメージが出現し、自分の身体がまるで他人の身体であるかのように感じられるのだ。




つまり、墓場で見る幽霊はあなたの脳の創造物にすぎない。
しかし、幽霊に出会った「あなた」もまた、あなたの脳の創造物なのだ。

実際、だれか他の人がそこにいるとあなたに感じさせる脳の同じ領域が、あなたもそこにいたと感じさせているのだ。



この研究結果を読んで、
「幽霊を見た」と思い込んだあなたは、いななら、それを
「なーんだ、所詮、脳が作り出した幻影だったんだ」と、
理解するだろう。


しかし。


自分はそこに「存在している」と思い込んでいる「あなた」も、
所詮、脳が作り出した幻影かもしれないのだ。


「あなた」は本当はそこに「存在」しない「幽霊」なのかもしれない。




「幽霊の正体」…
あまり、この問題は追及しないほうがいいのかもしれない。
「あなた」自身が霧のように消えてしまう可能性を秘めているのだから…。









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2015年09月15日

「死ぬってなに?『サハラに死す 上温湯隆の一生』




『サハラに死す 上温湯隆の一生』(上温湯隆/時事通信社)




上温湯隆(かみおんゆたかし)
1952年11月29日、鹿児島県生まれ。6歳の時、家族で上京。高校中退後、国内沿海航路貨物船の見習いコックとして働き、1970年アジア、ヨーロッパを経てアフリカへなど50か国に渡る世界放浪の旅に出かける。1974年人類史上初のラクダで7000kmのサハラ砂漠単独横断旅行へ出発するが、およそ2700km地点で、同行のラクダが衰弱死したため一旦旅を中断。1975年再びサハラ砂漠横断の旅を再開したが、2週間後マリ共和国メナカで渇死した。


「上温湯」。
珍しい苗字である。
鹿児島にはよくある、と本人談として書いてあったが、
同郷でありながら、わたしは初めて聞く苗字である。


そして、たいへんお恥ずかしい話だが、
上温湯隆の名前も初めて聞いた。
もちろん、この本の存在もわたしは知らなかった。




初版1975年。時事通信社。
そしておよそ40年後の2013年、山と渓谷社から復刻版が発行された。


どこで見たのか、ふとこの本の存在を知り、
軽い気持ちで読み始めた。


正直にいうと、読む直前まで、いっさい前知識のなかったわたしは彼にこういう印象をもっていた。
「22歳の威勢だけはいい若者が軽いのりで無謀な冒険に出かけ、失敗して死んだ」

どういう死にざまだったのか、ただそれだけの興味しか、持ちえていなかった。

しかし、ページをめくりだすと、彼の魅力と彼が旅する世界にぐいぐいと引き込まれ、
手が止まらなくなり、寝食を忘れ、
気がつくとまさに「あっと」という間に読み終えていた。


まさにあっという間。

なにやら一塵のつむじ風に巻き込まれ、気がついたら、
熱砂の砂漠にただ呆然と立ち尽くしている、そんな感じだ。



いったい、上温湯隆とは、なにものなのか。


彼が挑んだ冒険「サハラ砂漠の単独横断」について先に触れておこう。


あとがきから引用する。
「サハラ砂漠は、モーリタニア、マリ、ニジェール、チャド、スーダンの5カ国にまたがる世界一広大な砂漠。
南北に縦断するルートは鉄道を含めて5つあるあるが、東西を横切るルートは皆無で途切れ途切れにあるオアシスの点と点を結ぶしかない。
全長7000キロ。未だ(当時)前人未踏の熱砂の海である。」


本書は、上温湯隆の手記、メモ、母や知人に宛てた手紙、そして、
行きがかり上、上温湯をサポートすることになった、
時事通信社ラゴス特派員長沼節夫氏の回想などをもとに構成されている。

とはいえ、ほぼ上温湯の手記だけで、この未曾有の冒険譚は語られている。
それだけ、彼の手記にはあらゆることが記録されていた。

彼に密着してともに旅をしている錯覚を覚えるほどの臨場感は、
彼の筆力によるところ大である。



サハラ単独横断に出かける前にも上温湯は何度となくサハラを訪れている。
何度も足を運ぶうちに、すっかり砂漠の魅力に取り憑かれてしまった。
そして、サハラの砂漠に巣くう悪魔に、とうとう命までささげてしまった。

「僕のサハラ砂漠への愛と情熱は死を怖れない」



彼のサハラ横断計画は、行き当たりばったりの思いつきではない。

いや、正確には、砂丘の向こうになにがあるか、行ってみないとわからない、まさにいきあたりばったりの旅である。

しかし、旅の準備は周到だった。
これまでの見聞や体験にもとづくこうした準備や計画は、
おそらく地元の人間でも舌を巻いたのではいだろうか。


上温湯隆はまず旅の「目的」を自ら明確にした。
「目的」
・サハラ砂漠7000キロ(ヌアクショット〜ポートスーダン)をラクダに乗り単独で横断
・遊牧民と住民の生活を調査し、いかに彼らが砂漠の自然に適応して生きているかを記録
・遊牧民の生活様式を旅行に取りいれ、彼らと生活を営み、自分の精神と肉体がどの程度砂漠の極限に耐えられるかを体験、記録する


この1点だけからも「志の高さ」が伝わってくる。

また、彼の旅への真摯な気持ちを象徴するエピソードがある。
彼の計画は「サハラ砂漠単独横断」である。
にもかかわらず、彼の旅はロンドンから始まる。ロンドンからヒッチハイクや徒歩で出発地点のモーリタニアのヌアクショットに向かっている。

旅費を節約するためだが、
お金をかけてする旅は旅ではないし、ましてや冒険とは呼べない、
そう考えていたのだろう。


もちろん、「出発地点」に向かう「旅」でもさまざまことに遭遇するし、
いろんなことが頭をめぐる。

野宿中にサソリに耳を刺されたことがあった。
「サソリの住みやすいところであることを忘れていた。うかつだ。細心の注意を払わないといけない。」

「恐怖と孤独にうち震えながらひとりだけの野宿から命が救われたと思うと、見知らぬ国境警備隊のお巡りさんたちと飲めや歌えの大騒ぎ。これが旅なんだ。僕はそう思った」


「1973年12月31日の太陽が地平線に赤々と沈み、雲をオレンジ色に染めた。この地に僕以外は誰もいない。ひとりで沈んでいく雄大な太陽を見ている。なんだか泣きそうになった」


その旅の途中で出会ったフランス人ヒッチハイカーのレオネールから、
別れ際にかけられた言葉が、のちのち上温湯隆の計画の行方を左右する。
『もしも事故があったら無謀な前進はするなよ。一度引き返して、万全の準備をして、再びトライすればいい。それが本当の前進だ』



上温湯隆がもっとも旅の準備で心血を注いだのがラクダだ。
唯一の同行者で、広大な砂漠を何日も自分や荷物を運ぶという大切な役割を担う。


そしてようやく手に入れたラクダに、
「サーハビー」という名前をつける。
ラビア語で「わが友よ」。


いよいよ出発が近づいたとき。
あるモーリタニア人に計画を話す。
「それは無謀だ。現地の人間でも、そんなことをした男は誰一人いない。砂漠の神がそれを許さない。砂漠を甘くみたものは必ず復讐されるだけだ」



こうした「説得」は彼もよく耳にする。
もちろん危険極まりないことは百も承知だ。


しかし。

「成功したら冒険の完遂。失敗したら愚かな行為で終わる。その線をいったいどこで引けばよいのか」

彼も悩む。

いやがうえにも成功させるしかない、そう自分にいいきかせる。



そしていよいよ「サハラ単独横断」へ。


しかし、旅はまさに苦難の連続。

あるとき、方向を間違え、進むべきかどうか思案しているとき、
前述のレオネールの言葉を思い出し、途中で引き返したりする。


そして立ち寄ったオアシスの町ではさまざまなひとたちに歓迎される。
しかし、彼はそこに長居するのをよしとしない。
「文明的生活は素晴らしいが、精神的には毒だ。やる気をなくさせる。一刻も早く離れよう」


そしてまた、砂丘のかなたを目指して歩き始める。

「見渡す限り砂の海。このままじゃ危ない。座しては渇死するばかりだ。進まなくちゃ。僕はノロノロと立ち上がった」


「堀った穴があり、そこに赤褐色の水がたまっていた。僕はその水に顔を押し込むようにしてがぶがぶ飲んだ。今まで飲んだどの水よりもおいしい」





広大な砂漠でひとり、彼はさまざまなことを考える。


「ひとり、砂漠を見つめている。砂、砂、砂だけの世界。…空の青と白い砂が遠い地平線でつながり、太陽がぎらつく、暑く、汗が流れ、僕はいま孤独だ」


「闇夜の砂漠ほど孤独で寂寥感に苦しめられるものはない。人が恋しい。眠れない」


「僕は北極旅行のことを思った。砂漠が暑いからかもしれぬ。でもこれも僕の見果てぬ夢のひとつなのだ」






砂漠の真ん中で、彼はキャンプ生活をする現地人と
交流を深める。

そこではさまざまなひとがいて、それぞれ砂漠に身をゆだねて生きている。

よく、現地人に金や物品をむしり取られそうになった。
「人間いい奴50%、悪い奴50%は間違い。悪い奴はいない。たまたま虫の居所が悪い奴が50%いると思えば気がすむ」

なんと達観した考えであろう。



「正直で、まじめで親切。それらを自ら身に着けている人間は、金では買うことのできないひとつの財産を持っている。そういう人間でありたいと思う」


たえず空と地平をながめていると、
思考もおおらかになるのだろうか。


あるとき出会った死にそうな子供に持参したクスリをあげた。
「医者がいれば治せるものを。…これが砂漠の民の宿命なのだ。彼らはそうやって生きてきたし、死んでいくのだ」



あるテントで世話になった奥さんとの会話がまた印象的だった。

「奥さんがいう。『自分の息子は15歳だが、(あなたみたいに)旅に出るといったら引き止めるだろう』
だから僕は言ってやった。『しかし、彼は20歳以上になったら、ひとりで旅に出ていくだろう』そう言ったら、奥さんは『たぶん、そうかもしれない』母親というのはわかっているのだ。」



そうなのだ。
おとなになったら旅に出なくてはならないのだ。


あてどのない旅へ。

しかし、どうやって出かけるか、を考える以前に、
「いいわけ」ばかりを考えて、
「やっぱり行けない」という結論に強引にもっていこうとする、
自分がいる。
みなさんもそうかもしれない。



実はものすごく単純で、ほんのちょっとの勇気さえあれば
誰でも簡単に出かけられるのだ。

彼がそう言っているように思えて仕方なかった。



ラクダに乗ってのんびり(ではないのだろうが)旅を続ける彼だが、
意外にも「焦り」に追い立てられていた。


「このころ、神経がいらいらする。自分の意志と行動でサハラに来たとはいえ高校の仲間がいま一生懸命に勉強している姿が目に浮かぶと、ふと不安になる」

「地理を専攻し、その知識を国連で使えればと思う」

「国連に入ってこのサハラで働くのが僕の夢だ。そのためにはもっとサハラを知らなければならない」


「どうも僕は理論がないのでかなり困る。頭が悪いのか、考え方が悪いのか、思考に深みがないのか。これで地球の空気を吸い始めてから21年です、とは言いにくい」


彼の頭にはこのような計画があった。

1974年(22歳)旅は終了。帰国。
1975年(23歳)検定の勉強。そしてバイト。
1976年(24歳)早大クラスの大学に入る。
1980年(27歳)卒業すべし。



彼にはサハラ砂漠の先にも向かわなければならない道があったのだ。





そんな彼を行く手を阻む出来事が起こる。
ラクダの「サーハビー」が死んだのだ。

「無残だった。首を背中のところまで曲げており、上側の顔がなかった。ハゲタカにつつかれて、目もなく、口のまわりも食われていた」




唯一の同行者を亡くし、上温湯隆は消沈する。
ラクダなしでは旅を続けることは不可能である。

また、行き違いから途中で受け取るはずのお金がなく無一文に。


しかたなく、旅を中断するのだが、
どうしてもサハラ単独横断をあきらめられず、
また、中断した地に舞い戻り、旅を再開する。


なにが彼を砂漠に向かわせるのか。
死への恐怖はなかったのか。


「旅を続ける苦痛も無限ではない。もう3000キロ来ているのだから、残り4000キロだけのことである」


「死への恐怖に耐えられるならば、この世に何が恐ろしいものがあろう。死へ挑む勇気、これがあるならば、何も恐れることなく人生を戦い抜いていける」


「オレはサハラと死ぬまで戦う。勝つか、負けるか、もう一度挑戦してやる」


「こんな旅で命を失うのはバカだ。死んでしまったらこの素晴らしい人生を棒に振ってしまう。そのバランスの谷間に僕はいま、立っている」



そして、こんな手紙を知人に出している。

「もし、小生の身に最悪の事態が起こっても外務省に問い合わせたりアフリカ大使館に捜索依頼するようなことはしないでください。まずその時点ですでに間に合わないし、広大なこのサハラのどこに小生が眠っているかわからないでしょう」

「失敗し、万一死んだとしても、それはサハラにとり憑かれた男の本望です。覚悟はできています」





旅を再開して2週間後、彼は遺体で発見される。

1本の灌木の下で眠るように死んでいたという。


遺体は、外傷なし。
胃、腸は内容物なし。膀胱も空。
飢えと渇きで死亡したと推測された。
居住地区から20キロの地点だった。


死の2週間前に書いた手紙は元気そのものであった。
計画は綿密。しかも旅を再開して間もないのになぜ。

誰がどうみても不自然な死だった。


おそらく、新たに手に入れたラクダが荷物を背負ったまま逃走した、
こう結論づけられた。




上温湯隆は、鹿児島の武士の血をひく母から常にこう言い聞かせられてきたと言っていた。
「人間の価値はその死に際で決まる。死ぬ瞬間に往生際の悪い人はとるにたらない。潔く死ぬように心にとめておきなさい」


母幸子はいう。
「いざ死を覚悟したとき、息子は取り乱さず、絶望に耐え、息を引き取った。そうだ潔く死んだのだ」

「びとは無謀だというだろう。しかし、自分の信念に生き、全青春を前人未踏のサハラ横断に燃焼させた息子の心を理解してあげよう」


それにしても。

「あの子は飛び立った。私のまだ見たこともないところへ。それがさらに飛翔して黄泉の旅まで行こうとは」

母の言葉にできない気持ちを思うと胸が痛む。





上温湯隆は、燃焼した。
砂漠の熱砂で命もろとも燃え尽きた。


抱えきれないほどの夢を背負っていただけに
夢半ばでの死は、無念だったであろう。

しかし、人間はいつか死ぬ。

言い訳ばかり並びたてて、だらだらと半世紀も生きてきた自分に比べれば、
彼の22年間は実に有意義で濃密な人生だったに違いない。



本書は、世界を旅するバックパッカーのバイブルだという。

いつか自分も本書を片手に片雲に誘われるまま、
見知らぬ世界を旅したいと思う。

その前に
「いつか」「そのうち」「時間ができたら」
といった「いいわけ」をゴミ箱に捨てることから
はじめなければ!




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2015年09月06日

「死ぬ」ってなに?『戦場カメラマン 沢田教一の眼』





『戦場カメラマン 沢田教一の眼』(編集・斉藤光政 山川出版社)


斉藤光政(さいとうみつまさ)
東奥日報社編集委員兼論説委員。1959年岩手県盛岡市生まれ、青森県八戸市で育つ。成城大学法学部卒。政経部記者、社会部記者、社会部次長、三沢支局長、社会部編集委員、政経部編集委員などを経て現職。基地、防衛、安全保障問題。米軍の青森・車力Xレーダー基地の徹底取材で知られている。著書は、「在日米軍最前線〜軍事列島日本〜」(新人物往来社、2008 年、2010 年に同社から文庫化)、「ルポ下北核半島〜原子力と基地と人々〜」(鎌田慧と共同執筆・岩波書店、2011年)など。



沢田教一(さわだきょういち)
青森県出身のフォトジャーナリスト。ベトナム戦争を撮影した『安全への逃避』でハーグ第9回世界報道写真コンテスト大賞、アメリカ海外記者クラブ賞、ピュリッツァー賞受賞。5年後、カンボジア戦線を取材中に狙撃され、34歳で亡くなる。死後、ロバート・キャパ賞受賞。




そこでなにが起きているのか、
見たい知りたいしかし、行かなければわからない、
世界が注目する「戦場」は、ジャーナリストにとって、
これほど「好奇心」を掻き立てられるスポットはないだろう。


しかし。
だからといって、誰もが実際に足を向けるか、となると、それは別問題。

「好奇心」と「命」を天秤にかけて、
前者がまさる人間だけが、「チケット」を手に入れられる。

そのチケットが片道分しかない可能性も、もちろん承知のうえ、だ。

ジャーナリストにとって、
「戦場」は“魔界”なのかもしれない。


『地獄の黙示録』『フルメタルジャケット』シナリオ作家のマイケル・ハーはこういう。
「たいていの記者は今度抜けだしたら、こんなところには二度と近づかないぞと誓うのだが、数日たつとそうした気持ちは消え失せ、どうしても帰りたい気持ちがまた頭を持ち上げてきて、抑えることができなくなった」


いちど立ち入ると、死神に取り憑かれるのかもしれない。


そして、いつか死神に命を差し出すことになるとも知らずに。



その「死神」に見放された男、と呼ばれたフォトジャーナリストがいた。

日本人として2人目となるピュリッツァー賞を受賞した
沢田教一。


おそらく当時、世界でもっとも危険地帯だったベトナム。

『戦場カメラマン 沢田教一の眼』は、
米軍に従軍し、生々しい現場の写真を世界に配信し続けた
「世界のサワダ」の作品の集大成である。

作品集であると同時に、サワダを追い続けた東奥日報社編集委員兼論説委員の
斉藤光政が、サワダの妻である沢田サタへの取材を通して、
知られざるサワダの素顔も余すことなく伝えている、
まさに永久保存版「沢田教一」読本である。



作品を見ていただければわかるが、
沢田の視点は独特である。

最前線の地獄の惨状を写し続けたばかりではなく、
メコンデルタののどかな田園風景を好んで撮影している。

また、平穏な街中の美しい女性をとらえた写真も多い。



ベトナムの地獄に足を踏み入れた直接の「動機」は、
フォトジャーナリストを志す若者の「好奇心」によるところは大きいとは思うが、

じつは、「平和な美しい写真を撮りたい」という願望を常にもっていた。
そして、いつか、世界的な自然写真専門誌「ナショナルジオグラフィック」へ写真を載せたいと思っていた。
その言葉通り、銃弾に倒れる直前に、UPIから同誌への転職が決まっていた。

「ナショナルジオグラフィック」は、常に世界を探検し、読み解き、その姿を読者に伝え続ける」をモットーに世界有数のカメラマンが美しく迫力のある写真で「地球の今」を紹介する月刊誌である。




フリーカメラマンの小川氏がいう。
「生死が激しく交錯する戦闘を経験すると、心に変化が生まれ、それまでなんとも思っていなかったひとりの農民、一羽のにわとりにもまったく違う印象をもつようになる。
沢田さんの作品に、ヘリコプターから田園風景を空撮したものが多くあるが、自然とシャッターに手が伸びたのではないか」


指摘の通り、
サイゴン上空を飛ぶ米軍ヘリから、重機関銃M60越しに写した田園風景写真が
強く印象に残っている。



とはいえ「平和志向」は「恐怖の反動」では決してないと思われる。



最盛期には600人を超えるジャーナリストが集まったが、その中でもっとも過酷な取材に身をさらし続け、スクープをものにしてきた。


「最前線で一歩前に踏み込むことは、一歩死に近づくことを意味する」

フォトジャーナリストの豊崎博光。
「広角レンズで、二、三メートルの至近距離で撮っている写真が多い。
連続写真や敵に背を向けて撮っている写真もまた多い。
戦場の人間を凝視しようとしたのだろう」


それでいて、沢田は破片ひとつ受けることがなかった。
「死神に見放された男」と呼ばれるゆえんである。





開高健は沢田についてこう語る。
「サワダの卓抜な眼と行動は時代の心や事物の力と手を取り合って死の舞踏を続け、しばしばそれをしのいで瞬間を狩りとったのであり、その後の命運は氏の知るところではなかった」



1968年まで3年間、ベトナムの最前線に踏みとどまった沢田は、報道カメラマンに与えられる賞を総なめにする。


1965年  第9回ハーグ世界報道写真グランプリ
第23回USカメラ賞
1966年  ピュリッツァー賞『安全への逃避』
       アメリカ海外記者クラブ賞
       第24回USカメラ賞『敵をつれて』
       第10回ハーグ世界報道写真1位『泥まみれの死』
1967年  アメリカ海外記者クラブ賞
1968年  第26回USカメラ賞
1971年  ロバート・キャパ賞(死後)『戦闘で家を失った老人を退避させる若者たち』




ファインダーが震えるほどの激烈な戦闘のあと、
「おれは大丈夫だよ」と何事もなかったかのように、
右手をあげ、静かにさっていったという。



死神に見放された男。




「平和な写真」を撮りたいと望んでいた沢田だが、
意地もあったようだ。

ピュリッツァー賞受賞作の『安全への逃避』は、
戦場じゃなく洪水の写真、単なるラッキーだった、とやっかみをいう人もいたという。


そこで沢田は、想像をはるかに超える激戦が展開された「フエ城の攻防」で、
2度目のピュリッツァー賞を狙った。

残念ながらピュリッツァー賞は逃したが3度目のUSカメラ賞を受賞している。



そんな沢田の命運があっけなく尽きる。



1970年10月29日。沢田34歳のとき。
午後3時過ぎUPIプノンペン支局長とプノンペン郊外へ取材に出かけ、
銃撃され死亡した。

詳細は不明。

この事件には謎が多い。



現地での「身を守る鉄則」のひとつが、「午後4時以降は車で走らない」。
クメールルージュが暗躍する時間帯だからだ。
戦場取材が長い沢田がそんな基本的ルールを知らないわけがない。


じつは、沢田は予定していた取材も終え、妻が待つ香港に帰るだけだった。
「なぜいまさら危険をおかして出かけたのか」


いまでも腑に落ちない、と証言するサタのもとに届いた最後の手紙は、
さらにサタを困惑させるものだった。

「私にはまだまだ何か起こるような気がしますが、それもそのように定められた運命なら仕方ないと思います。
何事があってもそれに対処するつもりですが、貴方だけはそれらにまきこみたくありません。それでは、貴方自身のこと、もっと大事に」



「死の世界」を彷徨してきた沢田は、
死期が近いことを本能的にわかっていたのか。

あるいは、見逃し続けてきた「死神」が、ついに、沢田を手招きしたのか。
死神の手招きをふりほどくだけの「運」が尽きたことを知り、
自ら死神のもとへ向かったのだろうか。

あこがれの「ナショナルジオグラフィック」で働くという夢は、
所詮、夢でしかないことをずっと以前から知っていたように、
自分には思える。




「生」と「死」を見続けたものだけがもつ「死生観」。
沢田がながめる「地平」は、沢田にしか見えない。

いつ、命を差し出すことがあってもそれはそれでしかたない。

アルピニストが雪山や垂直の壁に挑み続けるのと同じように、
戦場で命を昇華させる戦場カメラマンは、
つねに、そういう覚悟を持ち続けているのだろう。



無口で人を寄せ付けないというイメージが強かったという沢田。

しかし、それはまったくの誤解である。


沢田はピュリッツァー賞受賞翌月に村を訪れ、被写体の母親に賞金の一部と写真を置いて行ったという。

沢田の人柄をよく伝えるエピソードがもうひとつ。
全滅の憂き目にあっていた米軍基地で、隊長から自分の身を守るためにライフルを持つようにと指示されたとき、
沢田は「自分はジャーナリストだから銃を持たない」「戦いをしないと決めた日本人だからなおさらだ」と胸を張って拒否したという。



時代を疾駆した沢田の生きざまは、
現代のわれわれが忘れかけている何かを伝えてくれる。

ぜひみなさんのその眼で、沢田教一の「眼」で追った世界を
じっくりと見てみてほしいと思う。







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2015年07月28日

「死ぬ」ってなに?「うらめしや〜、冥土のみやげ展」

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夏といえば、幽霊。

怖いものが苦手なわたしは、
「幽霊」を見ると、確かに背筋がぞくっとして、
鳥肌まで立ってしまう。




しかし、そもそも幽霊とはいったいなんなのだろう。


ブルタニカ大百科事典によると、
「この世に恨みを残す死者の霊が、形となって現れると信じられる霊異現象。日本では、人が死ぬとその肉体は朽ち果て,霊魂だけが死の穢れを落して清められ、祖霊という霊質に融合同化するものと考えられてきたが、非業の死をとげた者の霊は、このような祖霊信仰体系に乗ることができず、浮遊霊となって迷い出るものとされた。」


いや、まさに、恨みつらみをこれでもかと背負った権化。

怖くないはずがない。


それにしてもなぜ「幽霊」は女性が多いのか。

男性の●倍も嫉妬深い、から?

死んでまで現生に舞い戻り復讐するほどの怨恨とは…。


おそろしやおそろしや。
なんまんだぶなんまんだぶ。




さて、そんなこんなでただいま「幽霊画」展が、
東京藝術大学大学美術館にて開催中である。

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東京・谷中の全生庵には怪談を得意とした

明治の噺家三遊亭圓朝(天保10<1839>−明治33<1900>年)ゆかりの幽霊画50幅が所蔵されていて、

この展示会はその圓朝コレクション。


コンセプトは、
「日本美術史における『うらみ』の表現をたどります」



「幽霊には、妖怪と違って、もともと人間でありながら成仏できずに現世に現れるという特徴があります。
この展覧会では幽霊画に見られる『怨念』や『心残り』といった人間の底知れぬ感情に注目し、
さらに錦絵や近代日本画、能面などに「うらみ」の表現を探っていきます。」


「円山応挙、長沢蘆雪、曾我蕭白、浮世絵の歌川国芳、葛飾北斎、近代の河鍋暁斎、月岡芳年、上村松園など、
美術史に名をはせた画家たちによる『うらみ』の競演、まさにそれは『冥途の土産』となるでしょう。」


なんともシャレがきいていてグッドな解説!



ちなみに、この展示会、
当初は2011年夏に開催を予定していたところ、
同年3月に発生した東日本大震災の諸影響から、
開催直前にして延期、今回、4年の歳月を経て開催に至ったという。


なにやら、目に見えない因縁を感じる。



ちなみに、ラウンジでは「冥土のみやげ」(!)も売っているので、
子供づれでも楽しめる(かどうかは保証の限りではないが)。



木陰を渡る風が心地いい上野恩賜公園を散策がてら、
ぜひ出かけてみては。

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「うらめしや〜、冥土のみやげ展」

会期 2015年7月22日(水)−9月13日(日)
開催会場 東京藝術大学大学美術館 地下2階展示室
     〒110−8714 東京都台東区上野公園12−8
開館時間 午前10時〜午後5時 入館は閉館の30分前まで
    (ただし、8月11日(火)、21日(金)は午後7時まで開館)
休館日 月曜日







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2015年07月26日

「死ぬ」ってなに?『葬送の仕事師たち』






『葬送の仕事師たち』(井上理津子/新潮社)


井上理津子(いのうえ・りつこ)
1955(昭和30)年、奈良市生まれ。京都女子大学短期大学部卒。タウン誌記者を経てフリーに。人物ルポや旅、酒場をテーマに執筆してきた。2010(平成22)年、長く暮らした大阪から、拠点を東京に移す。主な著書に『遊廓の産院から』『名物「本屋さん」をゆく』『旅情酒場をゆく』『はじまりは大阪にあり』『大阪下町酒場列伝』『さいごの色街 飛田』、共著に『関西名物』『新版大阪名物』などがある。




「死」とはなにか、という問いに対する答えは、観念的にならざるをえない。
物理的に「死んだことがある」人間に話を聞くことができない以上、
そこは想像をふくらませるしかない。


しかし、果たしてそうだろうか。

この本を読み、わたしは決定的な「なにか」が抜け落ちていたと、
痛感した。


死んだあとどうなるか、あの世へいくのか、あるいは無に帰すのか。
それは各個人の死生観に負うところが大きく、
誤解を恐れずにいうと、それぞれが勝手に解釈すればいいだけの話なのだ。


しかし、あの世へ通じる「エンディングゲート」をくぐる前に、
いや、正確にいうとくぐったあとの話だが、
あの世へいくなり、無になるなり、とにかく、次のステージにいく前に、必ず生きとし生けるものすべてが、あるものに変化する。



そう、「死体」である。


つまり、「死」とはなにか、という前に「死体」とはなにか、
という問いにまず直面するわけである。



体は魂が宿る乗り物であり、死んだあとは単なる抜け殻で「死体」自体には
意味がない、
あるいは、
「死体」は生まれ変わるための大事な乗り物だから、
大切に扱わなければならない、
つまり、「死体とはなにか」、という問いに対しての答えも、
「死とは何か」と同様、各個人の死生観に依るところ大で、
もっというと、信仰する宗教によって大きく異なってくる。


しかし、「死」と「死体」には重大な違いがある。

「死」は本人の問題だが。
「死体」は本人以上に、遺族の問題なのである。



というのも、人間は(おそらく)自分の死体を見ることはないから、
死体がどう扱われ、どう処理されようと口出しできないし、
あまり本人には関係がない。
関係があるとしたら、生前、自分が死んだあと「死体」は(おそらく)こう処理されるだろう、
という「観念的な」安心感があるかどうか、という程度であろう。



ところが、本人亡きあと、本人をしのぶ唯一無二の存在である「死体」をどうするかは
遺された家族にとっては本人よりはるかに重大な問題なのである。


「死」は決して、自分だけの問題ではない。




つまり、「死」を語るう上で、「死体」は必ずセットで論じなければいけないのだ。


とはいえ、決して遺族が直接「死体」を「処理」することはない。
それこそ「観念的に」大切に扱ってあげたいという気持ちはあるにせよ、
実際、どう「大切に」扱えばいいのか、という「知識」はほとんどないといっても過言ではないのではないだろうか。



この本は、遺族になりかわって「死体」を扱う仕事をなりわいにするひとたちにスポットを当てたルポルタージュである。




ルポライターである井上氏は、身内が亡くなり、葬式を出したのをきっかけにふと興味を抱いたという。


「葬式がいる、いらない、という議論以前に、葬送の仕事をする人たちが、どのような思いでどのような働きをしているのか。わたしたちは知らなさすぎるのではないか。」



まず、葬祭関係の専門学校への取材からはじまる。








神奈川県平塚市にある日本ヒューマンセレモニー専門学校。
「エンバーマーコース」を擁するのはここだけだという。


エンバーマーとは、
遺体に修復、殺菌、防腐処理などを行う技術者のこと。

エンバーミングはアメリカ南北戦争で亡くなった兵士の遺体を遺族のもとに長距離搬送する必要があったことから広まったという。


「遺体から漏れ出る体液から罹患する感染症を予防でき」、
「生前の美しい姿でお別れができる」


ちなみに、
エンバーミングした遺体を50日間、自宅に寝かせておくことも可能だとのこと。




井上氏がまず知りたかったこと。
なぜこの世界に入ろうと思ったのか。

学生に取材すると、多感な年ごろに祖父母を亡くし、初めて出た葬儀に「感動」したからという学生ばかりだという。


「いやなら最初からきませんよ」
「面白くない授業はひとつもない」に、裏も表も感じられないと。

「皆目的意識がはっきりしていて、志が高く熱意があることに驚かされます」(常勤教員)

井上氏の印象。
「この学校ではどの授業も気迫に満ちている。」




前述したようにエンバーミングはアメリカが発祥し、広く普及している。
そもそもエンバーミングの根底には「遺族」に対する思いが込められている。


ある日本のエンバーマー。
「アメリカのお葬式のほうが故人の意向に沿ってやっている。
安置する部屋にはどの絵を飾るか、どの絵柄の食器が喜ばれるかと遺族に尋ねる。
ホスピタリティが一律じゃない」

「アメリカの葬儀社は専門的な教育を受け、州単位、国単位の『フューネラルディレクター』ライセンスを持っている。
葬儀を学ぶ四年生大学まであり、このライセンスをもっているひとは医者や弁護士と同等の社会的地位が。日本とは大違い」


「アメリカの視察で驚いたのが、エンバーミングされたご遺体。」
「亡くなったひとが背もたれのある椅子に座り、背広を着て眼鏡をかけていた。
弔問客は『ありがとうございました』『ゆっくりお休みください』といって握手していた」




前述の専門学校のエンバーマーコースの学生はこういう体験をもっていた。
「中二のとき、友人が交通事故で亡くなったのだが、損傷が激しく『お葬式にこないで』と遺族にいわれショックだった」

遺体がかなり損傷していたとのこと。
なぜ葬儀社はちゃんと遺体を整えてあげないのか。
その怒りがこの仕事に向かわせたという。



井上氏自身が初めてエンバーミングされた遺体を目にしたとき。
「聞きしに勝る「平穏なお顔」だった。微笑んでいるとさえ思った。」





とはいえ、人間、死んでしまったあとの肉体的な「変化」は想像以上であるようだ。


「どんな亡くなり方であっても、死亡してから時間が経てば経つほど、重力の法則で血液が下に沈んでいくので、表皮、真皮とも青白くなる。
死後も髪の毛は伸びるといわれるが、皮膚が収縮していくから髪が伸びたように見えるだけ。
死体は決して美しいものではない。」



そして、不慮の事故で亡くなった遺体は筆舌に尽くしがたい。


ある葬儀社の社員。
「酔っ払ってお風呂に入った遺体でした。
肉が溶けて茶色い油が浮いていた。鼻をつく強烈な臭い。腐った魚の何十倍も臭かった。室外に出て何度も吐いた。
刑事が髪の毛をひっぱったとたん、ズルッとまるごと抜け落ちた。」


腐乱死体を警察の安置室に運ぶのは警察の仕事だが、警察から仕事をまわしてもらうために葬儀社がサービスするのが業界の常識だとのこと。



「放置状態の遺体に蛆虫がわくのは早い。
産卵期間が半日から1日。産卵から12日で成虫となり、寿命は1カ月。その間に4、5回、1回につき50〜150個産卵する。
「死亡推定時刻は死んだ蛆虫の量を目視し産卵から羽化まで何回転しているかによって割り出される」



冷静に考えれば、死体がきれいなままでいつまでも存在するわけがない。
路上ではねられた小動物も、数日後には異臭を放ち、目を覆う惨状である。

それが人間なら…。
そしてその遺体を見るだけでも辛いのに、それを修復するなど…
なかなか想像できない。
しかし、そういう技術者が存在するからこそ、遺体の「尊厳」が保たれているのだ。





取材対象者がよく口にするエピソードに東日本大震災がある。

「18歳女性でした。
全身がガスでパンパンに膨張している。胴体にも手足にも表皮はなく、真皮がむき出し。せめて顔だけでも。血の塊を取り除き、コーディング剤をかけ、パテで鼻を作り、頬のふくらみを形成した」
作業時間は3時間。



「衝撃なんてものじゃなかった。全身つながっているご遺体はほとんどない。欠損していたり、木の枝とか鉄の棒とかが突き刺さったままのご遺体もあった。たとえようのない強烈な悪臭。」



あるとき、
「棺を開けるとご遺体の口からいきなり泥が噴出した。その瞬間、僕はご遺体に覆いかぶさった」
なぜ?
「よくわかりません。その姿を見せて遺族をこれ以上苦しめたくないと思ったんです。いや、これしかできなくてごめんなさい、みたいな気持ち」




こうしたエピソードを読めば彼らの「遺体」に対する並々ならぬ思いやりが
ひしひしと伝わってくる。




「僕ら葬儀屋は亡くなった遺族の『傘』。
深い悲しみに陥った家族がやがて一区切りついて日常にもどると、
傘なんか要らなくなる。電車の中に置き忘れられるくらいがちょうどいい」



あるエンバーマーは、
「この仕事を天職だと思っている」
「ご遺体に美を極限まで追求する喜びのある仕事に魅力を感じている」



ある葬儀社の社員。
「おじいちゃん、一緒にUSJ行こうって約束したのに。それを聞いて急いでチケットを買いに走った。棺に『天国でこのチケットでお孫さんと一緒に行ってください』。 号泣した遺族に何度も『ありがとう』といわれた」
「お葬式で一番大切なことは、遺族が大切な人と過ごす最期の時間。葬儀社は“総合演出家”だと」




また、ある火葬場の職員は、
「火葬場は遺体の処理工場にならないといけない」
「機械を上手に運転する、黒煙を出さずにまんべんなく燃焼させることが、ご遺体をきれいに焼いてあげられることにつながる」



霊柩車の運転手。
「コップの水はこぼさない」
井上氏は、実際に乗って体感ゼロに驚く。

「乗った方、驚かれるでしょう?」
「いえ、ご遺族はお気づきならなくていいのです。自分の約束ごとですから」



ある復元師がいう。
「自殺したひとも、自分たちの仕事の現場を見せたら、踏みとどまったと思う」




葬送の仕事師たち…。
仕事への情熱に、言葉を失う。




井上氏はいう。
「わたしが知りたいのは、サービス業であり職人仕事であり、そして“心意気”なしではできないであろう「死」の周辺の職業人の仕事ぶりと、その思い、人間像である。」

そして、
「取材を重ねるうち、葬儀を請け負う人たちにとって、「死」は「生」と“地続き”なのだと私は感じ始めていた。」




「死」を悼むのは、こうした仕事人たちの存在抜きには語れない。



もちろん、職種は特殊ではあるが、
彼らの「遺族」への思いやりは、元来日本人が昔からもちえていたものだという。



ある葬儀社の社員が“村八分”の話を例に説明する。
「出産とか成人式とか病気の世話とか地域社会で助け合う十項目(村十分)が決められていた中で、掟破りした家はつきあいが絶たれる。しかし、二項目つまり二分だけは許した。
葬式、火事」

「あの世に行く人はもう除けものではない。みんなで送りだしてあげようという、日本社会の根底に温かさがあった。」



ある火葬場の職員はこういう。
「火葬炉の扉を超えたら、家柄も血筋も辛いことも楽しいことも全部過去になる。お金持ちも貧乏人も名声のあった人もなかった人もみんなすべて平等に無になる」

ちなみに、
「男性は若い人もお年寄りも炎の中で勃起してそれから焼けて形がなくなる。女性は乳房の大きい人はずるっと表皮が一気に剥ける」
とか。


「男は最後まで男、女は最後まで女だということか。」
そんなことはない、単なる事象だ、と井上氏はルポライターらしく自ら反論するが。

言い得て妙である。





「現生」から「あの世」へ。

そこに境目などはない。

ただ、朽ちていく人間の肉体をまざまざと見ていると、
必ずしもそうとは思えなくなるのではないだろうか。

もしわれわれが、「境目」を意識せずに
故人をあたたかい目でいつまでも偲べられるとすれば、

それは、「葬送の仕事師たち」のおかげである。






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2015年07月18日

「死ぬ」ってなに?『おかげさまで生きる』




『おかげさまで生きる』(矢作直樹/幻冬舎)


矢作直樹(やはぎ・なおき)
1956年神奈川県生まれ。81年金沢大学医学部卒業。82年富山医科薬科大学の助手となり、83年国立循環器センターのレジデントになる。同センターの外科系集中医療科医師、医長を経て、99年東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学専攻教授、精密機械工学専攻教授を兼担。2001年より東京大学大学院医学系研究科救急医学分野教授および医学部付属病院救急部・集中治療部部長となり、現在に至る。主な著書に『人は死なない』(バジリコ)、『天皇』(扶桑社)、『ご縁とお役目』(ワニブックス)など。




医療従事者、中でも救急医療に携わる医者の言葉は重い。


何度も聞いた、ありきたりの言葉であったとしても、
「生と死」の境目を常に見続けてきた彼らから発せられる言葉には
飾りがない。



長年にわたり、その手で死を扱ってきた著者の矢作氏はいう。
「生と死の境目は誰にもわからない」



「人が社会復帰できるくらい、後遺症もなく助かる時間の限界は10分間と言われます。その10分間に、生と死の境目があるのです」


矢作氏は、あの世を信じる。
そして、目に見えない、大いなる存在を信じる。




「生と死の境目は神のみぞしるボーダーライン」

「それは私たちの目には見えない『大いなる存在』の領域で起きている現象であり、
何か人智を超えた力によって私たち人間が生かされている、見守られている証拠であると感じざるを得ない」




矢作氏は、じつは幼少のとき、「死」を意識する体験をしている。




小学校3年、江の島に自転車で行った帰り道、車に跳ね飛ばされた。


頭から道路に落ちたせいか記憶がないという。

退院時に主治医が「小学校を卒業するまでに亡くなるかもしれない」と母に告げた。
「そのときの母の厳しい表情はいまでも覚えている」





矢作氏の「死」の体験はこれだけではない。





35年ほど前、登山中に二度滑落した。

一度目は1000m、東京タワー3つ分の距離を落ちたにもかかわらず、助かった。

そのとき、「もう山には来るな」という不思議な声を聞いた。


「自分が生き残った理由はわからないが、仮に大きな力が働いたとするのなら、
それは『おかげ=御蔭』という言葉に象徴される超力だと感じる。」
という。


「私たちを生かしてくれる大いなる存在、大いなる意思のおかげによって、私たちは今日も朝日を浴び、ご飯を食べ、帰って寝る家があり、皆と寝る家があり、皆と語らえるのだと、私はつくづく感謝します」




「死」を意識する、貴重な体験に裏打ちされた矢作氏の「おかげ」の考え。
説得力がある。




「あの世」があるかどうか、誰もみたことがないから、本当にあるのかどうかはわからない。
しかし、矢作氏は「あの世」を信じることのメリットを説く。


「人は死んだら終わりだと考える人にとって、死が遠い存在となってしまうことはありがたいこと。
あの世を信じない人にとって、死ぬことほど怖いことはない。彼らにとって死とは、まるで人生という土俵から突き落とされるようなイメージでしょう。」




あるのかないのか、それはもはや問題ではない。
どうせ生きているうちに確かめるすべはないのだから、
メリットがある解釈をしたほうが、都合がいい。


つまり、あの世は「ある」と。

そう考えると、確かに、背負っていた不安が、するっとなくなった。




「死」に対する不安は払しょくしようがないし、
「死」は誰にもひとしくやってくる。

それは防ぎようがない。
防ぎようがないのに、少しでも「死」を遠ざけようと、無駄な努力をするのはいかがなものか。




「医師や薬がどんな病気でも完全に治すわけではないし、永遠の寿命はどこにもない。この言葉が本当に理解できるのなら、私たちがやるべきことはたったひとつ。
それは、全力で今を生き、今を全力で楽しむこと」

そして、「生きている」ことへの感謝を常に忘れぬこと。


「生きていることは当たり前のことではない。さまざまな要素、奇跡的な巡り合わせが重なった結果、私たちはこうして生きている」






「私たちはどこで死ぬのかわかりません。どこで亡くなるにせよ、私たちは人間です。どこで死んだのかというその状況に違いはありません。
だからどこで死のうと、自分は自分なのだという気持ちをいつも持っていてください」

「あの世」へ旅だったら。

「残った方の務めは、亡くなった方が遺した歴史を振り返ること、自分とその方が共有した時間を思い出すこと、旅立つ方の晴れ晴れとした気持ちを、静かに実感してあげてください。」




いつ死ぬか。
それは誰にもわからない。
知っているのは、「大いなる存在」だけ。

いつ死んでもいいように、常に「覚悟」をもっていることが大切だと、
矢作氏はいう。



「本能寺で、側近の明智光秀の軍勢に囲まれた織田信長は『是非に及ばず』と言い遺したそうです」
「是非に及ばず」=しかがたない。


そのときがきたら、腹をくくるしかない。



「人生の岐路に立たされたとき、是も非も及ばない状況に自分が直面したとき、しかたがないという言葉が発動されるか否か。わたしたちが覚悟を持って生きているかどうかが試される瞬間です」



いよいよ、「死」が近いことを実感する年齢に達したとき。
なにが必要か。


「本来は欲を手放す時期に来ているわけですが、逆に欲にからめとられる人がたくさんいます」
「よこしまな欲望で大きな代償を払い、晩節を汚すことのないよう、落ち着いて行動したいものです」


「欲の整理は生前整理。物事の締めくくりをすることを「始末する」といいますが、欲の整理はまさに人生をきちんと始末することにほかならない」

「あの世に持っていけるもの、それは様々な経験を通して得た記憶だけ」



もっていけるものは限られている。
本当に自分が必要なものを見極める作業。

それが「欲」の整理だというわけだ。



欲の塊と化したわたしのような人間は、どうすればいいのか。


「いきなりすべての執着を捨てることは無理ですが、年齢を重ねるごとに逆にエイジング(加齢)を楽しむ余裕をもつことは、そう難しくない」


「年収はこれぐらい、会社や学校は絶対休んではいけない、家事は女性がやるべき、結婚しないといけない、何かひとつだけ、あなたが持つしがらみ、譲れないと思っている考えを手放してください」




そして、不必要なこだわりにがんじがらめになった人生を見直すことが大切だともいう。




「実はどうでもいいこと、と考えて、自分を思い切って解放しましょう。人生で起きることは些末なこと。こうでなければいけないという生き方のマニュアルはありません」


「無理する」ということこそ、私たちを苦しめている大きな要因」

「無理せず等身大で生活すればいいだけなのに、周囲の評価や人の目をきにするあまり、自分がやるべきことを全うできず、最後はストレスまみれになって苦しむのです」


「世の中にあるすべての評価は、所詮、誰かの思い込みです」






もっとも大切なこと。
それは
「今を楽しむ。たったこれだけ。」





「今、人生が楽しければ、その人の意識は過去と比べて格段に上がっているはずです。」
「不要なもの、それが『昔は良かった』『昔からダメだった』という思い。今を楽しめると、何かと比較することがなくなります」




前述したように、
矢作氏は「あの世」を信じている。
だから「死」への恐怖はない。



「死を心配する必要なない」
「死後の世界はいつも私たちの身近にある別世界であり、再会したい人とも会えます」


そして最後に。


「でもその前にやるべきことがあります。自分の人生を全うすることです」




「おかげ」で、この世に生を受け、

「おかげ」で、いまを生きている。

あした死ぬかもしれないけれど、

そのとき、その瞬間まで、一生懸命生きて、

いよいよそのときがきたら、「是非に及ばず」と腹をくくる。




おもしろい人生でした。
ありがとう。


どうか、その言葉が自然に口から出る、人生でありますように。






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2015年06月21日

「死ぬ」ってなに? 心の到着を待つ旅を!

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「死ぬ」ってなに? 心の到着を待つ旅を!




時間に追われ、というより、
先ばかりを見て走り続けている現代人。

いつかどこかで、せめて、実際的な死を意識する前に

ゆっくりと立ち止まり、振り返る余裕があってもいいと思う。


そうでなければ、せっかく生きてきた何十年間が、
無意味になる可能性だってあるのだ。

目前に迫った「死」ばかりに目を奪われ、
自分が歩んできた道程のことなんか、すっかり忘れてしまったら、
それこそいったい自分の人生はなんだったのか。



猛スピードで駆け抜けた人生が、「死」の壁にぶちあたって
終わる、なんて悲しすぎる。






脚本家の倉本聰氏が、朝日新聞主宰の「ハッピーエンディングセミナー」の講演で、作家・開高健のエッセイを紹介した。




「パリの空港でひとりの旅人が疲れ果ててトランクに腰をおろしていた。

空港の係員が心配して、「どうされましたか」と聞くと、

「今、遠くから到着したとこなんですが、体は到着したんですが、

心が到着いないんで、今、心の到着をここで待ってるとこなんです」




倉本氏はいう。
「僕らは今あらゆることに追われに追われて、どんどん前へ進み出ちゃってるけど、本当に心がそれについていってるんだろうかっていうことを、常に危なく思います。
みなさんもたまにはトランクに腰を下して、
心の到着をお待ちになったらいかがでしょうか」




人生はよく旅にたとえられる。

ずっと旅をつづけているとくたびれるし、
せっかく旅を続けていても急ぐ旅ならあまり得るものは少ないかもしれない。


ある程度の年齢にさしかかったら、
無理にでも足を止め、立ち止まり、振り返るの余裕がほしいものである。





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2015年06月13日

「死ぬ」ってなに? 『詩と死をむすぶもの』




『詩と死をむすぶもの』(谷川俊太郎・徳永進 朝日新聞出版)


谷川俊太郎(たにがわ しゅんたろう)
1931年東京生まれ。詩人。
1952年第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行。 1962年「月火水木金土日の歌」で第四回日本レコード大賞作詞賞、 1975年『マザー・グースのうた』で日本翻訳文化賞、 1982年『日々の地図』で第34回読売文学賞、 1993年『世間知ラズ』で第1回萩原朔太郎賞、 2010年『トロムソコラージュ』で第1回鮎川信夫賞など、受賞・著書多数。 詩作のほか、絵本、エッセイ、翻訳、脚本、作詞など幅広く作品を発表。 近年では、詩を釣るiPhoneアプリ『谷川』や、 郵便で詩を送る『ポエメール』など、 詩の可能性を広げる新たな試みにも挑戦している。


徳永進(とくなが すすむ)
1948年、鳥取県に生まれる。京都大学医学部を卒業。京都、大阪の病院勤務を経て、鳥取赤十字病院の内科医に。2001年12月、鳥取市内にてホスピスケアのある19床の有床診療所「野の花診療所」を始める。1982年、『死の中の笑み』(ゆみる出版)で、第4回講談社ノンフィクション賞を受賞。1992年、第1回若月賞(独自の信念で地域医療をしている人に贈られる)を受賞。
著書には『死のリハーサル』(ゆみる出版)、『話しことばの看護論』(看護の科学社)、『やさしさ病棟』(新潮社)、『隔離――故郷を追われたハンセン病者たち』(岩波現代文庫)などがある。


野に咲く花のように自分らしく生き、自分らしく死ねる。そんな願いを実現したくて、長年務めた大病院を辞め、「野の花診療所」を開設した徳永医師が、
死を目前にしたひとたちを目の当たりしながら綴る臨床エピソードを手紙に託し、
それに詩人の谷川俊太郎氏が詩と散文で応えたものをまとめた往復書簡。



一読して、死におびえ、死を受け入れ、家族や自分と葛藤続ける患者の生々しい姿が
目の浮かび、魂をゆさぶられた。






徳永医師は、そう遠くないころに旅立たれる患者が、友人と、あるいはひとりでウイスキーでもワインでも冷酒でも、口に運んでもらえたら、
病院内にラウンジを設置した(この診療所ではアルコールもたばこもOK)。

いざそういうときになると、多くのひとは、グラスを傾けるということはない、ことを知るのだが…。



そのラウンジではたびたび「お話し会」が催される。
語り手は入院患者。
元気だったころのことを、ポツリポツリと話す。
空襲の話だったり、元教師が「奥の細道」の授業をやったり。


「ラウンジではソファーだけでなく、身近な人に寄りかかるのもいいのではいかと思います」
「『死』に寄りかかるのも悪くないと夢見ます。ぼくは死を権威だとは思っていませんから」(徳永氏)



死を目前に控えた患者を前に、徳永氏は思う。
臨床とはなにか。

ある患者が亡くなり、娘が死後の処置をしているとき。

「お父さんは痛がりで、三途の川を渡るとき痛がりませんか。」

「だったら悼み止めのボルタレン坐薬入れてあげましょうか」

「看護師さん、もうひとつ入れてくださいませんか、ほんと痛がりだから」
看護師は、娘の願いを聞いてもうひとつ坐薬を入れた。


なんともユニークなエピソードである。
死んだ患者に痛み止めの薬を処置する、世界でもこの診療所くらいではないか、と徳永氏。

一見合理性を欠いているように映るが、家族の、医療者の患者への愛情がひしひしと伝わってくるエピソードだ。



またあるとき、刑務所に入っている子供が死が近い父親と面会するために異例の一時出所が認められた。
もちろん刑務官同行で。
とはいえ、面会時間は限られている。できうることなら、面会中に亡くなってくれたら、と徳永氏は奔走する。

「患者さんが亡くなったのに、『死が間に合ってよかった』と思った。そういう感慨は、初めてだった。」
「死を避け生を招こうとした医者は、瞬時に生を避け死を招こうとする」
「臨床ってなんだろう」





また、診療所には、さまざまな家族問題を抱えているひとたちも多い。

「死を前にして大切なことは、心のわだかまりが融解していること、だと思う」
「自分が赦されている、と感じる中で死を迎えることができると、やすらかな死を迎えやすい」
「生きているときも心のわだかまりはあるけど、死を前にすると、そのわだかまりがくっきりと浮かんでくる」



しかし、なかなか人間、赦されるものでないらしい。

「いくら死が来るからといったって、だから〈なかなおり〉ということにはならない」


「和解には3つある。家族や友人との和解、神や宇宙との和解、そして自分自身との和解。最終的には誰もが自分との和解ができるかどうか、が問われているのだろうと思う。人生はそこにかかっている」

「死を忌まず厭わず穏やかに受け入れられたら、それが宇宙との和解ということになるのでしょうか」





そして、「臨床」には限界がある。

「臨床はハッピーエンドを求めてはならない。あるがままでいいでないいか、とこのごと思う」

「臨床に残る1つのカットが、なんだか浮かんできた。医療者が亡くなったひと、横にいる家族のひとにペコンと頭を下げ、家族の人がペコンと頭を下げる。たったそれだけのカット」






さて、徳永氏、俊太郎氏の死生観は。


徳永氏は。エリザベス・キューブラー・ロスの話を紹介する
キューブラー・ロスは、死と死ぬことについての画期的な本(『死ぬ瞬間』)の著者である。

エリザベス・キューブラー・ロスが、小児がんの子供から、死ってなにと質問され、こう答えた。
「水平線に舟が浮かんでいる。舟が水平線の向こうに行くと見えなくなる。舟はなくなったのではなく、ただ見えなくなっただけ。死もその舟みたいなもの」

「いい答えだな、と感心する」(徳永氏)




俊太郎いわく。
「人間はみな死に向かって生きているわけですから、生と死の境界を断絶というふうにとらえなければ、この今に死後が含まれていると考えてもいいのではいでしょうか。」



では「死」とどう向かい合えばいいのか。

末期のがんの場合、いまは命をあきらめやすらかに逝くというの主流になりつつあるという。

「大切なことは、どちらか1つの灯台だけを見つめるのでなく、『あきらめない灯台』と『あきらめていく灯台』の相反する灯台を見つめながら、患者さん、家族とともに潮の道を進むこと。振り返ったとき、潮の道は初めて見えるが、どんな道になるのかは不明。ひたすら、ともに。2つの灯台を見て進むしかない」



本人が、家族がどうしたいのか、医療者はただ、彼らに寄り添うだけ。



「死が来るのを待つという発想より、日々死に向かって歩むという発想のほうがすこやかな感じがする」



「子供たちがみずから風船となって空へ、宇宙へのぼっていくイメージは美しい。死が私たちを天国や地獄に閉じ込めるものではなく、私たちを未知の宇宙へと解放してくれるものだということをぼくも信じたい」


「死を待つ」のでなはく、「死へ向かう」。

未知の世界へ解放される…。




一瞬にして、死生観が変わった気がした。




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2015年05月16日

「死ぬ」ってなに?『悼む人』






『悼む人』(天童荒太/文芸春秋)

天童荒太(てんどうあらた)
1960年、愛媛県生まれ。 86年に『白の家族』で第十三回野性時代新人賞を受賞。 93年には『孤独の歌声』が第六回日本推理サスペンス大賞優秀作となる。 また、96年には『家族狩り』で第九回山本周五郎賞を受賞。 2000年にはベストセラーとなった『永遠の仔』で第五十三回日本推理作家協会賞を受賞。 そのほかの著作に『あふれた愛』、『包帯クラブ』、画文集『あなたが想う本』(舟越桂と共著)、 対談集『少年とアフリカ』(坂本龍一と共著)などがある。


主人公・坂築静人は不慮の死を遂げた人々を“悼む”ため全国を放浪する。
見ず知らずの人間たちが亡くなった場所を調べ、近隣住民に「その人は誰に愛され、誰を愛し、どんなことをして人に感謝されたことがあったか」と聞いて回り、亡くなった場所で片膝をついて不思議な動作で“悼む”。その姿は、あまりにも奇異に映りうとまれ、時には警察に連行されたりもするが、それでも静人は粛々と“悼む”旅を続ける。




「なぜそんなことをするのか」
作中でたびたび「静人」は質問される。そのたびに一生懸命、自分なりの答えを伝えるのだが、それは明確な輪郭をもたないもやのようにぼんやりしていて読み手にも判然としない。
そのあいまいさが、「死」のとらえどころのさなを表現しているように思えた。




ふつう、亡くなった人間を悼むのは遺族や知人たちで、少なくとも亡くなった本人と縁もゆかりもない人間は悼んだりしない。
だから「静人」の行動は「奇異」を通り越して「嫌悪感」さえ覚えてる。
なにか怪しい宗教関係者とか、精神を病んでいたりとか、通常の感覚を逸脱した「異常者」に映る。

しかし、冷静に考えれば、「静人」の行為はふつうではないにしても、決して非難されるべきものではない。
むしろ、「悼んでくれてありがとう」と感謝されてもいいくらいである。
でもそうはならない。確かに、もし自分の近親者が亡くなり、見ず知らずの人間が突然やってきて、亡くなった場所で勝手に祈っていたりしたら、「迷惑」であり真意を疑る。
なにが目的なのか。そう、つまり「悼む」にも「目的」が必要なのだ。必要だと感じているのだ。

この世に生をうけ、生きて、死んでいった人間を「勝手に」悼んではいけないのだ。


なぜ天童氏は「静人」という主人公を登場させたのか。
きっかけになったのは9.11テロだという。

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あるインタビューでこう答えている。
「シンボル的な数字で言えば9.11より10.7。報復的な攻撃の日です。やられたこと以上に、やり返したことに対するショックの方が、僕には大きかった。あれだけの人が死んだのに、その死をみんな本当に悼んだのだろうかと。悼む間もなくやり返し、いたずらに死者を増やした。しかも、やり返した国はキリスト教を信じている国です。キリストはそういう報復を許さないはずなのに、強い信仰を持つ国がやり返し、ほとんどの国民がそれをよしとした。反対したのは実は被害者の遺族たちだった。」


目には目を。死には死を。
そこに、死んでいった人間への思い(敵対相手への)は決定的に欠如している。


日本人とて例外ではない。
「日本人の中にも9.11の被害者がいたけれど、当時の日本の政治のリーダーたちは被害者の方の名前をそらで言うことができたでしょうか。たとえば首相が被害者の方の名前を国会で一人一人読み上げて追悼することが、本当に必要なことだったように思います。実際は、報復的行動に賛同が示されるのみで追悼的な行為はなく、国民の多くもそれをおおむね許容しました。」



『悼む人』の中で、無碍な扱いを受ける静人だが、ある日、いじめがエスカレートして命を落とした障害児の母親が、静人との行為の真意を問いただしたあとでこういう。

「覚えておいてください。覚えておいてください。覚えておいてください。」


「人間が最終的に願うことの一つは、自分や愛した者のことを、人に忘れずにいてほしいということでしょう。そして、どんな人も差をつけずに悼むということは、生きているどんな人も区別せずに公平に向き合うことにつながるように思ったんです。だから、どんな死者であれ等しく、永く悼み続けてくれる人、彼こそが、僕がいまこの世界において一番いてほしい人間だと信じられ、いわば僕の最も希求するヒーロー像を書いてみようと思ったのが<悼む人>です。」


「大事件や大きな事故の被害者だけでなく、いわゆるニュース価値のないありふれた死でさえ、同等に大切に扱う心がない限りは、生きている人を差別したり、虐げたりすることもなくならないのではないかと感じたんです。そして、どんな死者であれ、誰かを愛し、誰かに愛された経験をそれぞれ抱えていて、深く悼まれるべき人物なんだという考えが日常化すれば、どんな人の命も簡単に奪ってよいものではないというわきまえが、感情レベルで人々の心に浸透していくのではないかという願いも生まれました。」

「結果的には自分自身の人生もタカをくくられるし、もっといやなのは、自分が愛した人たちのことも、いろいろあったろうとは思うけどと、タカをくくられ、十把一からげにされかねないことです。自分や自分の愛する人のことを軽く見る人物や社会のことを、誰も尊重などしないでしょう。いやな悪循環がそこには生まれ、誰もが人間というものを軽く見てしまう傾向が出かねない。命に軽重をつける癖は、生きている人にも軽重の差をつける。懸命に生きている人のことを、無名だから、ありふれているからと、タカをくくって見てしまい、人それぞれの多様性を見極める力も失せていく……。」




「読者の声として最も印象に残っているのは、多くの方が、自分の身近な人の死に対して、罪の意識を持っていたということです。もっと何かしてあげられたんじゃないか、死をくい止めることもできたんじゃないか、と苦しんでおられる。死者のことを、涙や後悔ぬきでは思い出せない人が、実際にはとても多いということにあらためて驚きました。」

「事実だけを悼むことは不可能だと、悼みを重ねるほど彼は知ってゆく。死者について語られた人生が事実じゃなくて、遺された者が美化した物語だとしても、静人はそれも1つの真実として受け入れるようになる。結局大切なのは死ではなく、生きていかなきゃいけない者たちのこと、生だと、実感してゆくからでしょう。」


死とは、遺された人間の問題。



「多くの人は、時が流れていくことで、それこそ7回忌、13回忌と重ねることで落ち着いてくるのだろうと思います。節目節目で、死者の位置を心落ち着くものに後退させてゆく。それは先人の知恵だったんだろうと思うんです。でないと生きてゆくことが難しくなりますからね。でも一方で、そこからもれている人っていうのかな、「おれは時間がやがて解決するなんてことは信じない」とか、あるいは「自分の子どもが忘れられていくことはどうしても我慢できない」という人はきっといて、そうした人に向けての言葉はあまりなかったと思うんです。僕の立場としては、大勢の人より、そこからもれる少数の方たちに言葉を届ける表現者でいい、という想いがあるんです。」





「宮沢賢治は僕の根底に存在するんです。彼の言った「幸(さいわ)い」という言葉が僕の中には常にあって。結婚すれば幸せとか、仕事で成功したら幸せ、というような単純な幸せじゃないもの――人としての「幸い」みたいなものがどこかにあると思っているんです。死という限界を常に抱えている人間にとって、本当の幸いってなんだろうか、とよく考えるんですよね。」



もし、「静人」みたいな青年が実在するとしたら、それはどれほど励みになり、癒されるか知れない。
他人だからこそ、「悼む」行為に特別な意味が出来する気がする。

自分の「死」にこだわるばかりではなく、すべての「死」に想いを馳せることが、ひいてはいつか訪れる「自分の死」を静かに迎えらるのでないだろうか。


読後に、何か、清涼な水に満たされるような気がした。
第140回直木賞受賞作。
ぜひご一読いただきたい一冊である。








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2015年05月09日

「死ぬ」ってなに?『わらじ医者』が「死の怖さを知りました」

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『わらじ医者』が「死の怖さを知りました」



「先生」と呼ばれる立場の専門職は数あれど、いのちを預かる医者へのリスペクトレベルはおそらくダントツ一番であることに異論はないだろう。

なんたって、学校の「先生」にはいくらしかられても鼻くそほじほじしながら聞き流してもへっちゃらだったが(たぶん)、医者の「先生」に不養生を叱責されたりした日には、お白州に座る罪人ごとく、こうべを地面にこすりつけて「へへへへーっ。あいすみませんでごぜえますだー。金輪際二度とこのような過ちはいたしやせんですから、どうかお命だけはー!」とひれ伏してしまう。

じっさい、診察室のドアを開けて入室するときの緊張感といったら、尾崎豊の『15の夜』ごとき反抗心むき出しで学校の職員室に入室するとき(想像!)とはまったく比較にならない(だろう)。

ドアを開け、おごそかに「よろしくおねがいいたします」と頭をさげ、退室するときは50度体をまげて「どうもありがとうございました」と丁重にお礼を口にする。
ご高齢のおばあさんが、露骨に迷惑そうな顔の「先生」の手をおかまいなしにぎゅぎゅーっと握りしめて何度もお礼をいっているシーンを目撃したこともある。
もちろん、わたしだってシチュエーションによっては押し倒してお髭に頬ずりすることもあるかもしれない。


医者の「先生様」の威厳は相当なものである。
その威厳は白衣を着て偉そうに見えるという「見てくれ」の話しではなく、膨大な知識と経験に裏打ちされたものであることは周知の事実であり、だから、どんなに金持ちだろうが、権力者だろうが、『15の夜』を地でいく反抗心むき出し少年だろうが、医者の「先生様」の前では赤子のようにおとなしくなる。

そんな威厳の「権化」のような存在の、しかも名の通った「先生」が、だから、ガンを患い「死ぬのがこわい」と駄々をこねたという話を聞いてかなりショックを受けた。


早川一光(はやかわかずてる)先生。御歳91歳。
記事が掲載された京都新聞によると、早川先生は、戦後間もない時期から堀川病院(上京区)の前身となる診療所の設立に関わり、西陣地域の医療の充実に力を注いだ。「わらじ医者」と慕われ、テレビドラマのモデルになった。老いや認知症を取り上げた著書も数多い。KBS京都のラジオ番組に28年にわたり出演し、講演も精力的にこなしてきた。

その先生が、血液がんの多発性骨髄腫に罹患した。抗がん剤治療を続けながら、右京区の自宅で闘病生活を送っている。

「多くの人をみとり、老いや死について語ってきたはずだった。しかし、病に向き合うと一変、心が千々に乱れた。布団の中では最期の迎え方をあれこれ考えてしまい、眠れない。食欲が落ち、化学療法を続けるかで気持ちが揺れた。『僕がこんなに弱い人間とは思わなかった』。長年の友人である根津医師に嘆いた。」

「根津医師には時に患者としてのつらさを、時に医師の視点から治療への疑問を率直にぶつける。ある日、こう投げかけた。『治らないのに鎮痛剤で痛みを分からなくするのが今の医療か。本当の医療とは何や』」
根津医師は答える。
「在宅医療では痛みや苦しみを取ることしかできない。でも、それは生活を守ること。患者のつらさを少しでも和らげる。早川先生自身もやってきた医療ではないのですか」

のちに、早川先生も達観する。
「どうせ避けられないさんずの川や。上手な渡り方を勉強し、みんなに評価を問う。それが僕のこれからの道やないか」



医者は、最期まで患者の病気と格闘する。治療を放棄することは「敗北」と感じる風潮があるという。

長年医療に携わってきただけに、いざ自分が患者の立場になってみると、不安と根治の見通しが立たないことへのいら立ちはさらに大きなものになるのかもしれない。

90歳を超えても「死」の恐怖からは逃れなれないのだ。



冒頭で、医者「先生」の前では「へへへーっ」とひれ伏すと書いたが、しかし、もし「あたなはもう手の施しようがない」と宣告されたら。
そのときは「ええええーっ!」と叫んで、逆に行き場のない怒りの矛先となってしまうかもしれない。


どんなにご高名なお医者様もひとりの人間であるし、医療には限界がある。
早川先生のエピソードはそれを改めて実感させてくれた。


けっきょく、最期は「お医者様」の出番はない。
「お医者様」のいうことはよく聞き、それでいて「お医者様」にすべてをゆだねるのではなく、自分で自分の体や病状と向き合うことが大切であろう。



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2015年03月29日

「死ぬ」ってなに?『こだわらない練習「それ、どうでもいい」という過ごしかた』





『こだわらない練習「それ、どうでもいい」という過ごしかた』(小池龍之介/小学館)


小池龍之介(こいけ りゅうのすけ)
僧侶。1978年生まれ。山口県出身。月読寺(神奈川県鎌倉市)住職。 正現寺(山口県山口市)住職。東京大学教養学部卒。 現在は、自身の修行のかたわら、月読寺、正現寺、朝日カルチャーセンターなどで、一般向けに坐禅指導を行う。主な著書にベストセラー『考えない練習』『苦しまない練習』などがある。



こだわりとは、個性にエッジをかける重要なファクターだが、ときに自分の足首にまとわりつく鎖になる。
というより、こだわっている「自分らしさ」なんて、本当はどこまで「自分自身」が理解しているかわかったものではない。まして他人から「あなたらしくない」といわれる筋合いでも毛頭ない。

…のだが。

長年生きながらえていると、いつのまにか「自分らしさへのこだわり」が凝り固まって、自分(本当にそうかは疑問だが)や友人知人が作り上げた「らしい自分」を演じざるをえないことになっていることにはたと気づいて、「???」という疑問符が頭に浮かんだりすることになる。


小池龍之介氏は、そんなうわべだけの「こだわり」を捨てることで、「自分」から解放され、楽な気持ちで生きていける、と説く。


なるほど、そうかもしれない。と思いつつ、ではそう簡単に「こだわり」なんて捨てられるのだろうか、と疑問もわく。

コツコツと貯金してきた大切なお金をぽいと捨てるような、いいか悪いかは別にして一生懸命(ときにはお金をかけて)作り上げてきた「自分」を捨てるようなことができるのか。

捨てるとどうなるのか。

「何者でもない自分」が残る。
そのとき初めて、「自分らしく」生きられるという。


歌手の浜田真理子氏の歌をふと思いだした。
彼女が彼にいう。なにかになりたいとあなたはいうけど、なんでもないあたながただ好き。
「なにか」になってえらくなり、自分を高め、お金持ちになって、そこでようやく彼女(=世間)に認められる、そう「錯覚」しているのだ。
こんなふうに書いている今の自分は納得しているけれど、果たして自分の身に置き換えると、これがまた自分ではわからないから困ったものである。

「なにか」の目的をもって努力し自分を高めることは決して悪いことではない。
ただ、「なにかになることにこだわる」あまり、それだけが目的化して、「本当の自分らしさ」がおざなりにされているんじゃないか、と小池氏は警鐘を鳴らす。



「こだわり」は個性でもあり、ひとによってまちまちである。
小池氏は、
「自分が何にこだわっているのか、に気づきを向けてみることが第一歩」
という。


なぜ、「こだわり」が悪いのか。

「こだわりが強ければ強いほど、周囲の人々や、世界の出来事に接するたびに“不快”な身体感覚を味わう回数と強度が、パワーアップしてしまうのです」

「“快”を感じると、それを繰り返したいという欲望が生まれ、そしてなおかつ、自分の欲を正当化するような形で、考え方や生活スタイルを選ぶようになる。“快”を感じるパターンが固定化し、考え方やスタイルが凝り固まってしまう」

「快を喜ぶとそこに執着が生まれ束縛されていく」というのだ。


小池氏は、心理の錯覚にも着目する。
「あの人が一緒にいたら喜ぶだろうなあ」
誰しも恋愛真っ最中のときにこんなことを考えるだろう。
しかし、
「このしっとりした感情は『良い』と思ったことを相手と共有することで自分を納得させ、喜びを増幅させたがっている」
「友や恋人をダシにして、自分の好きなことの正当性を確認したいだけなのでは」


また、
「人を救いたいという欲望は、不安定な自分の内面から目をそらし、『自分は立派な存在なのだもの』と自己暗示をかける効果がある。」

「友人が欲しいという欲求は、友人そのものを求めているというより、友人を踏み台にして自分のかけがえのなさを確認したいという、自我の牢獄の中での独り言になってしまっている」


いやそんなことはない、と思わず反論したくなるのだが、でもそう言われるとそうかもしれない。


「ブッダが説いているように、あいにくこの世の生き物は例外なく、自分自身のことが一番好きなナルシスト。それゆえ、自分を有能だとか魅力的だとか感じることによってこそ、最大級の快感を得るようにできている」


自己犠牲の精神も、裏を返せば自己の欲望達成のための手法に過ぎない、というわけだ。


わがままで自分が大好きな私たちニンゲンは、ではどうすればこの「呪縛」から逃れられるのだろうか。


「たとえどんな嬉しさの波がやってきても『ああ、これもまた流れ去る、諸行無常』とつぶやきながら受け流す。その瞬間をしっかり味わいつくして執着しない」

すべては一期一会。



「朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。自分がちょっと若かろうと、老いていようと、そんなことはまったくもってどうでもいいことのように思えてきませんか」

「どうせもうすぐ死ぬのだ」と思ってみると、いつまでも生きることを前提に「こうしなきゃ」と思いこんでいたことのいつくかが、やらなくてもいいように感じられる。」



「ありがとう」の言葉にも手厳しい。


「相手が私たちの親切さを当然のように受け取っているのをみて『感謝が足りない』と感じるとき、実はもともと、感謝という名の対価をたっぷり見返りとして要求していたのだとわかる」
「だから、わたしは他者に何らかの親切をしても、『ありがとう』と言われることをあまり望んでいません」

「ありがとう」の交換行為にこだわるのなんかやめにして、もっと風通しよく生きてまいりましょう」


「ありがとう」を乱発してはいけないし、求めてもいけない。




「不平等だ、許せない」という不平不満を持つ場合は、十中八九、自分が不利な立場に立っている側の者であったことを思い出せる」
「不平等だと言って怒っているのはいつだって負けている側であって、負けた者の逆恨み的な性質がある」
「そもそもこの世は不平等にできている。生まれつき顔の端正な人もいれば醜い人もいる。生まれつき、頑丈な人もいれば、虚弱体質の者もいる。生まれつき頭脳明晰な者も、頭の回転がぼんやりした者、富める者も貧しい者もいる」
「その不平等さの中でいかに調和して仲良く暮らしてゆけるかが大事」



小池氏が説こうとしているのは、消極的ニヒリズムではなく、積極的ニヒリズムなのだろう。人間の本質を理解し受け入れ、そして前向きに生きていく。


社会ルールについても、
「私たちが何らかのルールに従うようになる最初の動機は、その大部分が他人から非難されずに受け入れられたい、承認してもらいたい、評価してもらいたいという自己保身に基づいている」
「ルールとはそもそも、他人に守らせるものではなく、守りたい人が自分に課すもの」



当ブログのこだわりである「死」について。

「自分の死後の肉体をどう扱うかについてこだわることは、ものすごく無意味なこと」
「死後の肉体がどう処理されたかを私たちは知ることはない」
「死んだら肉体や骨は単なる物体になる、というのが仏経本来の考え方」
「『迷惑をかけたくないから』という独りよがりな決定をするより、『あなたたちに任せて私は逝きましょう』というこだわらない態度こそが、自他ともに心安らかなのではないか」


「死」へのこだわりを捨てる、それこそが当ブログの究極の目的である。
そして、「死後」へのこだわりは引いてはいまを楽に生きることにつながるとは思うが、過剰なこだわりは返って自分や周りの人間を苦しめることにもなるだろう。




小池氏が提案する、もっとも簡単な「こだわり」の捨て方。
それは「旅」。


人間は、「親」「子」「恋人」「友人」「地位」といった役割を演じ、仕事を成功させようとし、趣味を磨き、アイデンティティを守ろうとするだが、
「旅に出て『○○な自分』という自我のパーツが使用不能になったとき、不思議な解放感を感じる」
「いやなことを忘れる旅もある。しかし、『好きでたまらず執着していること』を忘れるためにこそ、旅に出ることを提案する」
「もしそれがなくてもだいじょうぶ」という強さを宿すことが大切。」




「こうありたい」ではなく、「ただただ、今、この瞬間、こうある」という、自らの存在のリアリティに触れる。」
「一瞬のリアリティの中で私たちは美しくも醜くもなく、優れても劣ってもおらず、ただ、何者でもない」


アタマでっかちになり、知らず知らずに自分で自分をがんじがらめにして、結果的に生きづらさを感じてしまう。
過去や未来への「こだわり」を捨て、「今」だけに「こだわり」ながら、うわべだけの虚構の世界の本質を見抜く力を養う。

死ぬ瞬間まで、そんな達観した境地にはたどり着けそうにないが、少なくとも常に「自分の本音」に耳を傾けて生きていこうと思う。







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2015年02月22日

「死ぬってなに?」『アルピニズムと死』





『アルピニズムと死』(山野井泰史/山と渓谷社)




山野井泰史(やまのいやすし)
1965年東京生まれ。単独または少人数で、酸素ボンベを使用せずに難ルートから挑戦しつづける世界的なクライマー。10歳から登山を始め、高校卒業後、数々のクライミングを実践。1990年、フィッツ・ロイでの冬季単独初登攀を成功させる。1994年、チョ・オユー南西壁を単独初登攀。2000年にはK2の南南東リブを単独初登攀。2002年にはギャチュン・カン北壁登頂後、悪天候のなか奇跡的に生還する。凍傷のため手足の指を計10本失うが、2013年にアンデスのプスカントゥルパ東峰南東壁を初登攀。著書に『垂直の記憶』(山と渓谷社)


一読して、『グランブルー』という映画が脳裏に浮かんだ。

天才ダイバー、ジャックマイヨールがモデルのこの作品、主人公マイヨールは海とイルカに魅せられ、あまりにも好きすぎて、ついに最愛の彼女とそのお腹にいる自分の子供を置きざりにして真夜中の暗い海の底に潜っていく。

地上より海の底を泳いでいることに至福の喜びを感じる主人公に、基本的に海がコワいわたしは狂気めいた恐ろしさにおののきつつも、“獣的”本能から逃れられないやりきれなさに共感した。

ロマンチックにいえば、それは「恋」に似ているのかもしれない。
忘れようにも忘れられない、寝ても覚めても頭から離れず、あまりのせつなさに精神にまで異常をきたすこともある、あの妙な「病い」。



山をこよなく愛する世界屈指のクライマー山野井氏は、間違いなくこの「病い」にとり憑かれたひとりであろう。

ただ、山野井氏は山が好きというだけではない。
山が好きというだけなら、山に山小屋でも建てて住めば希望は満たされるはずだ。

彼が山に魅せられたのは、山には常に「死」があるという点である。


同書のテーマは「なぜそんな危険な山に登り続けるのか」そして「なぜ死ななかったのか」。


「小さな山、失敗した山などを入れると年間平均70回ほど山にでかけている。40年に2800回以上、もしかしたら3000回ちかく登りに出かけ生きて戻っていることを意味します」

山にいなくても次のクライミングの準備なりで、ある意味、「常に山に登っている」わけだ。後述するが、寝ているときも山を登っている姿を想像するという。
海にとり憑かれたマイヨールが「海人」だとすれば、まさに「山人」。




山野井氏が登る山は、トレーニングを除きほとんどがビッグウォールと呼ばれる岸壁である。
しかも僻地だったり、吹雪が吹き付ける冬だったりと、登山条件は過酷を極める。
当然、常に「死」と隣り合わせなのだ。


ある新聞に「天国に一番近い男」と書かれ、仲間からは「生きていることが不思議だ」といわれる。
ただ、いまだに死んでいない。
本人も自問する。
「危うい場面に何度も遭いましたが、なぜ今まで死ななかったのでしょう」



中学生のころ、貧相な装備しかなく大人に怒られると思い、それでも人に見られることなく、何の気兼ねもなくロッククライミングに挑戦したくて、鋸山の岩場にひとりで出かけ、落下し大けがをした。

国内ですでに大きな岩場をいくつも経験しロッククライマーになっていた17歳のとき、伊豆の城ヶ崎でまた大きな落下事故。

その1年後、同じ岩場でクライマーの死亡事故に遭遇する。
「目の前でクライマーが死んでいく姿を見たのはショックでした」


自ら「死」を体験してきた山野井氏。決して危険や「死」に鈍感なわけではないのだ。
ただ、常人とはちょっと違う。
思いだしたくもないであろう、あの城ヶ崎。
それでも
「冒険的なドキドキするようなクライミングが楽しめる伊豆の城ヶ崎が一番好きなエリア」だという。




山野井氏の山への情熱と「死」の回避術は、難攻不落の岸壁を征服していくたびに醸成されていく。


1988年、カナダ北極圏バフィン島。世界でも有数のビッグウォール、トール西壁の単独登攀に成功する。
単独で僻地の大岸壁に挑む者がすくなかった時代、リスクも大きかった。
登頂に成功したとき、山頂で涙を流した。あとにも先にも山で涙を流したのはこのときだけだという。

「ゆっくり確実にやれば才能のない人間でも山頂に立てるんだ」それがうれしった。」




「あいつが一番死ぬ確率が高いと仲間から噂された」20代。
まだ若かったせいもあるだろうが、山野井氏の難敵に挑む「原点」を垣間見れるインタビューが載っている。

パタゴニアのビッグウォール、フィッツロイ登頂前のインタビュー。25歳。
「成功率はどのくらい?」
「3割くらいじゃないですか」
「ちょっと低すぎない?」
「そうですか、でも5割あったら行かないですね。もう面白くない」
「冬のパタゴニアは危険すぎないか? あまり考えていないように思えるんですが」
「いや、家ではストイックになったりしてるですよ。部屋片付けたり、エロ本捨てたり」



まさにコワいものしらずな性格がわかるが、しかし、彼の言葉の裏には「山への畏怖」と「反骨精神」が見てとれて興味深い。


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山野井氏のクライミングスタイルはあくまでもソロ。
なぜか。
「中途半端なクライマーとは一緒に組みたくない」
「単独で成功したときの達成感は何物にも代えがたい」
というのがその理由。

その一方で、恐怖感もおそらくグループで登るより大きいのだろう。
クライミング出発の前日は、
「いろいろなことが頭に浮かんでしまい、眠れなくなる」
らしい。

しかし本人いわく、
「それは自慢してもいいことなのでしょう」
「登山経験が増えるに従い、ますます想像力が豊かになっていく」

1993年憧れだったガッシャブルムW峰は途中で断念したときも、「これは日本で想像していた一部。たぶん頂上まで突き進んでいたら生きて帰れなかったでしょう」

「想像すること」がいわば危険回避につながっているというわけだ。
「でも面白いことに、頂に立つ自分の姿をなかなかうまく描けない。あえて楽しみはとっておこうという心理が働いているのかも」

またこうもいう。
「限界の一線を越えた瞬間は表現できないほどの喜びがあるが、大幅に限界を超えてまで生還できる甘い世界ではないことも知っているつもりです」



そんな山野井氏も、なんども「死」を意識する場面に遭遇している。

マナスル北西壁。
雪崩に遭遇し生き埋めになった。
呼吸はほとんどできない。
「出たいよ」「死にたくないよ」
「経験したことがない強烈な恐怖感が襲う。雪の中で命を終えることが、これほど辛いとは知らなかった。」

妻に掘り起こされ一命を取りとめる。「あと数分発見が遅れたら、僕の呼吸は止まっていた」



雪崩の恐怖体験からこんなことを考える。
「雪崩に埋まり亡くなった友人が、最期は安らかであってほしい。意識が遠のくように呼吸が停止していてくれたらうれしい。
僕にできることは、彼らの姿を決して忘れることなく、生きていくことだ。
山の死は決して美しくない。でも山に死がなかったら、単なる娯楽になり、人生をかけるに値しない。」


「死」は決してひとりだけのものではない。
山野井氏はこういう。

―もし遭難したら家族がとても悲しむよ
「でも、事故や重い病気で亡くなることと、家族の心の痛め方に違いがあるのか」
―もし遭難したら他の人に迷惑かけるよ
「でも、世の中の人の人のつながりというのはそんなものだよ」



山野井氏のクライマー人生が岐路を迎える事件が起こる。

2002年、妻とふたりでチベットのギャンチュン・カン北壁登頂成功するも、
凍傷で妻はほとんどの指を、山野井は右足のすべてと手の指を5本失った。
下山途中で眼球が凍り、視力を失う。
奇跡の生還を果たした山野井氏。
「真黒に変色した酷い凍傷のわりに気持ちは晴れやかでした。妻の表情も力を出し切って帰れた満足と安堵が見えました」
「もう、ゆっくり生きていっていいな」
ネパールの病院でそう思った。


しかし、本人もどこかで「予想していた」通り、また山に登り始める。
小指と薬指がないためうまくバランスがとれず力も入らない中、不屈の精神でポタラ北壁単独登頂に成功。
握力は両手とも27キロ、植皮した右足先はすぐ出血する。
まさに満身創痍である。
それでも彼は登り続ける。

「わずかずつですが、進歩していることが実感できる人生を再び味わえています。これはもしかすると幸運なことなのかもしれません」

どうも、山野井氏は、肉体と精神がまったく切り離されているように感じる。
そう思う事件がもうひとつ。


ある日、奥多摩湖山道をランニング中に熊に遭遇、右腕を20針、顔を70針縫う大けがをした。
顔を噛みちぎられ大出血しながらなんとか自宅に帰り、隣人に助けを求める。
家にあがると畳も絨毯も血で汚すかも」
「急な階段を救急隊員が下すのは大変だろう」といってみずから階段を下りる。道端で横になりながら、「鼻はだいじょうぶだろうか」とぼんやり思ったりする。


自分の腕や鼻や傷の深さなどは後回しで、隣家の畳や救急隊員のことを心配する。
どんな場面でもパニックに陥らず冷静で、自らの肉体をも冷静に観察できる能力。
彼が生き延びてこられた最大の理由であろう。

「医者から元の顔に近づける手術も勧められていたが、あまり気にもならなかったので、手術はしなかった。」
というエピソードからも、関心の対象が独特なのだ。


極めつきは、
「果たして僕に噛みついた熊は元気でしょうか。子熊は大きくなったでしょうか。どこかでまた会ってみたいと、密かに願うことがあります」

これは死線をなんどもくぐりぬけて生きてきた人間だけがもちえる世界観なのだろう。







「次に展開されるであろう風景にいつも期待感をもっているクライマーでありたい。山が次々に出題するパズルを素早く解決できるクライマーでありたい」
と願い続ける山野井氏。

昨今の登山ブームについて決して否定しない。むしろ大いに自然に触れてほしいとまでいう。
その一方で、
「アルピニズムは失われつつあるのだろうか。」
とクライマーに問いかける。
「どこまでやれるのか。僕はいつまでも限界に向かう道を忘れないでいたいと思っている。」


あとがきで、山野井氏は最初のテーマについて自問する。
「結局自分はなぜ死ななかったのでしょうか。」
「恐怖心が強く、注意深く、危険への感覚がマヒしてしまうことが一度もなかったことが理由かも」
そして
「山が与えてくれるすべてのものが、この世で一番好きなのです。だからこそ、今まで生きてこられたのかもしれません」



好きだからいくらひどい仕打ちを受けても、全身でそれを受け入れられる。
中途半端な興味では、あっけなくはじき返されるだろうし、限界を超えるような無理をすれば命を落とす。

「命」=人生をかけたチャレンジをし続けるためにはまずそれを「愛する」こと、それが絶対条件なのだ。熱にうなされ、行動によってしか、そも「病い」から抜け出せなくなったとき、命を賭けた一歩が踏み出せるのだ。



危険な山に挑み続けることは、決して「死に急いで」いるわけではない。
しかし、挑み続けられなくなったときはおそらく生きていることがつらいだろう。

山野井氏は、「死に場所」を心得ている、「死に場所」で「死ぬ権利」をもつ、数少ない人間のひとりである。



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2015年01月18日

「死ぬ」ってなに?『絵本 地獄』




『絵本 地獄 縮刷版』(監修・宮次男/風濤社)


宮次男(みや つぎお)
1928年6月2日 - 1994年2月20日)は、美術史家。 三重県出身。東北大学文学部卒。東京国立博物館、東京国立文化財研究所勤務。1960年「醍醐寺五重塔の壁画」(共同研究)で学士院恩賜賞受賞。77年「金字宝塔曼陀羅の研究」で東北大学文学博士。東京国立文化財研究所情報資料部長、87年実践女子大学教授。


人間が考えつくしたもっとも邪悪で身体的、肉体的に究極の恐怖を具体化した世界。

『地獄』

『ジ・ゴ・ク』

地獄におちろ〜! の、あの、地獄である。

ヒーローも悪役も、憎っくき敵対相手に対して吐く、究極の罵り。
「おまえなんか死んでしまえ〜」じゃない。
「死ぬだけではすまさん。死んだあとも苦しみ続けろ〜!」なのである。




濁音連打の音感といい、字面といい、よい子のみんなはもう泣くしかない。
いや、泣く以前に卒倒するかもしれない。

それほど恐ろしい世界なのである。

だから、そんな『地獄』を視覚化して怖くないわけがない。

恐怖は分別のある大人でも、その受け止め方は多種多様とはいえ、決して軽減されることはない。

まして、なんにでも興味をもつ好奇心の塊で、もしかするとその好奇心の原点かもしれない「未知の恐怖」の世界におそれおののき生きている子供にとって、大の大人がよってたかって作り上げた(架空の世界か真実の世界かは不明だが)、究極の恐怖世界「地獄」を目の当たりにしたときの心理状態はいかばかりか。

幸い(?)私自身、幼少のころ「地獄絵」を目にしたことはないから、見てしまった子供の心理状態はわからないが、さぞ、のちのちまでトラウマとして消えることはないだろうくらいは容易に想像できる。


そもそも地獄は、仏教の世界観のひとつで、現生で罪を犯した人間があの世で裁きを受けるために用意された世界。

大乗仏教の発展とともに、仏経が庶民にも幅広く普及しはじめた平安時代、治安の乱れや飢饉などで毎日おびただしい人間が死んでいく末法思想の世に、「地獄」の世界観が急速に庶民に浸透していった。


人の道をはずれることへの戒め。
「生」を尊び「死」を畏れるための人間の行動指標として考えだされた地獄。

そうした目的であるために、あまっちょろい世界観では意味がない。
つまり、これでもかー!と恐怖をあおる舞台装置であるのだから、怖くて当たり前。子供が卒倒して当然、なのである。






『絵本 地獄』は、そんな世界観を絵で表現したらこうなる、という典型本で、歴史的価値うんぬん以前に、ややもすれば嫌悪感さえ覚えかねない作品である。

そしてこの本は、年端もいかない子供たち向けにつくられたというからさらに驚きである。

1980年発行ながら、いまでも「高い人気」を誇っているらしい。


地獄絵は千葉県安房郡三芳村延命寺に所蔵されている16幅の絵巻をもとに構成。
1784年、江戸の絵師によって描かれたものだが、誰が描いたかはわかっていない。


誰が描いたかわからない点も、なんとなく「恐怖」をさらに煽る材料になっているように思う。

監修は、美術史家の宮次男氏。
ストーリーは、死んだ五平が地獄に行き閻魔大王の裁きを受けるのだが、生前に毎日手をあわせていたお地蔵さまが川に落ちた子供を助けたことなどを理由に閻魔大王に生き返らせるように頼みを聞き入れた閻魔大王が、もしこんど行いを改めなければ本当に地獄生きだぞ、とたしなめ、「なます地獄」「かまゆで地獄」「火あぶり地獄」「針地獄」「火の車地獄」「竜の口地獄」最後に「際の河原」を見せてまわる、というもの。



果たしてどんな地獄なのか。
手足をバラバラにされたり、輪切りにされたり、火であぶられたり…
続きは、本書をご覧いただきたい。



本書の制作にあたり、「これを見る子供らが、『死ぬのはこわいことだ』ということをわからせる」ことをテーマにしたという。

「まだ医学が未発達だった昔、地獄絵を見せることで死の恐れを語り、行動の自制をもとめ、生への執着を強めて子孫の持続を計ろうとした」


しかし、現代は人間の大半は病院で死に、「死」に触れる機会がめっきり減った。
つまり「死のこわさ」を学習するチャンスがどんどん遠のいている、と。


「死を恐れることのない子供らが育っていくとしたら、こんなにこわいことはありません」



版元が小学校二年生男女34名に絵を見せ、感想を求めたところ、「死ぬのはいやだ。こんなところへは行きたくない」と異口同音に答えたというから、制作意図は十分に伝わっているのだろう。


もちろん、スプラッター映画などよりリアリティのある映像にはかなわないが、
映像メディアのない昔の「絵」には、観念的イマジネーションを掻き立てる迫力があり、別の意味でリアリティをもって迫ってくる。



一方で、この絵を幼い子供に見せたくない、という意見もある。

私自身、「生への執着」の対局として、「地獄」を見せることには抵抗がある。
「死後」の世界への恐怖がトラウマになってしまった人間の死に際は不幸だ。
特に感受性の強い子供にはいたずらに刺激を与えると逆効果になりかねない。

自分で判断できる年頃になるまで待ったほうがいい。


あくまでもひとの道をはずれてはならない、という意識を植え付けるための材料として見せる必要があるのではないだろうか。



人生に後悔することが多々ある大人は、いまに自分を戒め余生を「まじめ」に生きるためにも、一度「地獄」を見たほうがいいかもしれない、

もちろん、私も!




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2015年01月10日

「死ぬってなに?『私はどうも死ぬ気がしない』






『私はどうも死ぬ気がしない』(金子兜太/幻冬舎)



金子兜太(かねことうた)
1919年9月23日、埼玉県に生まれ、秩父郡の皆野町に育つ。43年、東京大学経済学部卒業、加藤楸邨に師事。俳紙「海程」創刊、主宰。新しい俳句の流れの原動力を作る。現代俳句協会会長。97年、NHK放送文化賞受賞。句集、著書多数あり。1943年、大学卒業後、加藤楸邨に師事する。同年、日本銀行に入行。43年より終戦まで、海軍主計中尉、後、大尉として、トラック島に赴任、46年復員し、日本銀行に復職する。55年、第1句集『少年』刊行翌年、現代俳句協会賞を受賞する。62年、俳誌『海程』を創刊、主宰新しい俳句の流れの原動力を作る。74年、日本銀行を退職し、俳句一本となる。83年、現代俳句協会会長に就任。87年朝日俳壇選者。同年紫綬褒章を受賞する。96年、「両神」で日本詩歌文学館賞受賞。97年NHK放送文化賞受賞。句集に「少年」「金子兜太句集」「蜿蜿」「 旅次抄録」「遊牧集」「皆之」「両神」などがある。



95歳にして現役の俳人。
大正、昭和、平成を生き抜いてきた金子氏の達観した人生とは。
その答えが、まさに題名のとおり「私は死ぬ気がしない」ことである。

金子氏はいう。
「長命への意思はありますが、寿命という言葉は、私の念頭にはありません。いつ死んでもいい、と思って生きています。もうこわいものはなくなりました。」

95歳まで生きれば、死はもうこわくないと思えるのだろう。と思いがちだが、どうもそうではない。
人間、何歳になっても死ぬのはコワいもの。
金子氏はではどのように「死への恐怖」を回避しているのだろうか。

それは、
「生理的に楽しいと感じることだけします。」
いやなことをがまんする必要はない。好きなこと、本能のままに生きること。それが死を恐れず楽しく生きる極意だという。


金子氏は小林一茶の生き方を師事している。
「小林一茶の人生は漂泊の人生です。
一茶は『荒凡夫(自由に煩悩のままに生きる平凡な人間)』として生きたいと願っていた。
私も『荒凡夫』として生きたいと思うようになりました。」

「欲をおさえこめばおさえこむほど、何かがなしとげられる、などというのは幻想でしかありません。完全禁欲主義でがんばるより、あまりがまんせず、てきとうに欲を満たすほうが長続きさせることができます。」

つまり、がんばらない、という生き方。
くそまじめに生きるより、適当にがんばる。たしかに体にはとてもよさそうである。
ただ、なかなかそう簡単にはことはすすまない。
特に日本人は勤勉である。禁欲は美徳という考えも身に付いている。

まずは肩の力を抜くこと、そこから始めてみるといい。



「大事なのは、自分に嘘をつかないこと。本音で生きればいいのです。」

自分はなにをしたいのか、ほんとのところ、どう思っているのか。
じっくりと自分と対話することが大切なようだ。




金子氏は40代後半に出身地である秩父のふもと、熊谷に引っ越した。

「生まれ育った土地のことを、その人にとっての産土といいます。
産土を意識するようになると、人は地に足がついた仕事をするようになります。」

「熊谷で暮らすようになり、秩父に山小屋を建てたことで、自分が生まれ育った土を踏みしめているという充実感を覚えるようになりました。体の奥から湧いてくるように力をも感じられるようになったのです。」

「都会での土から切り離された生活は、いのちのエネルギー不足とでもいうべき現象を引き起こしました。生活は便利になっているのに、生きる力はむしろ弱くなっているように思えます。
そんな人こそ、自分の故郷を大切にしたほうがいいと思います。」



私の出身地は鹿児島である。
昔から郷里への郷愁はあったが、50歳を境にその意識が断然と強くなってきた。
がまんできず、昨秋、家族をおいてふらっと帰郷した。
街並みはずいぶんとにぎやかになり、近代的なビルも林立する。しかし、空気感は、昔とちっとも変らない。
できることならこの地の土を踏んで生きていきたい、そう痛烈に思った。

金子氏のいう「産土」の大切さをひしひしと実感した。


金子氏は、産土と同じく、母親の存在の大切さにも言及する。
「自分をこの世に送りだした、肉親の肉体を大切に思う。それが、つらくなったときや苦しくなったときに、支えになってくれるのです。」

「母の存在は、生きる力になります。私にとっては、自分のことを「与太」と呼ぶ母がいることが、バイタリティを生み出してくれています。」


昨秋帰郷した第一の目的は、ひとり暮らしをする母親の顔を見ることだった。
「産土」を踏み、自分を世に送り出した母親の顔を見る。
こころが平穏な気持ちで満たされていく気がした。




人生を達観する金子氏の死生観とはどんなものか。

「私には立禅という習慣があります。
私くらいの年齢まで生きると、すでに多くの友人知人が死んでいます。そういう人たちの名前を次々とあげていきながら、面影を思い浮かべます。こうしていると、私は死んだ人たちといっしょにいるような気持ちになれます。
私にとって死はとても身近なものになっています。死んだ人たちは別のところにいて、そのうち会うことができる。そう考えています。」


「いのちはありのままがいちばんいい。
人間は生き物ですから、いつかいのちは尽きるときが訪れます。そのときが来れば、それに任せ、それまではしっかり生きる。いのちをありのままのものとして受け取る。その姿勢が大事。」

「妻が亡くなって何年も経った今でも、私は妻のいのちを身近に感じることができます。彼女のいのちはあの世で生きていると信じているからです。
私のいのちはいつまでも死なず、他の世界で生きていくことになります。
この自分の考えを、私は『他界説』と名付けています。」



天国、極楽浄土、輪廻転生。
死後の世界はどうしても宗教色が強くなるが、金子氏の「他界説」は、宗教うんぬんとは無関係に、本人の自然なイメージをそのまま具象化した考えであるように思う。

他人がどう思おうと、自分が納得できる世界観、死生観をもち、それを信じることが、死とじょうずにつきあっていくコツであろう。



「私の知人に棺桶で生き返った経験をもつ男がいます。
まわりにいた人たちの声が聞こえなくなったころから、音楽が聞こえはじめたのだそうです。そして、薔薇の門をくぐり、美しい花園に入っていきます。おだやかで、とてもいい気持ちだったといいます。」

金子氏の死生観は、こうした知人の経験談も背景にある。




「いのちは生まれる前からずっと続いていたし、死んだあともずっと続いていくのです。
あの世にいくためには、人間として自然の死を迎える必要がある。」

「ジュゴンは広い海をゆったりと泳ぎます。
私も自然に看取られ、ジュゴンのように悠々と、あの世へ泳いでいきたいとものだと思っています。」



悠々と生き、悠々と死んで、あの世へいく。

まさに理想的な終末である。



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2014年11月30日

「死ぬってなに?」『仏教って何ですか?』




『池上彰と考える、仏教って何ですか?』(池上彰/飛鳥新社)


池上彰(いけがみ あきら)
ジャーナリスト。1950年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。社会部記者として経験を積んだ後、報道局記者主幹に。94年4月から11年間「週刊こどもニュース」のお父さん役として、様々なニュースを解説して人気に。2005年3月NHKを退局、フリージャーナリストとして、テレビ、新聞、雑誌、書籍など幅広いメディアで活躍中。2012年4月より、東京工業大学大リベラルアーツセンター教授として東工大生に「教養」を教えます。主な著書に『伝える力』(PHPビジネス新書)、『知らないと恥をかく世界の大問題』(角川SSC新書)、『そうだったのか! 現代史』(集英社)など多数。



日本人を、そして日本を語るうえで、切っても切れない間柄であるにもかかわらず、意外と知らないことだらけの「仏教」。

仏教=「葬式」というイメージしか持ち合わせていないひとも多いのではないだろうか。

そもそも仏教とは何か。どこからどうやって日本にやってきて、ここまで普及するに至ったのか。
そして、なぜ仏教=葬式という構図ができあがったのか。

本書は、軽快(痛快)な口調で人気の池上彰氏が「仏教」の素朴な疑問について明快にわかりやすく解説している。



「仏教を知ることは、己を知ること。そして、日本を知ること。」

さて、ではまず仏教は誰がつくったのか。
ご存じ、インドのブッダ(仏陀)である。
釈迦、ゴータマ・シッダッタとも呼ばれる。


インドの小国の国王の跡継ぎとして生まれたブッダ。
「ブッダは宮殿の敷地内から出さないように過保護に育てられた。ある日、気晴らしに外出許可で出てそとの世界に触れ、人生がいかにはかないものか、苦しみに満ちたものなのかを知った」
「そこから抜け出すことはできないものかという悩みを抱く」


そして、29歳ですべてを捨てて、「生老病死」を超える真理を求める修行に出る。


35歳のときに「生老病死」の苦しみがどこからきているのかを知り、その原因である煩悩をすべて消し去り、いっさいの苦しみから解放された。


平家物語の有名な冒頭はブッダの基本的な真理が込められいる。

「祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらわす。

奢れる人も久しからず、
ただ春の夜の夢のごとし。

猛き者もついには滅びぬ、
ひとえに風の前の塵に同じ。



「諸行無常」という真理こそ、ブッダの基本的な教えのひとつである。

「物も人も、人の心も、人と人との関係も、すべて移り変わっていく」
「東日本大震災、リーマンショック、病気やケガ。私たちは何度も無情を実感させられている。それでもなお、未来を夢見てしまうのが人間。」

人間である以上、煩悩から逃れられない。しかし、それを消し去らない限り、悟りの境地には到達できない。




そして、
「他人と比べて優劣の判断をしたり、好き嫌いで分けたりする。これを分別という。仏教では分別が苦しみの原因だと説く。」

「私たちは自分のことさえよくわからないし、制御もできない。私のものがいつまでも私のものであると期待していると、いつかは裏切られる。そこに苦しみが生じる。」


煩悩とはなにか?

仏教でいう「四苦八苦」
生苦
老苦
病苦
死苦

愛別離苦
怨憎会苦
求不得苦
五蘊盛苦

これが、ブッダが明らかにした煩悩の正体である。



苦しみを完全に抜け出した状態を「涅槃寂静」。
煩悩の炎を吹き消せば心の安らぎを得られ、涅槃、すわなち悟りに至ることができる。
ブッダは実際に涅槃の境地に到達した。



「ブッダは輪廻転生の考え方をベースに涅槃寂静を目指す教えを説いた。
生老病死がなくなるとは、もう輪廻してこの世に戻ってこないということ。
苦しみの輪廻から抜け出すことで、人は涅槃に至ることができる。
ブッダはもう生まれ変わって戻ってくることはない。」



ブッダが開いた仏教だが、それを明文化はしていない。
ゆえに、弟子たちは仏教をどんどん「進化」(変化)させていく。

ブッダの時代のルールをそのまま守るべきだという保守派(上座部)、時代に合わせてルールを変えていくべきという改革派(大衆部)に分裂した。
上座部はスリランカに伝わり上座部仏教となり、大衆部は大乗仏教へと変化していった。



僧侶しか悟れないのか、普通の人は救われないのか。そんなはずはない、と考えるのが大乗仏教。

日本に伝えられた仏経は大乗仏教が基本となっている。
般若心経は大乗仏教の経典である。


大乗仏教がもっとも大切にするのが「利他」。自分のことはさておき、他の人が幸せになれるように行動する姿勢のこと。

とはいえ、そう簡単に「利他」を実行することは難しい。
あのブッダも例外ではない。

「ブッダでも35年間で悟ったわけではない。数限りない前世の間に利他の行いを積み重ねた結果、悟りに至ることができた。
我々もひとつひとつ利他の種をまいていけばいつか来生において機が熟したときに花開くときがくる。」

輪廻転生が仏経の基本概念になっているわけだ。



では、なぜこれほどまでに仏経が普及したのか。
そもそも、キリスト教などと違い、仏経は積極的な布教活動は行われなかった。


「玄奘は自分でお経を取りに行かねばならなかった。
最澄も空海も、遣唐使船で中国に仏教を学びにいった。
向こうからきてくれたのは鑑真ぐらい。
広めようという意思がないのに広く浸透していっただから、よほど魅力が備わっていたのだろう。」

その魅力とはなにか。

「ダライラマは、『仏教徒になる必要はない。よい生き方をすればいい』という。
一神教ではない仏教には、多彩な価値観を認める懐の広さが備わっている。」

「仏教の教えは人が生み出したもので、不動のものではない。そもそも無常が教えの根本だから、多彩な解釈が生まれるのもまた仏教らしい姿」


仏経が日本に伝来されるまでの流れはこうだ。

「インドで生まれた仏教が、大乗仏教へと発展したのに前後して、仏教に刺激を受けたバラモン教がインド土着の信仰を吸収してヒンズー教に姿を変えた。仏教も庶民に人気のヒンズー教の儀式や信仰を取り入れて発展したのが密教。」

「最澄が比叡山延暦寺で天台宗を開き、空海が高野山金剛峯寺に真言宗を開いた。密教の拠点が誕生。
平安末期には天変地異や飢饉、疫病が頻繁に起こり、ブッダ入滅から2000年たつと仏法が正しく行われなくなり、世の終わりが近づくという「末法思想」が流行。そうした世相を反映して「鎌倉仏教」が誕生した。
その源になったのが、民衆救済に目を向けた天台宗。比叡山から法然、親鸞、栄西、道元、日蓮が排出した。日本仏教の主な宗派はこの鎌倉仏教に端を発する。」



ここで最初の疑問、仏経=葬式の構図がどのようにできあがったのか、について。


「もともとブッダは『死んでからどうなるか』はいっさい説いていない。
仏教がもっぱら「死」担当となったのは、日本独自の仏教の発展の結果。

「仏教はどこでお葬式と出会ったのか。
それは中国だとされている。」

鎌倉仏教が革新的だったのは、国家や貴族のものだった仏教を庶民のものにしたこと。
葬儀を進んで引き受けたのもの救いを求める庶民の気持ちに応えたから。

葬式仏経と揶揄される以前は、庶民にとっては非常に革新的なことだったのだ。



日本でもっとも信者が多いのが浄土真宗。その開祖が親鸞である。
親鸞は僧侶ながら結婚し、子供ももうけた。

「僧侶が妻帯し子をもうけるという日本独特の仏教の形が、浄土真宗の成長に、そして葬式仏教の確立に大きく貢献した。」

「浄土真宗の拡大によって世襲制の寺が増え、お寺と檀家、地域との関連性が固定化された。僧侶は地域の葬儀・法事を一手に引き受けることを代々の家業とするようになり、葬式仏教が確立した。」




このブログのテーマである、「死とはなにか」についても、池上氏は誌面で語っている。

「私は死ぬのが怖いと思ったことはないが、子供のころ、意識がなくなるというのが怖かった覚えがある。眠ると朝まで意識がなくなる。それが怖かった。


「人がどのように亡くなっていくのかという事実が、どんどん現実味を失っているように思える。」
「隠しすぎるのも問題。周りの人の死を経験することで、死に備えることができるという側面もある。」

「死を遠ざけることにより、傷つくことは避けられるが、突然、身近に死が迫ってきたとき、対処できなくなってしまう可能性もある。まるで無菌状態で育ったために免疫力が弱くなってしまったようなもの。」


そして、輪廻転生について。


「私が死んだあと、火葬される。煙になって、風に乗って、分子や原子レベルに還元される。そしてまた新たな物質の一部になる。これが私にとっての輪廻転生だと、理屈の上では納得している。」

「だからといって、自分の死に心安らかに向き合える自信はいまひとつない。」



ダライラマの言葉も引用されている。
「死を恐れることは、人間がもつごく普通の感情。仏教的観点からいうと、心には始まりも終わりもない。死とは、ただ衣服を着替えるようなもの。死の恐怖を軽減するには、私たちが生きているこの人生を意義深いものにするということ。後悔することがなければ死を恐れる気持ちもずっと少なくなる。」




こうして見てみると、仏経がいかに日本人と深いかかわりがあるか、よくわかる。

池上氏はいう。
「信じる信じないはともかく、私たちは現実に仏教的な世界観の中で生きていき、亡くなっていく。」
その世界観を知っておくことは、自らの存在を再認識することにつながり、心穏やかに生きるための大きな力になる。」



信仰という以前に、日本人のかけがえのない文化を知る意味で、ぜひ本書を一読しておくことをおすすめしたい。







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2014年11月03日

「死ぬ」ってなに?「11月1日に死にます」宣告

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「11月1日にわたしは死にます」宣告

今年はじめ、悪性の脳腫瘍「多形膠芽腫」に侵され、余命6カ月と宣告されたアメリカの29歳の女性ブリタニー・メイナードさんが、11月1日に安楽死を選択すると公表し話題になった。

安楽死を選択するために、安楽死が法律で認められているオレゴン州に引っ越したという。

正確にはアメリカの法律で制定されているのは「尊厳死法」。
「尊厳死」とは、回復する可能性がない患者の意思に基づいて延命措置を施さずに自然にまかせて死を迎えること。
一方、「安楽死」は肉体的・精神的苦痛から患者を解放するため、薬物投与などで人為的に死を早めること。

簡単にいうと、「安楽死」は自殺の観念に近い。
安楽死を実行する場合は、一般的に医師が処方する薬物を服用することになるのだが、これが「自殺ほう助にあたるのではないか」といわれるのはそのためだ。


日本でもし安楽死のような行為に関われば、「殺人罪」「同意殺人罪」などに問われることになる。


以前も、安楽死の日にちを指定し、友人や家族でパーティを催し、シャンパンを飲み、みんなに見守られながら安楽死したひとがいた。
本人は、会いたい人に会え、たいへん満足して逝ったという。


「尊厳死」については、だいぶ普及してきている。
「リビングウィル」など、みずからの最期をどうするか、回復の見込みがない場合は延命措置を取らないでほしいなどの旨を公正証書として文書にしておけば、基本的に医療機関も患者本人の意思を尊重するようになっている。
ほかに「尊厳死協会」に入会して登録しておく方法もある。


問題は「安楽死」のほうである。


本当に本人の意思なのか、それをどうやって確認するのか、安楽死を手助けする医療関係者の最終決断にいたるプロセスの明確化、などなど、あらゆる事態を想定しておかなければ、法制化は難しい。



基本的に、「生きる」権利は法律で定められているが、「死ぬ」権利はない。


あくまでもひとつの選択肢として「死ぬ」権利も認められてもいいのではと思う。
では本当に「死ぬ」権利はないのか。



ここで、ひとつ疑問がある。


「自殺」は犯罪ではないのか?


厳密にいえば、答えはノーである。
現在の法律で、自殺を罰する規定はない。
もちろん、自殺を手助けする「自殺ほう助」はりっぱな犯罪である。
つまり、自分自身の手で自分を「死なせる」ならOKだが、
誰かの手を借りたら、善意だろうがなんだろうが、手を貸したひとは犯罪者となるわけだ。


つまり、「死ぬ」権利は、ある条件(他人に迷惑をかけたり、他人の手を借りることなく、あくまでも自分ひとりだけが関与する場合)なら、容認されている、といえる。



乱暴ないいかたをすれば、「死のうと思えば死ねる」のだ。
いちいちどこかに届け出て、「はい、OKです」といってハンコをもらう必要はない。

問題は、「道徳性」であろう。
さまざまな事情から「生きていくのがつらい」から死を選択するわけだが、
社会通念上、「認められる死」と「認められない死」があって、
それを決めるのは社会道徳=世間的常識である。

つまり、「死を選択してもやむをえない」かどうかは、本人ではなく社会が決める。


戦国時代は割腹自殺は武士道において美徳とされた。
むしろ切腹を拒んで逃げ回れば社会から弱い人間というレッテルを貼られた。

時代背景はどうであれ、「切腹」もりっぱな自殺である。
そして、「切腹」は社会通念上、「認められる死」である。
特攻隊も「認められる死」(というより強要される「自殺」か)であろう。


社会通念上、認められる「自殺」があるのは過去の歴史をみれば一目瞭然だ。


もっと突き詰めれば、個人的自殺はご法度で社会的自殺はOK、ということか。


考えてみたらおかしな話である。
「生」は個人のものだが、「死」は個人のものではなく、「社会」のものなのだ。


「生」を尊ぶことに何の異論もない。

「生」を受けたからには「生」をまっとうする「義務」があるはずである。
そうでなけば、それこそ自殺者が急増するだろうし、ニンゲンの生態系が成り立たなくなる。だから「死」は「社会」のものなのかもしれないとも思う。

しかし、生きる「尊厳」を失ったとき、「社会」が手を尽くして、それでも「尊厳」を確保できないならば、個人で「死」を選択できる権利はあっていいのではないだろうか。


「安楽死」について、わが国も積極的に議論を深めてほしいと願う。





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2014年11月02日

「死ぬ」ってなに?『100万回生きたねこ』





『100万回生きたねこ』(作・絵 佐野洋子/講談社)

佐野洋子(ようろうたけし)
北京に生まれる。武蔵野美術大学デザイン科卒。’67年から’68年にかけて、ベルリン造形大学においてリトグラフを学ぶ。主な作品に『だってだってのおばあさん』(フレーベル館)、『わたしのぼうし』(ポプラ社)、『おじさんのかさ』(講談社)などの絵本や、『アカシア・からたち・麦畑』(文化出版局)などのエッセー集がある。『おじさんのかさ』でサンケイ児童出版文化賞推薦賞を、『わたしのぼうし』で講談社出版文化賞絵本部門賞を受賞。


佐野洋子氏の代表作で、子供から大人まで幅広い支持を集めている「絵本の名作」。

知名度も高く、すでに読んだかたも多いだろう。

あらすじは、
100万回も死んで100万回も生きたとらねこが、大嫌いな王様や手品師や女の子に飼われ、死ぬのだが、死ぬたびに飼い主が悲しみの涙を流すのに、ねこはただの1回も泣くことがなかった。
あるとき、だれの飼いねこでもない、のらねこになり、好きになった白ねこと暮らし始める。子どもができ、大きくなって巣立っていった。ある日、白ねこが死んだとき、それまで1回も泣かなかったとらねこが、100万回も泣いて、そして白ねこに寄り添うように死に、2度と生き返らなかった。



じつはこの作品、読み手によって解釈なり評価が分かれている。

その理由は、作品の根底にある(ないのかもしれない)意図の読み方にある。
わたしはそうだったのだが、一読してすとんと腑に落ちてこなかった。

著者がなにを風刺しているのか、
他人に興味がない、自分が大好きなナルシストも「愛」には勝てないことを示唆しているのか、
「親」になれば誰にでも「愛情」が芽生えるという母性本能を暗示しているのか、
または風刺など考えていなくて、
ただ単に物語を淡々とつむいでいるだけなのか。


童話とは本来、そういうものなのかもしれない。

書き手は読み手に作品をゆだね、ゆだねられた読み手は、おそらく無意識層に表出した何かを感じ、向き合い、自分なりに解釈し咀嚼し、納得する。

勧善懲悪的なわかりやすいシナリオじゃなく、いいひとなのかわるい行いなのか泣くべきなのか怒るべきなのか、そんな微妙であいまいな物語のほうが、はるかに考える余地があり、子供の情操教育には向いているように思う。


『100万回生きたねこ』が多くの支持を集めているのも、こうした背景があるのではないだろうか。

必ずしもかわいいとはいいがたい、とらねこの絵も、どことなくリアルな人間社会を風刺しているようで興味深い。




100万回生きるよりも、たった1度しかない人生を生き切るほうがはるかに濃密で充実した時間を過ごせるんだよ、そういう意図をわたしはまず受け止めた。

好きになった白ねこへのセリフ。
「きみは まだ 1回も 生きおわって いないんだろ。」
これは、ある意味でうらやましがっているようにも解釈できる。




ひとつ気づいたことがある。

主人公のとらねこは、いろんな飼い主に飼われる。
王様、船乗り、手品師、どろぼう。
そして、いずれも飼い主の過失で死んでいる。
ねこは彼らが大嫌いだという。その大嫌いな飼い主の過失で死ぬはめになるのだから、むしろ泣くより怒りたくなるのではないだろうか。

飼い主は泣きながら死んだねこを大事に埋葬する。
死んだときのねこ自身の感想は書かれていない。

つまりは、いくらかわいがわれていたとしても、所詮は人間様の手前勝手な都合で「飼われていた」だけで、むしろ、ニンゲンの欲望を満たしてあげて、さらに命までささげたうえに文句ひとつ言わないねこに、同情さえしたくなる。

そんな「同情」も、ねこからすると詭弁に聞こえるのかもしれないが。


与えられた「生」。
それは人間が与えた「生」である。

ただ一度だけ、老衰で死ぬ。
それはおばあさんに飼われたときだった。
よぼよぼのおばあさんのひざの上で、よぼよぼになって死ぬ。


おばあさんとは、もしかすると、「与えられた生」をあえて享受して生きていたように感じる。



基本的には「飼いねこ」の「生」は受動的である。
受動的な人生は、あまりおもしろみがない。
たとえ「生」がそこで終わることになっても、自らの意思で生きていくほうがどれだけ楽しいか、面白いか。

はじめてのらねこになり、みずからの意思で生きはじめたねこだが、
やはりモテまくって求愛も受け身ばかりだったある日、「おれは、100万回も しんだんだぜ」と自慢ばかりしていたくせに、好きになったねこにこういう。

「おれは、100万回も…。そばに いても いいかい。」
他人に、はじめて自分の気持ちを「寄せた」瞬間である。



「生」の充実度は時間軸では測れない。

「長生き」が目的化していないか、いまいちど、振り返ってみるいい機会になった。



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2014年11月01日

「死ぬ」ってなに?『身体巡礼』(養老孟司)





『身体巡礼』(養老孟司/新潮社)

養老孟司(ようろうたけし)
1937(昭和12)年、鎌倉生れ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。心の問題や社会現象を、脳科学や解剖学などの知識を交えながら解説し、多くの読者を得た。1989(平成元)年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。新潮新書『バカの壁』は大ヒットし2003年のベストセラー第1位、また新語・流行語大賞、毎日出版文化賞特別賞を受賞した。大の虫好きとして知られ、現在も昆虫採集・標本作成を続けている。『唯脳論』『かけがえのないもの』『身体の文学史』『手入れという思想』『バカの壁のそのまた向こう』など著書多数。






解剖学者として、長年身体(死者)と向き合ってきた著者が、ライフワークである墓地を巡る旅の、ドイツ・オーストリア・チェコ編。


一見すると、それとは気付かないが、カバーの写真はよく見るとおびただしい数の髑髏で装飾された骸骨堂である。
まず日本ではお目にかかることはない光景だ。

死んだあとの身体(死体)をどう扱のか、それは世界各地よって大きく違うし、死生観、宗教観、そしてそれをはぐくんできた文明と切っても切れない関係性をはらんでいる。

カバーの写真はそれを見事に表現している。



「身体と死。それは誰しもが避けられないテーマのはずだが、普段顧みる機会は少ない。そこに踏み込んでいくことが本書の挑戦」
なのだが、そもそもなぜ墓地巡りをするのか。


「死を受け入れた身体が、いったいどのように扱われるかという疑問。そこに死生観は凝縮して表象してくるのではないか」
養老氏はそう考える。
「墓を見れば、その身体性を読み解く鍵があるはず。埋葬儀礼はヒト特有で、文字や貨幣に似ており、徹底した『抽象』だからだ」



と、その前に、
「墓地が面白いから私は墓地を見ている。『なにが面白いのですか』という質問は受け付けない。だって自分でもわからないから」
「墓石が面白かったら、ほかのこともたいていは面白いのではないだろうか」

要は、ご自身も明快な理由をもって、墓地を巡っているわけではなく、まさに心の命ずるままに行動している、というのが、本当の動機のようだ。



「私が墓地ばかり扱うメタ・メッセージは、『人はいずれ死ぬ』ということであろう」
「もともと墓に関心があったのは、墓のほうから人生や社会を見たら、どうだろうと単純に思ったからである」



養老氏をして墓地にむかわしめている原点は幼少のころにさかのぼる。
「私は五歳の誕生日前に父親を亡くしている。それが人生最初の記憶だから、いうなれば私の人生は死から始まっている。だから死から逆算して人生を想うのは、ほとんど日常化している」


そしてこうもいう。
「私は育ちからして、こういうものに囲まれているのが一番安心なのである。生きている人間なんて、なにをするかわかったものではない。そんな危ないものは、自分だけでたくさんである」




さて、動機はさておき、ではそもそも墓とはいったい何なのか。
「少なくとも私は理解しているとは思えない。墓とはいったいなんだろうか」


ここである興味深い事例を提示する。

「ハプスブルク帝国のハプスブルク王家では、心臓は銀の容器に納め、肺、肝臓、胃腸など心臓以外の臓器は銅の容器に納め、残りの遺体は青銅や錫の容器に入れ、別々に納められる」
「その背景には、心に対する体、身体というものをどう考え、評価するかという、大きな文化的背景があるはずである」

「死んだひとの体をわざわざ三分割して埋葬するのは、身体の各部が『それなりに意味をもつ』からに違いない」
「心が神に召され、身体が残りかすとしてただ地上に残っているのなら、身体なんてものはどうでもいいことになるはずである」



墓を大事にするのではなく、「死体」そのものを大切に扱う。
これはいったいどういうことなのか。


「少なくともハプスブルク家は身体にこだわっていることは確かである。その根拠を、わたしは二人称の死だとする」
「そのひとだとわかる部分が残存する限り、それはそのひとそのものなのである。自分の親の死体を見て『死体』と表現するひとはいない」


ほかにも同様の例がある。
「ニューギニアの原住民は頭骨をもちだしてきて、客に『これがウチのじいさん』と紹介するという。まさにこれである」

「マダガスカルでは祖先を適当な時期に遺体を墓から持ち出し、新たしい布でまた包みなおす。ひとは祖先になるために生きる。だから『死ぬ』といわず、『先祖になる』という。いちばん嫌がるのは遺体が跡形もなく失われること。だから飛行機に乗りたがらないという」



墓は象徴(シンボル)かもしれないが、そこに埋まっている「死体」はシンボルでもなんでもなく、そのひとそのものなのだ。


「赤の他人じゃなければ、二人称はそう簡単に死なない」
「家は血縁共同体であり、共同体の成員は、『永久に消えない』ほうが普通なのである。死んだ成員を共同体にいつまでも組み込んでおく、その儀式が埋葬儀礼や墓だといってもいいであろう」



日本でも天皇家がまさにそれだと指摘する。
「日本の天皇も『その人がそこにいるものとして』保存されなければならない。天皇家が火葬ではないことに関連があろう」



天皇家はそうだが、一般人はそうではない。
欧州と日本では、死んだあとの扱いにだいぶ違いがある。

「欧州の墓地では陶板に焼き付けた故人の写真が入っている墓石がある。ああ、これは生臭いなあ、と感じた。つまり墓としては『現実的』過ぎるのである」

「日本の場合、生きた身体は世間に属している。死ねば世間から追い出される。そこに身体だけが「生で」残っていると具合が悪い。そこで火葬にしてしまう。ということになる」

「墓にいるのは当人であり、生きている当人の連続といってもいい。日本ではその間を鮮明に切る。死者は別物なのである。だから告別式では塩をまき、死者には戒名を贈る。『贈らないといけない』のである」



カバーの写真にもあるように、欧州では「骨」に対する考えもだいぶ違う。
その理由を、

「フランスは、石灰岩地域でアルカリ性の土壌だから骨が溶けない。溶けないからいつまでも残ってしまう。だからこそそれをなんとかしようとした結果が骸骨堂であり、カタコンベだったのであろう」
と分析する。




そもそも大昔は「死体」は自然が片付けてくれていた。
「風葬なら、カラスがつつき、野犬が食べる。そのあとを昆虫が片付ける。それが輪廻するのだが、文明はその循環を勝手に断ちきる。死体の処理を考えていると、自然と人が『切れた』のだとしみじみ思う」







世界中の墓地を巡ってきた養老氏の、「墓地観」は独特だ。

「わたしは仕事柄、解剖室に長時間いることがあったが、解剖室と墓場には共通点がある。死者は動かない。お墓も動かない。たぶん動かないことを示すように、石で造ることが多いのだと思う。なぜか墓は石であることが多い。石ぐらい適切なものはない」


「墓ぐらい、役に立たないものはない。それを集めた墓場が街の中央に鎮座する。そういうところを訪問すると、経済も効率もない私の人生にすら、なにか意味があるような気がして、気持が和む。いくら合理性を追求したって、いずれはお墓だよ、お墓で終わる人生に、どういう合理性、経済性があるのか」


「経団連や霞が関の官庁は、墓場に近くに置いたほうがいいのではないか、そうわたしは思う」





つまりは「メメント・モリ」(死を想え)。
誰しもいつかは死ぬ。

「動く」人間や社会とは一定の距離を置き、「動かない」死体や墓地に関心を寄せる養老氏の独特な死生観に触れられる一冊である。







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2014年10月18日

「死ぬ」ってなに? 『月光浴』『月光の屋久島』『地球月光浴』









『月光浴 Moonlight Blue』(小学館)
『月光の屋久島』(新潮社)
『地球月光浴』(新潮社)」
いずれも写真家・石川賢治



石川賢治
1945年福岡県生まれ。1967年日本大学芸術学部写真学科卒業。
ライトパブリシティ入社。1976年よりフリーランス・フォトグラファーとして活動を始め、CF・スチールを数多く手掛ける。
1984年秋より月光写真に取り組み、初の写真集『月光浴』(1990年小学館)が一大センセーショナルを巻き起こす。その後の写真集に『神の降りた夜/新月光浴』(1993年集英社)、『大月光浴』(1996年小学館)、『満月の花』(1998年小学館)、『月光の屋久島』(2000年新潮社)、『地球月光浴』(2001年新潮社)、『京都月光浴』(2003年新潮社)、『天地水月光浴』(2006年新潮社)。
最新刊は『宙の月光浴 』(2012年小学館)。また初のDVD『月光浴 Moonlight Shower』(2006年カルチュア・パブリッシャーズ)を発表。展覧会も多数開催。



物心ついたころから、わたしは「月光」が好きだった。
特に真夜中、すべてが眠りにつく漆黒の闇の世界を、青白く煌々と照らす満月の光には、神秘的な力を感じる。

太陽光が照らす世界はカラフルでにぎやかだが、
月光で浮かび上がる世界は、モノトーンで、しかし、深く観察すると、幾重にも淡い色が重なっていて、そのものの本質、本性を暴きだしているように見える。



わたしが石川賢治氏を知ったのは、もう10年も前になる。
新聞で、満月の光だけで写真を撮る石川氏の個展が紹介されていた。

惹きつけられるように、わたしの足は個展会場に向かっていた。
そのときの衝撃はいまも忘れない。

暗い会場に展示されていた作品の1点1点を、それこそ食い入るように見ていたのを、いまもはっきり覚えている。


その日見た写真が、夜な夜な頭に浮かび、いつしか、淡いブルーの世界に、わたしは浮遊するようになった。
いてもたってもいられず、一週間ほどしてまた個展を見にいった。

不思議なことに、一度目とはまったく違う様相で、わたしの目の前に出来した。
それこそが、月光に映し出された世界の魅力なのであろう。



死後の世界を視覚化できたとしたら。
わたしは迷わず、石川氏の写真をイメージする。


「静謐」


音がなく、カラフルな色もない。

ただそこには「青い世界」が茫々と広がる。
月光を全身に浴び、その青の世界の一部となって、横たわり、
頭上の満月をいつまでも眺めている。




まだ石川氏の作品をご覧になったことがないなら、
ぜひ一度手にとって、月光の世界を堪能してみてほしい。


果たして、あなたの目には何が映るだろう。








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2014年10月13日

「死ぬ」ってなに?『かないくん』




『かないくん』(作・谷川俊太郎 絵・松本大洋/東京糸井重里事務所)

谷川俊太郎
1931年東京生まれ。詩人。
1952年第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行。 1962年「月火水木金土日の歌」で第四回日本レコード大賞作詞賞、 1975年『マザー・グースのうた』で日本翻訳文化賞、 1982年『日々の地図』で第34回読売文学賞、 1993年『世間知ラズ』で第1回萩原朔太郎賞、 2010年『トロムソコラージュ』で第1回鮎川信夫賞など、受賞・著書多数。 詩作のほか、絵本、エッセイ、翻訳、脚本、作詞など幅広く作品を発表。 近年では、詩を釣るiPhoneアプリ『谷川』や、 郵便で詩を送る『ポエメール』など、 詩の可能性を広げる新たな試みにも挑戦している。


松本大洋
1967年東京都出身。1987年に月刊アフタヌーン四季賞にて「STRAIGHT」が入選しデビュー。代表作に「鉄筋コンクリート」「ピンポン」「ナンバーファイブ」「竹光侍」(第15回手塚治虫文化賞マンガ大賞)などがある。2010年12月より月刊「IKKI」(小学館)にて自身の少年期を題材にした「Sunny」の連載を開始する。



「死ぬとどうなるの。
生きているだれもが、
やがて死にます。
それは、どういうことなんだろう。」

帯のキャッチコピーからもわかるように、
この作品は、「『死ぬ』ってなに?」という本ブログのテーマとぴたり重なる。

いたってシンプルな疑問。
そして、誰も明快な答えを持ち得ない、深遠なテーマ。

企画したのは「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰の糸井重里氏。
糸井氏からの依頼を受諾した谷川氏が大筋を一晩で書いたという。

そして、絵を依頼された漫画家・松本大洋氏は初の絵本の依頼ということもあり、完成まで2年を要した。

ブックデザインは、常識を覆す斬新なデザインで注目を集め、数多くの漫画家、作家の装丁を手がけている祖父江慎氏。


各界を代表する三人が手がけた、というだけでも興味をそそられるが、
「死」をテーマにした「絵本」とあってはなおさらだ。




タイトルの「かないくん」は、谷川氏の亡くなった旧友の姓。

小学生のとき隣の席に座っていた「しんゆうじゃない、ふつうのともだち」がある日病気で亡くなる。

そのことを60年も経って絵本にしようとする、死期の迫った老人。

物語を語っているのは、その老人ではなく、孫の少女の「わたし」。

時間の飛び方、視点が変わるおもしろさは、さすが谷川氏の手腕である。


「絵本」であるだけに、文字数は極端に少ない。
大人なら読み終わるのに2分とかからない。

その2分で読み終わるスペースにこれだけの物語、テーマ性を浸潤させられるのは、
先の谷川氏のほか、じっくりと構図を決め、独特の世界観を描き綴った松本氏、そしてデザイナーの祖父江氏のそれぞれの思いが結集してこそであろう。

「しぬって、ただここにいなくなるだけのこと?」


そうなのかもしれない。
でも、そうじゃないかもしれない。



老人がいう。
「死を重々しく考えたくない、かと言って軽々しく考えたくもない」



「死」とどう向き合えばいいのか、
読んでいるわれわれも、
死期を迎える前に「絵本」をどう終わらせればいいのかわかならい老人も、
ただとまどうばかりで、暗くなりだが。
そこに「光」をあてるのが、孫の少女「わたし」。


白銀の山のリフトで、老人の「死」を知り、
「はじまった」と感じた少女。


さいごに。
この「絵本」は「木」がある大きな意味をもっている、と私は感じた。


小学校の校庭でこどもたちが登って遊ぶ桜の木。

同じ桜の木が、老人の死んだとき、存在感をもって、どっしりと描かれる。


連綿と続く人間の「生」、出会いと「死」を、大昔から、遠い未来も、見続ける「木」。


地球上で、どんないきものよりも長く「生」と「死」を記憶する。


「死ぬとどうなるの」
「なぜ生まれてくるの」

「木」に手を当てて、目をとじると、なんとなく、ぼんやりと、答えらしきものがわかるかもしれない。






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2014年10月12日

「死ぬ」ってなに?『野垂れ死にの覚悟』






「野垂れ死にの覚悟」(ベストセラーズ/曽野綾子、近藤誠)



曽野綾子(その あやこ)
1931年東京都生まれ。作家。聖心女子大学卒。1979年ローマ法王によりヴァチカン有功十字勲章を受章、1993年、日本芸術院恩賜賞、2003年に文化功労者、2012年、これまでの業績を讃えられて菊池寛賞を受賞。1995年から2005年まで日本財団会長を務めた。1972年にNGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」(通称JOMAS)を始め、2012年代表を退任。エッセイとして『老いの才覚』(ベスト新書)、『人間にとって成熟とは何か』(幻冬舎新書)、『人間の基本』『人間関係』『風通しのいい生き方』(ともに新潮新書)、『想定外の老年』(ワック)、小説作品として『無名碑』(講談社)、『神の汚れた手』(朝日新聞社、現在文春文庫)、『時の止まった赤ん坊』(毎日新聞社、現在海竜社)など著書多数。


近藤 誠(こんどう まこと)
1948年生まれ。1973年、慶應義塾大学医学部卒業。同年、同大学医学部放射線科入局。1979‐80年、米国へ留学。1983年より同大学医学部放射線科講師。がんの放射線治療を専門とし、乳房温存療法のパイオニアとして知られる。患者本位の治療を実現するために、抗がん剤の毒性、拡大手術の危険性など、がん治療における先駆的な意見を、一般の人にもわかりやすく発表し、啓蒙を続けてきた功績を讃えられ、2012年に 菊池寛賞を受賞。2013年「近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来(http://kondo-makoto.com/)」を開設。
著書に『「余命3カ月」のウソ』(ベスト新書)、『医者に殺されない47の心得』(アスコム)、『「がんもどき」で早死にする人、「本物のがん」で長生きする人』(幻冬舎)、『患者よ、がんと闘うな』『がん放置療法のすすめ』『抗がん剤だけはやめなさい』『これでもがん治療を続けますか』(以上、文藝春秋)ほか多数。



痛烈な批判精神で社会を切りまくる作家・曽野綾子氏と、「死にたくなければ病院にいくな」と声高に発言し医学界に一石を投じる医師・近藤誠氏という異色ふたりの対談集。

2015年には団塊の世代が65歳以上になり、いよいよ本格的な高齢化社会を迎える。
高齢化社会でもっとも深刻な問題が介護・医療。

平均寿命の伸びから高齢者は増え続け、それを支える若者は減り、医療保険制度は破たん寸前で、長生きすることが必ずしも幸せではなくなりつつある。

こうした中、高齢者はどうやって人生の終末を迎えればいいのか。


前述したふたりが出した結論が「野たれ死ぬ覚悟をもって生きろ」。
身も蓋もないようだが、しかし、それが現実なのだ。

現実を直視し、自分のことは自分で解決する。ひとの手を煩わさないように、
できることはなんでもやる。

そうした、厳しい意見をもつふたりだが、読んでみるとこれが実にすがすがしい。
竹を割ったような明瞭な考え、単純でシンプルで、そして楽しげでぬくもりも感じる。



そもそも、なぜ平均寿命が延びたのか。
近藤氏は指摘する。
「戦後になって、庶民も肉や卵や牛乳を普通に食べられるようになったから。百歳を超えて元気なひとは、肉をよく食べています」
「『衛生状態と栄養状態』がどんどんよくなったために、平均寿命がぐんぐん伸びた」
つまり、医療はみんなが思うほど貢献していないという。

近藤氏の論理からいくと、むしろ「逆」ともとれる。
「特には80歳、90歳を超えてからうっかり医者にかかると、だいたい何か病気を見つけられて、治療されて、早く死んじゃいます」

つまり医学は長生き→老衰死を止める役割をしている。
長生きしたければ、
「診断を忘れる。検査を受けない。医者に近づかない。この三つが健康長寿の秘訣」
「薬を全部やめさせると、調子がよくなったというひとばっかり」


そして長生きのコツについては、
「いろんなことに興味をもって、なんでもやるのが一番」
「株なんかで儲けようと思っているひとって入院中でも治りがいいみたいな気がします」


そもそも、長寿賛歌は多分に日本人の価値観に起因するという。
「日本には『とにかく長く生きることが貴い』という価値観がある。意識を失っても寝かせっきりにして」

また、
「誰かがいってましたが、年をとるほど、『きょうよう、きょういく』が大事だって。『きょう用がある』『きょう行くところがある』ことが」

「自分で『気持いい』と感じることを無理なく続けるのが、いちばん体にいいんです」


長寿が決して悪いわけではない。
要は、体が動かなくなって、だれかの介護なしでは生きていけない、寝たきりで、ただただお迎えが来るのを待つ、そんな老後・終末期を迎えることが果たしていいのか。幸せなのか。
長生きするなら、いつまでも元気でやりたいことをやって生きていきたいし、そうすることで本当の意味で長生きする意味がある、ということだ。

そしてそれを自覚することが大切なのだ。




かくいう曽野氏は、じつはすでに幼少のときから「死」を意識していた。
「幼稚園のときから毎日、死ぬことばかり考えていた。家庭が幸せじゃなかったから、死はひとつの解放だと思っていました」
「70、80のひとが『そろそろ死を考えるようになりました』って。遅いんじゃないの。今までなにをしていたんだろうって思います」


とはいえ自覚があろうとなかろうと、高齢化社会を取り巻く環境は確実に悪化していく。
「全国に独居老人が五百万人いて、団塊の世代の熟年離婚も多いし、状況はどんどん厳しくなります。みんな、これからは野垂れ死にが普通になうと思っていないと」

曽野氏もいう。
「野垂れ死にしかなくなれば、介護保険も一切いらない。そういう時代になったら、ドクターに診てもらいたくても、大金持ちが金積んでも人手がないんだからどうにもならない」
そして、
「わたしは農業をやって納得したんです。『間引き』をやらなきゃ、どんな葉っぱひとつでも育たないんです。」
「間引くか、間引かれるか、どちらかになるんです」


近藤氏は予言する。
「介護してくれる人がいなければ自分で自分を看て、力尽きたらそれまでっていう時代が一度は来ると思いますよ。いい悪いじゃなくてどうしてもそうなっていく」

じゃあどうすればいいのか。
「老人は体が弱っても病院に行かず、食べられなくなったら無理に食べず、そのまま家で枯れるように老衰死。これ、実はいちばん快適に天寿を全うする方法なんです」

「一番確実に死ぬのは水を断つこと。一週間から二週間で亡くなることができます」



一方、曽野氏の死生観は?
「わたしは夏なら熱中症、冬なら凍死がいい」
ただ、自殺は決して賛同しない。
「死ぬときは神でも仏でも偶然でもいいんですけど、誰かが決めるんであって、やっぱり自然にまかせるのが一番いいんですよ。自分で決めなくてもいいと思う」


いつか必ず死は訪れる。わざわざ自ら死を選ばなくても。
「でも自然に任せようと心掛けていると長生きしちゃうんですよね(笑)」(近藤氏)



過激な意見が目立つふたりだが、やはり「そのとき」「そのあと」については穏やかな願望をお持ちである。
「アメリカインディアンの言葉に『きょうは死ぬのに一番いい日だ』っていうのがあって。そういう境地で逝けたら最高ですけどね」(近藤氏)


「(死後の世界は)わたしはね、わからないから考えない。そしてわからないから、あの世は『ある』ほうに賭けることにしています。死んだときに神様だか仏様だかしらないけど現れたら『そんなものない』といってたら困るわけじゃないですか。顔を合わせたとき、あいさつに困るでしょ。ですからあるほうに賭けようと(笑)」(曽野氏)



事態は深刻である。
しかし、だからといって深刻ぶってもしかたない。
あるがままを受け入れ、楽しく、豊かに生きる。そのための努力や覚悟は怠らない。


「人間は犬に食われるほど自由だ」(写真家・藤原新也氏)
そんな心境になれるよう、日々精進したい。






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2014年08月31日

「死ぬ」ってなに?『いのちの食べ方』




『いのちの食べ方』(森達也/角川文庫)

森達也(もりたつや)
作家・映画監督。1956年生まれ。テレビ番組制作会社で報道番組やドキュメンタリーなど数多くの作品を制作。1996年にオウム真理教をテーマにした映画『A』、2001年には続編『A2』を公開し高い評価を得る。その後は執筆を活動の中心に据え、現代社会に鋭く切り込むメディア論、社会論を展開。『放送禁止歌(知恵の森文庫)』、『職業欄はエスパー(角川文庫)』、『クォン・デ もうひとりのラストエンペラー(角川文庫)』、『世界が完全に思考停止する前に(角川文庫)』、『ぼくの歌 みんなの歌(講談社)』、『死刑(朝日出版)』など著書多数。最新刊は、10年以上にわたるオウム取材と考察の終着点となる『A3(集英社インターナショナル)』。オウムと麻原の核心に迫り、同時にポピュリズム先行が進む司法とメディア、そして現代社会に警鐘を鳴らす問題作。2011年度朝日新聞論壇委員。明治大学客員教授。


人間もいきもの。
生きていくためにほかの生き物を食べていている。
果たして人間が日ごろ口にする肉や魚はどんなプロセスを経て食卓に並ぶのか。
食肉の歴史から、「と場」(屠殺場)の現状、そこで働くひと、身分、差別にいたるまで、洞察力鋭い著者の、おそらく以前から胸のうちにあったわだかまりを整理しながら丁寧に論説している。



「パックになる前はどんな形をしていたんだろう? どうやって切り分けられたのだろう? 生きているときはどこにいたのだろう? どうやって死んだのだろう?」

「やっとわかった。その『あいだ』がない」
「何があったか君は知らない。君だけじゃない。僕らは知らない」

「おいしいねとかちょっと焼きすぎたかななどといっているのに、始めと終わりのその『あいだ』を知らないなんて、なんだか落ちつかない」


「小さな虫は大きな虫に食べられる。大きな虫は鳥や小さな動物に食べられる。…。ぐるぐると世界は回っている」食物連鎖。
「でも気づいたかな。人間はこの大きな輪から外れている」
「人間は比べ物にならないくらいの知性を持ってしまったから」



その「あいだ」とは。
人間に食べられるために生まれ飼育され、殺され、解体され、パッケージに切り分けられて店頭に並ぶ。

そして、「殺し」「解体する」ひとたちは、むかし差別されていた。
飛鳥時代から平安時代にかけて、牛を食べたという文献はほとんど見かけない。その最大の理由は大陸から、動物の殺生を禁じる仏教が伝わってきたから。
その背景には「不浄」という日本独特の感覚があり、死んだ動物の肉は不浄なものとされてしまった。

「『あいだ』が意識からなくなった大きな理由に「不浄」という感覚は強くつながっている」

動物の解体を仕事としていた人たちが多く住んでいたから「穢れている」とされた集落が被差別地域となり、差別される。


森氏はいう。
「僕らは生きるためにほかの「いのち」を犠牲にするしかない。
その営みを否定する気はない。でもならば、せめてほかの「いのち」を犠牲にしていることをもっと知るべきだ」

「矛盾なく生きることはできない。生きるからにはどうしてもほかの命を犠牲にする。菜食主義者だって野菜のいのちを食べる」

「殺されて嬉しい命などありえない」「誰だって牛や豚にはなりたくない。殺されて食べられたりして嬉しい命など存在しない」

「あたなが今食べようとしているのはいのち。誰かが殺したいのち。その誰かは僕でもあるしあなたでもある。
そう思いながらいのちを食べよう。噛みしめよう。そのうえで思おう。
いのちのことを。たくさんの人のことを。自分のことを」

森氏が、とある伝説の解体名人職人から聞いた。
「ある伝説の職人が、半世紀前に苦しめて山羊を殺してしまったことをずっと後悔している。
苦しみながら山羊に謝り続けている」

解体を生業にしている職人も、ずっと悩んでいる。




生きていくためには食べるしかない。どうせ食べるならうまいほうがいい。

映画「おくりびと」で山崎努がいった台詞だが、身勝手だといわれようが、人間もいきものである以上、いきものを食べるしかない。せめて、その食べるいきものの命の尊さを思っておいしく食べろ、というわけだ。




さて、一方で、森氏が本書でいいたかったことがある。
「知ること」だ。

「大切なのは『知ること』。知って『思うこと』
人は皆、同じなんだということを。いのちはかけがえのない存在だということを」

「思考の停止、麻痺がないと生活は維持できない。でも時にはこの麻痺について、矛盾について、少しくらいは考えたほうがいい」
「知ってそのうえで、生きてゆくしかない。つらいからといって目をそむけてはいけない。まずは知ること。そして悩むこと。考えること」




「死」についてもそうだと思う。
いま食べたいきものはどうやって「死んだ」のか。
それを食べていきてきた自分はどうやって「死ぬ」のか。

なるべく目をさらして、なるべく考えないようにしたい。
そうすることで楽に生きられるのは確かだろう。

しかし、「楽な生き方」は、たいせつななにかを犠牲にしていることを忘れてはならない。

「知らない」なら罪はないが、「知ろうとしない」ことは罪だ。

「知って」「租借して」、結論は出ないかもしれないが、自分なりに落とし前をつけることが、「よりよく生きて、よりよい最期を迎える」ことになるのだと思う。



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2014年08月30日

「死ぬ」ってなに?『死の都の風景』





『死の都の風景』(オトー・ドフ・クルカ/白水社)

オトー・ドフ・クルカ Otto Dov Kulka
1933年、チェコ東部の小さな町ノヴィー・フロゼンコフで、ユダヤ系の父エーリヒと母エリーのあいだに生まれる。42年、テレージエンシュタットのゲットーに収容される。翌43年、母親エリーとともにアウシュヴィッツ第2収容所ビルケナウへ移送され、同収容所の「家族収容区」に収容される。このとき多くの親族を亡くす。45年1月、ソ連軍の進攻を間近にしたナチスが強制的に収容者を移動させた「死の行進」を、父エーリヒとともに経験する。その際、父と脱走を果たし、チェコへ戻る。49年、単身イスラエルへ移住。初めはキブツで農業に従事するが、のちにユダヤ史の勉強を始め歴史学者となる。現在はヘブライ大学の名誉教授。



「死」のかたちはさまざまだ。
人生をまっとうしたあとに静かにやってくる「死」。
事故や犯罪など唐突にやってくる「死」。
重い病に罹患し生存の期間を限定されたうえで訪れる「死」。

「戦争」での「死」は特異なかたちだ。
“運”だけを盾に弾が飛び交う中を走り回る状況の中で「ぶち当たる死」というものは、実際に体験してみなければわからない。

愛国心、イデオロギーで「死」への恐怖心はだいぶ麻痺しているのかもしれない。
前線に出されるまでに、さまざまな訓練を受け、その過程で「死」を受け入れられる準備ができるのかもしれない。

ホロコーストも紛争中、戦時下で行われるという意味で「戦争」での「死」に分類されるのだろうが、しかし。犠牲になった当事者からすれば、「約束された『死』」はどの「死」のかたちとも違う、と声を大にして主張するだろう。

弾に当たれば死ぬ戦場とは違い、99%の確率でガス室送りにされることを知っている彼らにとっての「死」とはいかなるものか。
いかなる想像も、彼らの「死」のかたちに近づくことは難しい。



ユダヤ系の歴史学者である著者は、チェコ東部の小さな町で生まれた。
やがてドイツに占領され、1942年テレージェンシュタットのゲットーに収容され、翌年に母親とともにアウシュヴィッツ第二収容所ビルケナウに移送された。

1945年ソ連軍の進攻を間近にしたナチスが強制的に収容所を移送さえた「死の行進」を父親と経験。そのさなかに父親と奇跡的に脱走し、「約束された『死』」を免れた。


これまでは歴史学者の立場からユダヤ現代史、ナチズムに関する研究に取り組み、個人的な体験について公に語ることを避けてきた著者が記憶から溢れ出るイメージと省察を、テープ録音起こしと日記にまとめたものである。


一読したあと、ちょっとした違和感を覚えた。
過酷な体験を通した著者のおぞましい記録譚かと想像していたのだが、意外にもアウシュヴィッツへの郷愁をこめた抒情的文章が随所に見られるのだ。

そもそも大量虐殺が行われた「誰ひとりとして生きて出られない」「死が基本として前提にある」アウシュヴィッツを「死の都」と呼び、収容所に到着した夜のことを、「あの夜には、電飾のごとく眩しい光が、私たちの顔を照らし出した。貨車はゆっくりと『光の回廊』へ、『死の都』へ入場した」と表現するなど、どことなく悲壮感より、哀愁さえ感じる。


アウシュヴィッツの印象について、以下のような文章がある。
「色は青、澄み切った夏の青空だ。遠い世界からメッセージを運ぶ銀色の小型飛行機が、ゆっくりと紺碧の空を横切り、その周りでは白い泡のようなものが湧く。あの晴れた夏の日、飛行機は行き過ぎ、空は青く美しいままで、そして遠く、遥か彼方には、まるでこの世のものではないような青い山並みが、その存在感を示している」


もしかすると、10歳という多感な年齢のせいかもしれない。
「大いなる死という不変の掟として封じ込められている」アウシュヴィッツを、
「生き延びた大人の収容者がみな経験し、大方は衝撃を受け、あっというまに打ちのめされた、激しく、むごたらしい、破壊的な苦しみや軋轢は、私にとっては存在しなかった」

「なぜならそれが初めて知る世界であり、秩序であったからだ。選別という秩序、唯一の確かな展望として世界を統べる死。それはすべて自明の理も同然だった」

幼い少年の目に映った理不尽な世界は「理不尽さ」を超越した圧倒的「秩序」に支配されていたのだ。

著者はしかし、その感覚を自問自答する。
「(アウシュヴィッツについて書かれた)本はたくさん売れている。彼らは一貫した言語で、無数の読者にはっきりと語りかける。だが私は、彼らが伝えようとしていることを、その中に見いだせない! それはまったく別世界だ! 私が表現できそうだと思える反応は、疎外感しかない」
「何が違うというのか? 何かがおかしい!」


著者の体内に潜む苦悩。
それはやはり体験したものにしかぜったいわからない。


「誰もがいつか死ぬと気づいたその瞬間から、人間は無限の好奇心を抱える」
ひたひたと迫りくる「死」と毎日毎日対峙してきた少年。


「そこから、一月十八日の夜、あの旅が始まった。ひらかれた門を通り、ある種の自由へ、白い雪へ、夜の雪へ足を踏み出し、光の鎖の揺らめくあの夜に到達して以来、私がいついかなるときも吸い込んできた、あの『都』の身に纏うものすべてが剥ぎ取られた、広大な空間に出た」

「死の都」を抜け出せた解放感が、すべての体験を別な次元に変化させたのかもしれない。



あのとき、筆舌に尽くしがたい体験をした少年の心に焼きついた哀愁漂う心象風景が、むしろ読み手には、逆らえない「死」の恐怖をともなって迫ってくる。




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2014年08月12日

「死ぬ」ってなに? 「土葬」禁止で自殺者急増のワケとは

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「土葬」禁止で自殺者急増のワケとは



お隣の大国、中国のある農村で高齢者の自殺が相次いでいるという。

失礼ながら、高齢ならわざわざ死に急がなくても、いずれお迎えがくるのでは、と思ってしまうのだが、実は、中国ならではの社会背景があるらしい。

中国は複数の民族や文化が混在している多民族国家。
中でも人口の9割を占めるのが漢民族である。

漢民族は、古来から「生」と同じように「死」を重要視してきた。
「人は死ねば必ず土に帰る」という思想のもと、祖先の墓を立派にすることが、生きている者に繁栄と幸福をもたらすと信じられてきた。

この世は陽間、あの世は陰間と呼ばれ、死後はみんな地下の陰間で衣食する。

こうした死生観から、埋葬方法として広く「土葬」が行われてきた。
『火葬は死を生と同じようにということに反する』
というわけだ。

ところが、1956年に毛沢東が火葬の導入を提唱し、一転、土葬から火葬へと『国策』として推進することになった。
理由は森林資源の節約と農耕地の確保が目的だったようだが、
それを境に古き習慣を捨てさせるため「改革殯儀・移風易俗」のスローガンのもと、積極的に「火葬」が推奨されるに至った。

一方、都市部では土地の価格が高騰し、一部の金持ちを除き、火葬せざるをえないという事情もあり、おおむね火葬が行われている。


とはいえ、古い慣習が色濃く残る農村部では、まだ「土葬」が主流。
「棺が立派であればあるほど、死後の世界でいい暮らしを送ることができる」と信じられてきた農村部では、老年にいたれば自分で埋葬用の棺おけを買うのが慣わしだった。
「生きているうちに棺を造れば長生きできる」ともいわれ、高級な棺おけを用意するひとも少なくないという。


こうした中、安徽省安慶市が、6月1日以降、市内での埋葬をすべて火葬にする政策を打ち出した。
しかも、用意した棺おけは没収されるという。
この政策に、「もし焼かれて身体を失えば入土できなくなる」という不安を抱く高齢者が、自ら用意していた棺おけで「土葬」してもらうために、次々に自殺した。


安慶市には、人の死後、遺体はすぐ埋葬せず、棺に入れて3年以上、どこかに安置してから埋葬する独特の風習があるという。

まさに、「死」は、自分、先祖、末裔までを巻き込んだ一大イベントなのだ。
そうした死生観を、一朝一夕に覆されたらたまらない。

ある中国の識者は、「土葬は郷土の民俗文化を体現したものであるため、その改革は徐々に行うべきだ」としている。

まったくそうだろう。乱暴な政策としかいいようがない。
これじゃ、都市部重視・農村部軽視といわれてもしかたない。


ひと一人の「死」をもって、祖先、そして子孫にまで思いを馳せる。
連綿と続く人間の営み、つながりを自覚するうえでも、こうした習俗がもつ精神は大切にしていきたいと思う。

自己完結型の葬儀ではなく、「葬るもの」と「葬られるもの」のつながりを意識した葬儀のかたちを、これから改めて考えてみたい。





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2014年08月10日

「死ぬ」ってなに?『「死」を前に書く、ということ 「生」の日ばかり』





『「死」を前に書く、ということ 「生」の日ばかり』(秋山駿/講談社)


1930−2013 昭和後期-平成時代の文芸評論家。昭和5年4月23日生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒業。35年評論「小林秀雄」で群像新人文学賞。人間の内部を凝視する思索的エッセイ「想像する自由」で注目される。平成2年「人生の検証」で伊藤整文学賞,8年「信長」で毎日出版文化賞および野間文芸賞。9年芸術院会員。16年「神経と夢想 私の『罪と罰』」で和辻哲郎文化賞。平成25年10月2日死去。83歳。東京出身。早大卒。著作はほかに「内部の人間」「舗石の思想」など。


人間の内面を見つめる評論やエッセーで知られ、2013年10月3日、食堂ガンで亡くなった秋山氏の遺作で、2010年10月31日から2013年2月15日までの「思索ノート」をまとめたもの。

敗戦を迎えた15歳少年時から、路傍にころがる石ころをみつめ、人間とはなにか、自分とはなにか、と思索し続けた、秋山氏の、まさに晩年の「思索」がぎゅっと詰め込まれた遺作。

『「生」の日ばかり』とは、
「生」の器を傾けて、日に一滴、二滴の、生の雫を汲むことからつけたもの。
という。

日々、厳しい視点で人間の内面と向き合ってきた秋山氏の、死期がひたひたと迫ってきていることを自覚しつつ、「生」に対する執着、憧憬、愛惜、あらゆる感情を織り込んだ、秋山氏の魂の言葉が羅列されている。
「生」への魂のほとばしり、とでもいうのか。
時に背筋に薄ら寒ささえ覚える、まさに「批評家」らしい「死」との対面がつづられている。


「われわれは何処から来たのか、私とは何か、そして我々は何処へ往くのか」
根源的テーマに正面から対峙してきた秋山氏。

食道がんで亡くなるちょうど3年前からかきつけられた「思索ノート」には、随所に「死」への畏怖、というより「生」の終わりに抗う、烈しい気持ちが見て取れる。


「1日1日を私は失っている」
「私は衰弱し、堕落し、生活は混乱している」
「精神の緊張感というものがない。ただ焦燥だけがある」

「もっと真剣にならなければならぬ。もっと必死にならなければならぬ。人生の頂点が、もうこれっきりだ、という筈はない。もっと遠くへ往かなければならぬ」

「私の内部には、まだ90パーセントの未知の領域がある。それを掘らねばならぬ」


「ただ生きている、ということのために、生きている」
「なんがか無理やり生きているという感じがする」


おそらく、人間の内部、自分の内部には宇宙的な深さがあることを、晩年になってさらに認識を新たにして、しかし、自分はその宇宙の果てをうかがい知る時間がないことへのもどかしさがにじむ。



自分は「石ころ」である、を原点に批評家の道を歩んできた秋山氏。
しかし、批評家の視点には変化も見られる。

「自分の『内』と自分の『外』。そんなことが、なぜか、改めて気にかかるようになってきた」
「思ってみれば、わたしは実に長く、自分の思いがつくる内面世界の中で生きてきた」
「『自分の思い』だけでは、生きるということが成立しない。『生きる』ということは、自分の『外』のものすべてを、自分で掴む、というか、自分の根底にすることだ」「それなのに、わたしは、自分の『外』に在る小さなもの達について、ほとんど注意を払ってこなかった」

「言葉による飾りを叩き落そうとした」「正体を見出し、手で触れて確かめたかった」
「人はその生の歩みにつれて、三度、ものの言い方が変わる」
「わたしは、いま、ものの思い方の変わりの、三度目のところに立っている」
「もの事の『飾り』というもの、それは大切なものだったな、と思えるようになったのだ」




秋山氏の前に立ちはだかる「死」の壁。
それはもしかすると批評家の視点をさらに鋭意にした効果があったのかもしれない。しかし、こころの葛藤は避けられない。

「遊ぶ そうだ。この事を私は忘れていたのだ」「遊ぶ。その事によって、私は自分への固執から離れることが出来るのかも知れぬ」

「杖をついてはのろのろ歩き、座り込む80歳」「家を出てきて歩く、ということがいかにも“儚い努力”に感ぜられる」
「顔なじみの年寄り連中がせっせと歩く。ひたすら前方の一点を見据えるようにして黙々と歩く。その真剣さが私を撃った。生きるとは、もっと必死の努力なのだ」

「私はもう充分に苦しんだ。私は、この私から離れよう。もう一度生きてみなければならない。或る任意の一人である『彼』という人間になって出発しよう」


「遊ぶ そうだ。この事を私は忘れていたのだ」「遊ぶ。その事によって、私は自分への固執から離れることが出来るのかも知れぬ」



なんとかして、いまの自分から脱皮したいというもがきが、ひしひしと伝わってくる。



秋山氏にとって、「死」は、自分だけの問題ではなかった。
帯状疱疹で日々苦しみ続ける長年連れ添った伴侶を前に、また自分も苦しみ続ける。


「痛、痛、痛、痛、痛…」
「その痛さ、並大抵のものではい(らしい)                                                                                                          

「もう5年前に死んでおけばよかった、と法子。打てば響くように、わたしも同じ言葉を重ねる。もう5年前に死んでおけばよかった」
「痛い、どうしてこんなに痛いのか」「これが生きている、ということか。それじゃ、生きていることに、どんな意味があるのか? と法子がいう」

「死ぬ」ということが、夫婦の間でお互いに、何の感傷もなく何の誇張もなく、素直な声で言えるようになった。一緒だといいね、とにっこり笑う。わたしも、うん、うん、と頷くが、その言葉の背後の思いはお互いにわかっている。一緒に生きてきたのであるから、相手が死ぬのを待って相手を葬っていってやろう、というのだ」
「そんな思いで、『いま』の一日一日を生きている」

「長く無意味な苦痛に堪えて生きている人間がいる。その隣にいて、いったいこの生は何か、と問い始めた者が、宗教に成るものを考え始めたのではないか。そんなふうに、この頃わたしは思うようになった」



また、未曾有の大震災も、秋山氏に大きな影響を及ぼした。


「瓦礫の他何もない地平を見ていると、ここに、生きるとは何か、について考え始めるときの、原型的な材料がすべて凝縮されているのだ、という気がしてきた。それと同時に、わたしは、自分の生や内容や、その生を導いてきた自分の考えが、どんどん小さくなっていくのを感じた」
「こんどの震災は、一つの啓示であった。人が一人も居ない災害地の光景が、そのまま直裁に『われわれは何処から来たのか』『われわれは何処へ往くのか』という問いを表現していた」






「生」の、その先にある「死」に対してはどうか。



「『餓死』が、もっとも楽な市に方だと感ぜられる。なにしろ、生きるための努力、ということを止めて、何もしないで居ればいいのだから」

「独居老人の孤独死は、すべての場合が、自覚した飢餓死であったのだろう」
「自覚した飢餓死とは、つまり、『生きる努力』を放棄する、といういとだ」



「自殺といっても、以前とはぜんぜん違った考え方をするようになる」
「まるで生を蹴飛ばして、『死』へ飛び込む、といった烈しい行為である。なぜ、烈しい行為になるのか。ちょっと、生への『面当て』という感じもする」
「その行為の背中を押すのは、生か、死か。いくら考えてもゼロ次元的な地平が広がる」



「『他界』などという言葉、使わないほうが良かったのではないか」「『他界』というと仏教用語だ」「未知『他界』というものに触れ合う、というときの感触の純粋さ、それが汚れてしまう」




そして、「死」を前に、「生」を書く。


「われわれが生きる、とは、『生きる努力』を、千分の一秒毎に新しく発動することなのだ」


「屋根の下には、洗濯物がある。わたしはいつの間にか、洗濯物が、『家が生きている』ということを、あわらす表情のようなものだ、と思うようになっていった」

「わたしは、どういう訳か、『世間』というものが好きなのだ。雑然としたにぎやかな世間」
「古典とか有難そうなことを言っている本でも読めばいいのだろうが、わたしはそれはしない」「それよりチラシ広告などに、眼を惹かれる。「世間」が動いている、と感ずる」



自分が生きている「生」を実感するために、まだこの世と接続していることを実感するために「世間」は必要な媒介なのだ。
その「世間」を去るときは、「生きる」ことをやめる、つまり「餓死」するのだ。




 
ある日、目の前の灰皿をじっとみつめて、ささやく。


「なあ、お前。おれも、お前も、ずいぶん長く一緒に暮らしてきたな」
「ふと、長い旅路に誘われているような気分になる。『なあ、お前』と、告げて歩きたい気がしている」


「朝が来た。『静か』だった。世はなべて事もなし、といった感慨を一幅の絵にしたように、静謐であった。その一幅の絵のようなものを、抱きしめてもいいような心持ち、を味わった」




まさに、こんな朝に、死を向かえられたら、と思う。
はたして、秋山氏の「その日」はいかがだったろうか。
そして、自分自身、「世間」との決着はついたのだろうか。


秋山氏の人間へのあくなき探究心が幾重にも折り重なり、胸に積もっていくようで、
いつか、また、読み返してみたいと思う一冊である。





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2014年05月31日

「死ぬ」ってなに?『ぶたばあちゃん』







『ぶたばあちゃん』(マーガレット・ワイルド/あすなろ書房)

マーガレット・ワイルド/南アフリカ生まれ。1972年にオーストラリアに移住。新聞、雑誌記者、児童書の編集者を経て、現在はオーストラリアを代表とする児童書の作家として活躍中。オーストラリア児童図書賞を含めた数々の賞を受賞している。日本で翻訳されている絵本に「ジェニー・エンジェル」(岩崎書店)、「キツネ」(BL出版)などがある。本書以来、ヤングアダルト向けの作品に意欲的に取り組んでいる。シドニー在住。


孫娘とふたりで暮らしているぶたばあちゃんが、ある日自分の死期が近いことを悟り、孫娘と「死」への準備をはじめるという物語。

「死」を目の前に、気丈に淡々と時分の「後始末」をするぶたばあちゃんの気丈さが胸を打つ。
子供に「死」が身近な存在であることを教える教材としても有用だと思う。

中には「子供に読ませるのは躊躇する」といった意見もあるが、
直接的な「死」を描いているわけではないし、いつか誰にでも、老齢のぶたばあちゃんだけじゃなく、まだ幼い孫娘にも、そして読んでる子供にも、決して逃れられない、必然的な「死」を意識させることは、「生」を意識させることにもなり、そういう意味で有益な絵本だと思う。


ぜひおとなも、ゆっくりと時間をかけて読んでみてほしい。





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2014年05月24日

「死ぬ」ってなに?『「平穏死」10の条件』







『平穏死10の条件』(長尾 和宏/ブックマン社)


1958年香川県生まれ。1984年東京医科大学卒業、大阪大学第二内科に入局。1995年兵庫県尼崎市で開業。複数医師による365日年中無休の外来診療と24時間体制での在宅医療に従事。医療法人裕和会理事長、長尾クリニック院長。医学博士、日本尊厳死協会副理事長・関西支部長、日本消化器病学会専門医、日本消化器内視鏡学会専門医、日本内科学会認定医、日本在宅医学会専門医、日本禁煙学会専門医、日本病態栄養学会評議員、労働衛生コンサルタント、日本慢性期医療協会理事、日本ホスピス在宅ケア研究会理事、尼崎市医師会内科医会元会長、関西国際学客員教授。



余計な苦しみを味わうことなく「平穏」に最期を迎えたい。
「平穏死」は、誰しもが願う死に方である。
しかし、その誰しもが望んでいるにもかかわらず、「平穏」に死ぬことがいまのわが国では非常に難しい。

兵庫県尼崎市の開業医である著者が、「平穏死」を難しくしている背景と対策、心構えをわかりやすく解説したのが同書だ。

皮肉にも一番の元凶は病気を治療する病院にあるという。
病院では病気の患者を治療するわけだが、医者は「死」は敗北と教えられてきたために、最期の最期まで「延命」にこだわる。というかこだわらざるをえない環境にある。

しかし、「治療のデメリットがメリットを上回ると感じるときが終末期」だとするならば、終末期の延命措置は無意味であるばかりでなく、患者に余計な苦痛を与えるだけになる。


高校生のときに父親が自死。そのときはじめて「死」について考えるようになったという長尾氏も、以前は一生懸命「延命治療」を行っていたという。
「終末期は延命措置をやればやるほど患者さんの苦しみが増える。もがき苦しむ患者さんを苦しめていた犯人が、じつは『私自身』であることに気づいていなかった」
なぜ「これまで幾多の苦難に耐え、乗り越えてきたのにその果てにこのような試練に耐え」なくてはいけないのか。
「延命治療に一石を投じたい」と強く願うようになり、
「平穏死」の普及に力を入れ始めた。

とはいえ、
「現実には多くの病院で延命に力をいれ、緩和医療は後手になりがち。結果、『平穏』からはほど遠い状況で死を迎える」
中で、ただ漠然と願うだけでは難しい。


そこで長尾氏は、「平穏死」を叶える場として「在宅療養」を一番にすすめる。
自宅だとなんの制約も受けずに好きなことができる。
たとえば、病院では「一生食べてはいけない。食べると死にます」といわれたのに、自宅に帰ってきたとたん、1時間後には水を飲み、2時間後には夕食を食べ、4時間後にはかなり元気になり、12時間後にはまるで別人のように復活したという事例もあると。

長尾氏は「生きることは食べることなのだ」と強く自覚している。
病院にいたらもちろん患者が希望してもなかなか受け入れてくれない。
それはそうだ。万が一、食べたことで事故があったら病院の責任問題になるのだ。
でも自宅なら、それは自己責任である。自由とは責任をともなうのだからそれは仕方ない。


長尾氏はいう。
「『老衰」の平穏死への戦略は『最期まで食べることにこだわり、胃ろうは造らない』『少量の点滴はすることもある』『毎日の生活を楽しむ』』。

そしてなにより、自分の死について考えておくことが必要だと説く。
「グルメ情報や金融情報などは目の色を変えて探すのに、自分自身の『命の終わり方』となると『よろしくお願いします』といとも簡単に医者に任せる人が多い」と嘆く。

あるとき、在宅療養するか、病院で延命治療を続けるか、家族に聞くと、「私は手を汚したくありません。先生が決めてください」といわれたという。
「自分はどこで死にたいのか、家族をどう見送ればいいのか。『死』について何も考えてこなかった結果」であると。

「日本人の死生観はなぜかくも脆弱なのか。死生観を支えてくれる宗教や哲学のバックボーンが希薄だからか」

いずれにしても、一番大切なはずの「最期のとき」を医療者任せにせず、事前にどうしたいか、しっかり話し合っておくことが大切なのだ。



在宅療養の選択をするか、病院で最期まで延命治療を受けるか。
患者にとっても家族にとっても難しい選択であるのは間違いない。
でも「どんな最期を迎えるか」は、まさに人生の総仕上げといっても過言ではない。

「死」から逃げずに、一度正面から受け入れ、その意味を考えてみることが必要であろう。






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2014年05月18日

「死ぬ」ってなに?『こころのふしぎ なぜ?どうして』





『こころのふしぎ なぜ?どうして?』(村山哲也監修・大野正人原案/高橋書店)

村山哲也/文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官。国立教育政策研究所教育課程研究センター研究開発部教育課程調査官・学力調査官。1990年から都内公立小学校教諭、副校長、墨田区教育委員会統括指導主事などを経て、2009年から現職。第4期中央教育審議会教育課程部会理科専門部会委員(小・中学校理科)、学習指導要領改善協力者会委員(小学校理科)などを務め、11年実施の小学校学習指導要領理科の中心的な役割を果たす。



小さいときはもっと純粋な気持ちで捉えていたことが、
歳を重ねれば重ねるほど忘れてしまったり、
「おとなの事情」とやらで自分を納得させたり勝手な言い分で解釈したり。

とかく、「おとな」とはやっかいなニンゲンである。

そんな「やっかいなおとな」たちに、いま改めて読んでほしい本が、
同書だ。

すでにベストセラーとなっており、知ってる方も多いかもしれないが、
小学生低学年向けに制作された同書は、さまざまな感情を生み出す「こころ」をテーマに、シンプルに深く探求している。

「くやしい」「うれしい」「こわい」「きらい」「せつない」「かなしい」
そんな「こころ」の正体をキャラ立てしたイラストを多様し、
「こころはどこにあるの?」
「『せいぎのみかた』ってどこにいるの?」
「かなしみはいつきえるの?」
「じゅみょうってなに?」
「いじめられたらどうしたらいいの?」
といった設問形式で、子供にもわかりやすく解説している。

同書はあくまでも子供向けだが、なぜか「おとな」たちが、時には涙を流しながら読んでいるという。


夫婦や恋人、会社・友人・家族関係、そういった「しがらみ」の中で長年生きてくると、どうしたって「こころ」も次第に変節し、ゆがんでくるもの。

なぜ自分はここにいるのか、なぜこのひとと一緒にいるのか、自分の人生はなんだったのか、相手がなにを考えているのか、どうしてあんなひどいことを言ってしまったのか。

みずからの感情に振り回され悩んでいる「おとな」たちが、この本に「答え」をみつけて、はっとさせられるのではないだろうか。


おそらく子供に質問されて、明快に答えられるひとは少ないであろう疑問に、本書はやさしく、ときには厳しい視線をもって語っている。


ある1点で、ほんの少し疑義があった。
「人がしぬって、どういうこと?」
の質問に対し、
人間はたくさんのひとたちとつながって生きている。死んだらそのつながりは重い鎖に変わり、残されたひとはその鎖の重さに耐えながら生きていく。ときには耐えられなくなりくらい谷底におちて苦しい思いをすることになる。だからひとは殺してはいけないし自ら命を絶ってはいけない。
と、解説してあるのだが、人をあるいは自らをあやめることを自制させる意味であろうことは理解できるが、「死」を恐ろしいこと、自分をおいて死んでしまった人間=悪、というイメージを植えつけてしまう危険があるのでは、と心配した。

「死」を肯定するつもりはないが、誰にでもやってくるし誰の周りでも日常的にある「死」を、子供のころからもっと当たり前なものとして捉えさせることが必要なのではないだろうか。

「死んだことがある人間」はいない以上、知らない=怖い、という「こころ」の感情を払拭することは永遠にかなわないが、少なくとも、「生の終わり」くらいの思いで「死」を捉えられれば、歳の重ね方も変わってくると思うのだが。



いずれにせよ、教科書には載っていない「こころ」のふしぎな働きを、いま改めて認識できる同書は、ぜひ「迷い悩んでいるおとな」たちにもおすすめしたい。






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2014年04月15日

「死ぬ」ってなに?『葬式は、いらない』






『葬式は、いらない』(幻冬舎)

島田裕巳
1953年東京都生まれ。宗教学者、文筆家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授を経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター客員研究員。



「葬式なんていらないんじゃないか」
そういわれて、「まったく、わたしもそう思っていた」とポンとひざを叩いて即答するひとは、じつはそう多くはないのではないかと思う。

確かに、地方の大きな家で行われる葬式ならまだしも、セレモニーホールで行われることが多くなった葬式はどことなく押し売り的にマニュアル化され、式自体は流れ作業的に「消化」されていくことに少なからず違和感を覚えていたことは確かである。とはいえ、そんなに頻繁に参列する機会はないし、参列したときにはそう思っても、そうした違和感はすぐに忘れてしまう。

しかし、歳を重ね、いよいよ自分の「葬式」を考える年齢になってくると、そろそろ「葬式問題」に正面から取り組む必要はあるのかもしれない。



ベストセラーになった同書が支持を受けた一番の理由が、その衝撃的なタイトル。
しかし「葬式なんて、いらない」ではなく「葬式は、いらない」としているところに、著者の真意が隠されているように思う。

つまり「葬式はあげなくていい」といっているわけではなく、よくわからないまま多額の費用をかけて葬式をあげる必要はない、と。

葬式自体は古来から、世界中で営まれてきた。古墳の装飾などから見て、それこそ人類草創期から死者を弔ってきた可能性が高い。
つまり葬式=悪しき習慣では決してなく、連綿と続く人間愛に裏打ちされたすばらしい習俗なのである。


しかし、いかんせん、現在の葬式は費用が高い。全国平均で231万円である。
もちろん、故人を偲ぶ大切な儀式であり、費用ウンヌンという話を持ち出すこと自体ナンセンスといわれかねない。確かに、231万円にそれ相応の納得できる内訳の理由があればいいのだが、じつはよく理解しているひとが圧倒的に少ないのではないか、と著者は問題提起しているわけだ。



そもそも葬式には故人を送り出すという意味のほかにも一定の役割があった。
遺族や知人が気持ちの整理をするという意味はもちろん、家を受け継ぐ仕事なら葬式で喪主になるのは後継者であり、葬式で後継者を披露するという意味あいがあった。
しかし、50年以上前に都会に出てきてサラリーマンとしてそのままそこに定着した人々がちょうど死を迎える時期になってきている。核家族化がすすみ、「家の葬式」から「個人の葬式」へと移行してきているのだ。
つまり、ここにきて葬式の意味合いが変わってきている。必ずしも豪華な葬式は必要なくなったわけだ。


そもそもいまの仏教は「葬式仏教」である。死者を葬ることを第一の使命にするが、じつは飛鳥時代から奈良時代の仏教は高度な学問の体系として受容され、葬式仏教の側面はまったくなかった。
葬式をあげるのは、故人が成仏し極楽浄土へいけるようにするため。しかし、たとえば古墳からは極楽浄土といった異界の痕跡は発見できない。
仏教が伝来した当初も極楽浄土の概念はなかった。
仏教式の葬式が開拓されたのは、道元の曹洞宗においてからといわれている。
密教が普及し、さまざまな異界が存在するという新しい世界観が受け入れられたのだ。


平安時代の貴族は極楽浄土への往生を強く望んだ。その願望を具体的に表現した代表的なものが宇治の平等院鳳凰堂である。

葬式とは単に故人を弔うでけではなく、“あの世”を具象化した「極楽浄土」へいけるようにするための儀式に変わってきたというわけだ。



そもそもである。
仏教の開祖である釈迦は、死後のことは死んでみなければ知ることはできない。生前に死後について考え語ることはできないし無駄である、といっている。
なんとも潔い考え方である。
あるのかないのかわからない、とつぜん誰かが唱えだした「極楽浄土」の世界観に、現代の葬式仏教が翻弄され、「ムダな」お金が使われている、そういえなくもない。


著者はいう。
「もし葬式が最初から神道と結びついていたならそれは質素なものにとどまっただろう」と。



著者が多くの紙面を割いて訴えているのが「戒名料の高さ」だ。
「葬式を贅沢なものにする上で『戒名』が果たしている役割は大きい」という。
ではどれほど戒名料は高いのか。

○ ○院殿□□□□大居士(清大姉)  100万円
○ ○院殿□□□□居士        70万円〜100万円
○ ○院□□□□居士(大姉)     50万円〜70万円
□ □□□□居士(大姉)       20万円〜30万円
□ □□□□信士(信女)       10万円〜20万円
□ □童子(童女)          3万円〜

ランクが高い戒名をつけたら布施も跳ね上がる。
寺の檀家になっている場合が多く、ランクが高いと寄付の額も高くなる。


そもそも「膨大な仏典にも戒名について説明されていない。戒名が存在するのは日本だけ」なのだ。
そして「戒名はランクをともなうことで社会秩序を安定させる役割も担うようになったが、その点でも戒名は仏教の教えとは関係ない」のだ。


檀家制度がまず高い戒名料と関係がある。
「檀家になるということは、平安貴族が味わっていたのに近い境遇にあることを意味する。昔なら上層階級だけが実現。檀家であるということが贅沢。
その特権を護るためには相応の負担が必要だが、わたしたちは意識もないし自覚もない。戒名料を払うときには不満をいい批判するのがいいか、檀家も考え直す必要がある」
として、根の深い問題であることも事実なのだが、それ以前に戒名の意味もよくわからなくなってきている。
「僧侶になるための儀式が『得度』で、僧侶の戒名は世俗の生活を捨てた証に授かるもの。にもかかわらず、世俗の世界での事柄が盛り込まれている」
のだ。

著名人たちの戒名を例にみてみよう。

石ノ森章太郎 「戒名」石森院漫徳章現居士
黒澤明    「戒名」映明院殿紘國慈愛大居士

いかにも世俗の世界を彷彿とさせる戒名である。

そしてもうひとつ。
「戒なき坊さんから戒名を受けるのは矛盾」。
「僧侶は与えられた戒を堅く守らなければならないのに、日本の僧侶は妻帯し酒も飲む。どちらも五戒で戒められている」

戒名を授ける資格がそもそもない、というのだ。
無資格のひとに多額の戒名料を払うのは馬鹿げていると。


高度経済成長がはじまって「院号」の戒名が増加、平成に入ると66%に達したらしい。
戒名料を含めた布施の額は東京周辺では40万円から70万円に上昇したという。
なんともバブルな話である。




仏教界も「高い戒名料」に対して対応策を練り始めている。
しかし、「仏教寺院の全国組織である財団法人全日本仏教会では、戒名料という名称を使わないようにと報告書をまとめたが、この提言を具体化する動きは進められていない」のが現状である。




さて、前述したように、核家族化の進行で家族の規模が小さくなり、家そのものの重要性が低下、葬式のありかたも大きな変化を見せてきている。

その最たるものが、「直葬」である。
「直葬とは、故人が亡くなったあと、遺体を寝台車に乗せ、自宅や葬儀社が用意した一時的な安置所に搬送し、安置する(火葬までに24時間必要だから)。そこで納棺し近親者だけで通夜をする。会葬者は呼ばない。通夜がすんだら翌日霊柩車で火葬場へ出棺し荼毘にふす。最後に収骨、骨あげして葬式は終わり」。

「もともとは十分な葬儀代が出せないひとのため」であったが、
「いまでは東京では20%が直葬。普及率は東京が圧倒的に高い。寿命が延び大往生が増えてきたことが大いに影響している」という。

「直葬や家族葬なら会葬者はいない。通夜ぶるまいなどの飲食費もかからない。香典返しもいらない」
つまり、シンプルであり低予算で「葬式」があげられるわけだ。


墓のありかたも変化してきている。
「永代供養墓は核家族化が進み、後継ぎがいない家が増えたことで生まれた形態。永代供養料として一定の金額を支払うことで、墓守となる後継ぎがいなくても、寺が命日に読経するなど供養を続けてくれる」
「祖先崇拝の前提には後継者の存在が不可欠。墓を守り続ける人間がいなくなれば伝統的な葬送習俗は成り立たない」
墓守りがいないのだから、そもそも墓もいらない。
「墓が寺になければ葬式をどういった形であげようともかまわない。僧侶を呼ぶ必要もない。戒名だって授かる必要はない。自由度ははるかに高くなる」



著者はいう。
「方向性ははっきりしている。葬式は明らかに簡略化に向かっているし葬式を必要としない方向への変化である」


もちろん、葬式を否定しているわけではない。
「葬儀は気持ちの整理の場。でも、突然亡くなったりすると、遺族は深い悲しみにある状態のなかで、葬式をあげること自体、辛くて悲惨。
その意味では大往生できるということは本人も遺族にも幸せ。むしろ故人が立派に生き抜いたことを素直に喜べばいい」
「ひとりの人間が生きたということはさまざまな人間と関係を結んだということ。葬式にはその関係を再確認する機能がある。その機能が発揮される葬式なら誰もがあげたい」

「最期まで生き切り、悔いを残さない。それが理想の生き方であり死に方。それが実現されるなら、もはや葬式がどのような形でも関係ない。生き方とその延長線上にある死に方が、自ずと葬式を無用なものにする」



“ぼったくり”の葬式を改め、いまわたしたちが必要とする「葬式」のあり方を、いまここでじっくり考えておく必要がある。





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2014年03月21日

「死ぬ」ってなに?『編集者という病い』






『編集者という病い』(太田出版)

見城徹/1950年静岡県清水市生まれ。慶応大学法学部卒。75年角川出版入社。93年幻冬舎設立。03年幻冬舎をジャスダックに上場。現在幻冬舎代表取締役社長。


編集という仕事に取り憑かれた男の壮絶な生き様は鬼気迫るものがあり、読み手に食いつき、ときにゆさぶり、そして誰もみたことのない境地を垣間見せてくれる。

冒険家が未開の地に分け入るように、見城氏は人間の深層にもぐりこみ、内面を抉り出していく。


編集手法だけじゃなく、過去類を見ない12億規模の62冊の文庫を一挙に刊行したり、『ダディ』を初版50万部で発行したりと、度肝を抜く経営手法で幻冬舎を上場企業にまで成長させた。


出版界に旋風を巻き起こした「見城徹」という人間を赤裸々に描いた同書、出版に興味がない方もぜひご一読していただきたいが、ここでは、見城氏が同書で語った「死生観」について触れてみたい。


「顰蹙は金を払ってでも買え」と豪語する見城氏。さぞ怖いものなどないだろうと想像していたが。

「五十代半ばを超え、死の瞬間が確実に近づいていることはよくわわかります。
肉体は確実に衰えてきている。いまいましくもその事実をよく承知しています。
自分の人生はとりあえず七十年、そう勝手に決めています。
残りの人生を真剣に生きようと思うけれど、そう思えば思うほど、センチメンタルな感情がこみ上げてきて、涙が出てきてしまう。涙で目がかすむ回数がとみに増しています」


おそらく、立ち止まり振り返る暇もなく、まさに怒涛の勢いで人生を駆け抜けてきた見城氏も、「死」を意識せざるをえない年齢に達して、はじめて目の前に立ちはだかる「死」への恐怖を感じているのかもしれない。
それは、「死ぬのが怖い」という心理なのか、あるいは「残された時間の少なさ」に恐怖しているのか、それはわからない。

ただ、残された時間への「準備」については、仕事と同様、周到に進めている。

「命には果てがある。
どこかで何を最優先して決着をつけるかを考えなければいけない。
ライフスタイルなのか、女なのか、金なのか、事業の継続なのか」

見城氏の「生」の動力源はいったいなんだったのか。
「最大のモチベーションは女だった」

これまでつきあってきた彼女たちにほめてもらいたい、その「単純」な願望が見城氏をしてなりふりかまわず突き動かしてきたのだ。


ひとにはそれぞれ欲望がある。
名誉欲、出世欲、金銭欲、権力欲、etc。
失礼だが、見城氏はそのどれも持っているようにも思えるが、実はそのどれでもなく、ただ目の前の「女性」にほめてもらうことだけが、見城氏のモチベーションだったのだ。

実際、同書のあとがきに、
「『暗闇の中でのジャンプ』を見守ってくれた、勝手に恋した7人の女性たちに捧ぐ」
という一文を入れてある。




見城氏がもっとも重視しているのが、「死に際」である。

「俺は自殺すると思う。
死ぬのは怖いが、死の瞬間に少なからず笑いたい。
自殺しない限りその瞬間に笑うことはできないのではないかと思っている。
その瞬間こそが人生を決めるのだろうと。毎夜自問自答を繰り返している」


テルアビブ空港で乱射事件を起こし自爆した日本赤軍の奥平剛士を信奉する同氏。
散り際にこだわるあたり、まさにサムライのような「生き様」である。


見城徹氏の「余生」の生き方にぜひこれからも注目していきたい。





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2014年03月16日

「死ぬ」ってなに?『父の生きる』






『父の生きる』(光文社)

伊藤比呂美/1955年東京都生まれ。詩人。1978年現代詩手帖賞を受賞。99年『ラニーニャ』で野間文芸新人賞、2006年『河原荒草』で高見順賞、07年『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』で萩原朔太郎賞、08年紫式部賞を受賞。エッセイ集に『良いおっぱい 悪いおっぱい(完全版)』『閉経記』、古典の現代語訳に『日本ノ霊異(フシギ)ナ話』『読み解き「般若心経」』『たどたどしく声に出して読む歎異抄』、対談集に石牟礼道子との『死を想う』など。


この作品は、父と娘の「戦友記」である。そして、連綿と続く親と子の、生まれ死んでいく、旅路を、あてどのないぼうぼうとした荒野を彷徨する苦悩を描いた「人間譚」である。

今にも斃れそうな父を背負い、弱音を吐く父を時には勇気づけ、時には罵倒し、ともに「死に場所」まで必死に歩いていく。戦地で決して見捨てることなんてできない「戦友」と粛々と一日一日を生きていく。

それは特別な話ではない。子を産み必死に育てやがて老い、今度は子に助けられやがて死に、その子がまた子を産み育てやがて死んでいく。
そんな、古来から続くありきたりな営みだが、いざ体験してみてそのたいへんさを始めて実感する。


好き同士でいっしょになった夫婦ならまだしも、一生ぴったりと寄り添って生きていくのは何かと難しい。
ましてや親子となればなおのことだ。自立した子は家を離れ、これまで同じ空気を吸っていた親と子の関係は徐々に希薄になる。そしてある日突然、引き戻され親の介護を余儀なくされる。いちど離れた親と子の間には微妙な距離感が生まれるもの。

著者は家族とカリフォルニアに在住しており、老父がひとりで住んでいる熊本との間
をいったり来たりする生活を続ける。
自分が熊本にいないときの父の世話はヘルパーさんに頼んであるが、あるとき、
「夢を見ても、ばあさんに話せない、それがとても寂しい」という父を不憫に思い、
毎日電話をかけるようになった。


ところが、
「すごくおっくうなのを無理矢理奮い立たせて、必死になって、電話をしつづけてました。それでも父が、退屈だ退屈だと呪い、独りだ独りだと呻くんです。その声に耳をすますのは、ほんとうにつらかった。大きくてまっ黒な渦に呑み込まれていくようでした」
と、電話をかけることに並々ならぬプレッシャーを感じるようになる。


 そんなとき、人にすすめられて父との会話を書きとめはじめるようになった。
電話を首にはさんで、父の言葉を聞き取るそばから、紙にかきなぐっていく。
そして、
「書きとめるうちに見えてきたのは、父の「死ぬ」じゃなくて、父の『生きる』」
だったことに気づく。


紙に書き、読んでみると、「愚痴は、ただのもがきでした。私に対する攻撃でもなんでもなかったんです。父の孤独が、私にひしと寄り添ってきました」。



死を意識し、恐怖に抗う父。
「怖くて遠い道を一人で歩いていく。一歩一歩、重たい足を引きづりながら。そこにたどり着くまで、一日また一日を生き延びる。その孤独を、その恐怖を、娘に打ち明ける」ようになる。

それを受け入れる娘は苦痛だろう。目に見えない“怪物”に立ち向かう父、ともに手をとって戦う娘。しかし、それは決して自分の敵ではない。自分の敵は別にいる。


父はときに弱音を吐く。
「おれみたいなどうでもいいのがウジウジいつまでも生きている。もったいないと思う人が死んじゃって」
「だけど退屈だよ。ほんとに退屈だ。これで死んだら死因は『退屈』なんて書かれちゃう。
「ときどき愚痴こぼしたっていいじゃないか、あんたしか言う相手がいないんだし」


そして娘は疲れ果てていく。
(電話がこわれて)
「電話できないんだからしょうがないなあって思って、この二、三日のうのうとしていたのは事実だ」
「私は私で、疲れ果てていたんです。今だけちょっと休ませてもらいたい、と手元の机に突っ伏して必死でしがみついているみたいに」
「九時に行って十二時に行って一時に行ってたら、仕事なんてできるわけがない」

しかしそれでも電話をかけ続ける。
「電話しないわけにはいかない。しゃべらないわけにはいかない」
と自分に鞭打ちながら。


著者はこう心中を吐露する。
「人がひとり死ねずにいる。それを見守ろうとしている。いつか死ぬ。それでも生きる。それをただ見守るだけである。でも重たい。人ひとり死ぬのを見守るには、生きている人ひとり分の力がいるようだ」


やがて、父は旅立つ。
父が死んで、著者はある境地にたどり着く。
「別に(介護を)やりたいとは思わなかった。目の前にあるから、粛々とやるしかなかった。でも、今になってみると、あれを経験して『たどりついて』『のりこえた』ような気がする」
「今は、ぽかんとしている。薄曇りの空が果てしなくつづいているような風景だ。これが独りだということか。はじめてここに来た。ずっと地続きであった。気がつかなかった。
「今まで見てきたものと、これから見るものは、違うような気がした」



著者は、それでも最後まで、そしていまでも自問自答する。
「悔いている。
もっとそばにいてやれた。
それをしなかったのは自分の意思だ。
私は父を見捨てた。親身になって世話をしているふりをしていたが、我が身大事だった。自分のやりたいことをいつも優先した。父もそれを知っていた」

ただ、それでいいのではないかと思う。
ひとりの人間を背負って生きていくのは限界がある。どこかで折り合いをつけなくてはふたりとも共倒れしてしまう。
それは介護されるほうだって決して望んではいないはずだ。


死にゆく人間はだれがどれだけ寄り添っても、やっぱりひとりなのだ。
どんなに強い絆で結ばれた家族だろうと。
おそらくそれは本人がよくわかっているはずだ。それでもときには弱音を吐き、困らせるようなことをいう。
弱いから。人間だから。


「薄曇の空」の下で、連綿と続く終わることのない彷徨は、人間として生まれてきたものの試練なのかもしれない。


悩み苦しみ励まし励まされ生きていくしかないのだ。
そう自覚することが、我々に残された唯一の救いかもしれない。


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2014年02月15日

「死ぬ」ってなに?『どんな病気でも後悔しない死に方』






『どんな病気でも後悔しない死に方』


大津秀一氏
茨城県出身。岐阜大学医学部卒業。緩和医療医。日本緩和医療学会、緩和医療専門医、がん治療認定医、日本消火器学会専門医、日本内科学会認定内科医、笹川医学医療研究財団ホスピス緩和ケアドクター養成コース修了。主な著書に『死ぬときに後悔すること25』(致知出版社)、『「いい人生だった」と言える10の習慣』(青春出版社)など。


高度医療は、末期患者に対してときに残酷な仕打ちをする。
死期がやってきたのに死ねない、「死なせない」ことは、ある意味、人間らしさ、人間の尊厳を踏みにじることにもなりかねない。

大津氏は、緩和医療を通じて、人間らしい最期、「ハッピーエンドの死に方」を提唱する。大津氏はいう。「どんな病気でも後悔しない死に方ができる」と。


では、どうやれば「ハッピーエンドな死に方」ができるのか。
大事なことは「どこまで治療するのか」「その病気の経過を遅らせ共存しながら、やりたいことはなにか、やるべきことはなんなのか」を、医療者ではなく患者本人が考え、それに応えるための家族や医療者がどこまで協力できるか、ということだ。

そもそも、終末医療に携わる大津氏はどんな死生観をもっているのだろうか。
まず来世について。
「実際に帰ってきたひとがいない以上、それは証明されることはない」
だから「あるかもしれないしないかもしれない」と。
一方で、大切なひとを亡くしたひとにとっては「来世」はこれから生きていくうえでこころの支えになると指摘する。
つまり、「来世などないのではないか」「でもいつかあのひとに来世で巡り合えたらうれしい」
そういう矛盾するふたつの気持ちをバランスよく共存させているという。
「あれこれ考えてもわからないのだから、それよりいまをどう生きるかを考えるほうがいい」と。


確かにそうだと思う。自分に都合よく、バランスよく解釈すればいいのだ。
ただ大事なことは、死んだあとより死ぬそのときまでどう生きるか、を常に考えることが大切なのだ。
大津氏は指摘する。『「自分の人生はこれでいいのか」を終末期まで何度も自問し、修正していればきっと最期のときに「自らの人生を生きた」という思いがもてるはずだ』と。


さて、では医学的に「終末期」とはどんな状態を指すのか。
「病状が不可逆的かつ進行性で、その時代に可能な限りの治療によっても病状の好転や進行の阻止が期待できなくなり、近い将来の死が不可避となった状態(日本老年医学会)」。
間違いないのは「臨死期に至るまでは余命の予測が困難であること」だという。
そうした中にあって、「がん」の終末期は比較的余命の予測がしやすいらしい。

よく、「どうせ死ぬならがんがいい」と耳にするが、苦痛をコントロールできることと自分の残りの生が逆算できる利点があるのだ。


そして、治療を受けるのは断然自宅がいいという。
アメリカのがんセンターの緩和ケアユニットのデータで「退院先が自宅であったときがほかの病院やホスピスよりもっとも余命が長かった」という結果もあると。

終末期においてもっもと問題になるのが、「延命」。
これについては、患者と患者を支える家族とのあいだでしばしば「対立」が生じるという。
「苦しまないで長引かずに死にたい」という患者。
「大切なひとができるだけ長く生きてほしい」という家族。
延命治療の考え方が「緩和ケア」の肝であるように思う。

そもそも「死の迎え方」は4つに分類できるという。
@ 状態が良い時間が続き、最後の1〜2ヶ月以内で急速に悪化する病気
A 急に悪くなることを繰り返し、最後はその臓器の機能不全で亡くなる病気。
B ゆるやかに状態悪化を繰り返す病気
C 突然死を来たす病気

「がん」はこの中で@に分類される。がんは年間125万人の死亡数の中で3分の1を占めており、2人に1人はがんで死ぬのだ。
つまり、@状態が良い時間が続き、最後の1〜2ヶ月以内で急速に悪化する病気、である「がん」にかかって最後を迎えるひとが多いわけだ。

大津いわく、がんには以下の特徴があるという。
「悪くなったときは経過が早い」「最後にやりたいことが本気でできる病気」「自分ばかりでなく他人にも優しい病気」
さきほど書いた、「どうせ死ぬならがんがいい」というのもうなずける。

さて、「がん」治療でまっさきに思い浮かぶのが「抗がん剤」。
ところがこの「抗がん剤」は決して「がんを根治する治療ではない」のだ。
だから、「命を延ばせない」と推測される状況なら強い副作用にも苦しむし、通常はやらないほうがいいという。



では「がん」で余命を宣告されたらどうすればいいか。とにかく終末期をどうすごすかを考える必要がある。
前述したように、在宅で治療するのがベスト。そこで大津氏は、「在宅医と訪問看護師の導入」をすすめる。
在宅医と訪問看護師は家まできてくれるし、きちんと終末期の診療・看護をしてくれる施設は24時間体制で対応してくれるという。
まずはかかっている病院の「地域連携室」とコンタクトを取ること。
ここには「医療ソーシャルワーカー」や「退院調整看護師」などの専門化がいる。
また、大津氏は、在宅医と訪問看護師は両方導入することをすすめる。在宅医は診療のプロ、訪問看護師は在宅ケアのプロ。この双方の専門家がかかわることで最大の利益をもたらすのだと。

在宅が難しいという場合は当然入院することになるわけだが、そのときは主治医以外に「緩和ケアチーム」にもかかわってもらうようにすすめる。大きな病院ならほぼ設置されているらしい。
「緩和ケアチーム」は、主治医だけじゃ難しい病状緩和とさまざまな生活の質の向上に取り組んでくれるのだ。

そして、いよいよ最後の入院は、できれば「ホスピス・緩和ケア病棟」がのぞましい。
たとえば、余命数日となると「強いだるさ」に襲われるのだが、こういう状態になると鎮痛剤の効果がなく、うとうと眠れるような薬「鎮静薬」が適当なのだが、「ホスピス・緩和ケア病棟」ではそうした処方が得意なのだという。

こうした緩和ケアを行うと、生活の質への満足度が高いだけじゃなく、抑うつが少なく、余命も長くなる、という調査結果も出ているという。

ちなみに、緩和ケアチームの診療報酬が認められているのは、「がん」と「エイズ」だけらしい。



こうした知識があれば、もちろんいざというときにも役立つし、なにより、変な言い方だが、「安心してがんにかかれる」というものだ。
2人に1人はがんになるのだから、そこは覚悟を決めておいたほうがいいに決まっている。そしていざ「告知」を受けても、自暴自棄にならず、しっかり残された時間を有意義に過ごせるのだ。


とにかく、無駄な延命治療を回避し、自らの人生を自分の意思でまっとうしたい。
そのためには健康なうちに自分の意思を記録しておくことがのぞましい、と大津氏はいう。
たとえば、回復の見込みがない状態で、脳血管障害や老衰、認知症の結果として口から食べられなくなったときに、苦痛をともなう経鼻胃管栄養、胃ろうなどの処置をどうするか、書面にして代理人や家族に渡しておくこと。




大津氏はいう。
「もう寿命の死を不幸にするのはやめましょう」
「死は不幸ではない」と。


そして、「明日死ぬと思って生きなさい」「永遠に生きると思って学びなさい」(マハトマ・ガンジー)と。


「死ぬのはいやだ」「死ぬのは怖い」
そんな不安をまず払拭することが「死」と向き合い自分らしく生きるためには必要なのだ。

ぜひ、「まだまだ死なない」と自負されている方、いまのうちにご一読しておくことをおすすめする。








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2014年02月13日

安楽死の年齢制限

ベルギーで「安楽死の年齢制限撤廃」法案可決


ベルギーでは2002年に18歳以上の安楽死を合法化していたが、
このたび18歳という年齢制限をなくす法案が可決される見通しになった。
「成熟度合いに個人差があり、下限を設けるのは適切じゃない」のが、理由らしい。

●苦痛が耐えがたく、改善の見込みがない
●自発的で熟慮されている

などの要件を満たし、書面で本人の意志を確認したうえで、複数の医師が認めれば薬
物注射などで死期を早める、という。


ただ「親の影響を受けずに子供が独立して判断できるか疑問」
といった反対の意見もあるようだが、
安楽死が年間1000件を超えるお国柄だけに、おおむね賛成が多数を占めている。
地元紙の調査では実に74%が安楽死の年齢制限撤廃に賛成という結果も出ている。


法整備が遅れている日本においてはにわかには信じがたいニュースだが、
安楽死が当たり前の環境にあれば確かに年齢制限などはいらないと考えるのかもしれ
ない。

苦痛は年齢に関係ないし、もし意識がある状況下なら子供ならなおのこと耐え難いか
もしれない。苦しむ子供を見るに忍びないと思うおとなも多いだろう。



とはいえ、冷静に考えると、果たして親が、かわいい我が子の命を絶つことに同意で
きるだろうか(同意は必要ないのだが)。
子供が自らの意志で「死」を受け入れる決断を下せるだろうか。
いずれにしてもそういう選択を迫られる状況に直面しなければわからないし、そのと
きは、想像を超える現実が待ち受けていることは間違いない。



「生まれてくる自由」、はない。
ならば死ぬ権利はあってもいい。
権利を実際に履行するかどうかはともかく、選択権が自分にあるという事実だけでも、
精神的に楽になるのではないかと思う。


しかし、子供にその選択権の意味が理解できるとは正直思えない。成熟度の高い子供
も中にはいるだろうが、逆に選択権があることにまた悩むことはないだろうか。せめ
て自己判断力が確立する年齢(18歳)が妥当ではないかと自分は考える。





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2014年01月25日

がん哲学外来

夕焼け.jpg


がん哲学外来とは


末期のがん患者などへの「緩和ケア」は、痛みなどの肉体的苦痛だけじゃなく、精神的苦痛のケアも重要な要素だ。

「死」を目前にし、自分の存在や意味が消えていく恐怖、スピリッチュアルペインは、そのときになって初めて体験する。「未知の恐怖」は想像を凌駕するものだろう。

金沢大学付属病院麻酔科の山田圭輔(やまだけいすけ)氏は、がんを宣告され、生きる意味を見失いがちな患者の精神面をサポートする「がん哲学外来」を昨年5月に開設した。

2001年からがんの緩和ケアチームの一員として、多くの患者と接してきたが、「患者の精神的な苦痛への対応に悩んできた」という。

「先がないから何をしても意味がない」
「自分のことができない私は生きている価値がない」
と落ち込む患者や、途方に暮れる家族になんと声をかければいいのか。

そんなとき、「がん哲学外来」を提唱する順天堂大の樋野興夫(ひのおきお)教授の講演を聴き、共感したという。
「がん哲学」は自分の生と死を自ら考えること。

つまり、「死」に直面している本人が「死」と真正面から向き合う必要があるというわけだ。

もちろん、末期がん患者とのそうした対話は楽ではないようだ。
「暗闇に降りて一緒に歩くような怖さがあります」と、朝日新聞のインタビューに答えている。

先の見えない道を手探りで一緒に歩く。道しるべがあるわけもでない。しかし、誰かが背中を支えてくれているという安心感はあるのではないか。
怖いから引き返す、というわけにはいかないのだから、とにかく進むしかないのだ。

「絶望の中を生きるには、ユーモアや一瞬の美しい風景、心に響くメロディーなど、小さな喜びが力になる」という信念のもと、とにかく明るくふるまうことをモットーにしている。

実際に患者と対話すると、意外に明るく盛り上がるという。苦悩を話すことで頭の中が整理され、気持ちが落ち着くことも多いのだとか。

ひとりで悩んでいても決して答えはみつからない。やはり誰かと話すことで「死の恐怖」のストレスから解放されるのではないか。
それは家族では難しいかもしれない。患者と同じように悩み苦しんでいるだろうから。
そうした中で、スピリッチュアルペインの専門家の担う役割は大きい。


ぜひ、今後のご活躍に期待したい。





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2014年01月12日

安楽死を選んだパウウェルス氏

シャンパン画像.jpg


当ブログでも紹介したアメリカインディアンのプエブロ族の古老たちの伝承をまとめた詩集『きょうは死ぬにはもってこいの日』。
いつか必ずやってくる「死」を受け入れ静かにそのときを待つ。そして、もし今日が死ぬのにもってこいの日だと思える日に、みんなに見守られながら旅立つ。


もし、自分の死ぬ日を選べたら幸せだろうか。


せんじつ、こんなニュースがあった。
ベルギーで「最高齢アスリート」として親しまれてきたエミール・パウウェルス氏(95)が安楽死を選択し、家族や友人約100人とシャンパンで乾杯をした後に旅立った。
7日のベルギーのメディアは、前日の6日に自宅で家族や友人、スポーツクラブの仲間たちに囲まれ、微笑みながら乾杯しているパウウェルス氏の姿を伝えた。
パウウェルス氏は末期の胃がんのため、この数か月間は寝たきりになっていた。
自らの死が近いことを悟り、「死にのにもってこいの日」を自ら選択し、安楽死の道を選んだパウウェルス氏。

ベルギーでは2002年に安楽死が合法化され、12年には1432件が報告された。現在は安楽死の対象を、12歳を超える子供にも拡大することが検討
されているという。


生きる権利があるなら、死ぬ権利があったほうがバランスはいい。
生き続ける義務があるなら義務を果たした末に自らの責任において死ぬ選択肢があってもいい。
他人に生かされる苦痛を享受するより、尊厳をもって自ら生を閉じるほうがはるかに人間的でないか。

動物のなかで自ら命を絶てる「知恵」をもつのは人間だけらしい。
自死をことさら美化するつもりは毛頭ないが、人間の尊厳を否定するような社会通念には疑問を感じる。


パウウェルス氏は地元メディアに「後悔はしていないし、死への恐怖感はまったくない。わたしの人生の中で最高のパーティーだ。友人全員に囲まれて、シャンパンと共に消えていくのが嫌だなんて人がいるかい?」と語った。


望んで生を受けることができない以上、死ぬときくらいは、「はい、ここまで」と自分で線を引いて戸を閉めたいものだ。
とはいえ、じゃあ自分はいざそのときに安楽死を選択できるかどうかどうかとなると話は別だ。
いまだ死の恐怖を克服できずにいるわたしには安楽死を選択できる自信はまったくない。
ただ、生き続けなければいけないという義務、生かされ続ける苦痛のほかにも選択肢が用意されているとしたら、なにかと安心できるし、また頑張れそうな気がすることだけは確かだ。


ベルギーのほかに、積極的安楽死を認めている国はスイス、アメリカ/オレゴン州・ワシントン州、オランダ、ルクセンブルクなどがある。
ちなみに日本においては安楽死は法的に認めておらず、もし安楽死に手を貸せば刑法上殺人罪の対象となる。


一方、尊厳死には理解が深まるつつある。
尊厳死とは、人間が人間としての尊厳を保って死に臨むこと。

たとえば、末期がんなど終末期において、無意味な延命行為を拒否したりできるのだが、では実際に死を迎える段階では意識を失っている可能性が高いため、事前に延命行為の是非に関して宣言するリビング・ウィルが必要である。
尊厳死という名のもとに、殺人や自殺幇助が一般化する可能性があるとして反対している団体などもある。いずれにしても本人がしっかり意思表示しておくことが大切なのだ。


人間が人間らしく死ぬこと。
個々の死生観とも相まって、難しいテーマではあるが、ひとつだけ言えるのは決して他人事ではないということだ。


あした、来月、来年のスケジュールを考えながら、一番最後の「スケジュール」もいまのうちからじっくりと考えておきたい。







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2013年11月24日

量子物理学者が「死後の世界」を証明!?

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量子物理学者が「死後の世界」を証明!?

『死ぬのが怖いとはどういうことか』の著書のなかで工学博士・前野隆司氏が、いま自分が見ているものや触っているもの、自分の存在自体がじつは「クオリア」が考えだしたもので、すべては幻想である、だから「死ぬことが怖い」という感覚も単なる幻想であるから心配したところで意味はない、といったようなことを書いていた。


同じようなことを、量子物理学者のロバート・ランザ博士が提唱して話題になっているという。
「この世にあるものはすべて、人間が意識し、決定してきたものである。そこには絶対的な正解など存在しない。なぜなら誰もその答えを知らないし、答えが存在するのかどうかすらも、確かめようがないからだ。この理論から言うと、死後の世界も存在するといえる」と。

現実であるかのように見えているこの世界はすべて、自分の意識が創り上げたもの。自分という観察者がいて、物体や事象は初めて存在を露わにする。いわば、今ここに在る空間と時間は、単なる人間の精神構造物にすぎない、ならば「死後の世界がある」と想像する、それだけで、死後の世界の存在が示されるのである、というわけだ。



氏の理論を科学的に証明したのが『2重スリットの実験』。
電子をふたつのスリットを通過させると互いが干渉し合い波の波紋のような格子の模様が出来た。では電子がどのようにスリットを通過しているのかを調べようとした途端、光を照射したような2つのスリットの形の模様が出来た、というのがこの実験。

実権結果から「それまで規則性などないかのように動いていた粒子が、観測者の視点が加わった途端、それまで全く見せなかった一定の規則性を見せた」
見るもの、観察者によって事象が変わるのだ。



いわば「ある」と思ったものが、じつは「なかった」り、「ない」と信じていたものが「ある」ことになったり。そして、そのどちらが正しいのかは永遠に誰にもわからない。

そして、この実験結果も正しいのかどうかさえわからないというわけだ。




目に見えるものだけが正しい、存在している、言い方を変えると「目に見えないものは信じない」という考えは至極まっとうだと思っていたが、実は目に見えるものさえあやふやで不確かで「本当に」「ある」のかどうか、「証明」できないとなれば、「目に見えない」ものは、もうなんだかさっぱりわからない。


「死んだらどうなるのか」「死後の世界はあるのか」
それはつまるところ、「あると思えばある」し、「ないと思えばない」。
それだけのことなのだ。


自分の存在自体、不確かなもので「本当にある」のかどうかわからないのだから、「死ぬのが怖い」「いま生きてるのがつらい」「来世は大金持ちでモテモテの人間になりたい」そんな悲しみや恐怖や希望なんか、「観察者」=自分の意識をころっと変えるだけで、簡単に解決できるしどんな希望だって叶えることができちゃうのだ。



そんな簡単に割り切れる「特殊な能力」をもっている人間がいるかどうかはわからないが、少なくとも、意識(クオリア)を帰られれば可能なはずだ。



人間はそんなふうにはできていない―
そんな「人間」自体、いないのかも知れない。目に見えること「だけ」を信じることのむなしさに気づければ、幻想の中の「人間」はもっと融通の利いて楽に生きられるのかも知れない。



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2013年10月20日

「死ぬ」ってなに?『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』





『死ぬのが怖いとはどういうことか』(講談社)

前野隆司。東京工業大学卒。同修士課程終了。キヤノン、カリフォルニア大バークレー校客員教授、ハーバード大客員教授を経て、現在慶應義塾大学システムデザイン・マネジメント研究科教授。工学博士。                                      


プロフィールを見てわかるように、著者は工学のスペシャリスト。もともとはロボットハンドやヒューマンロボットインストラクションの研究をしていたが、「人間の心のことがわかっていないのに、ロボットの研究をしている場合ではないと思い」、人間の研究を始めた。

医者や宗教家、哲学者、心理学者、社会学者などの「死生学」本は多いが、科学者の科学的見地から書かれた「死生学」本は珍しく、非常に興味を抱いた。なにより「死ぬのが怖い」という、まったくもってストレートなタイトルは、「死」への恐怖から抜け出せない、精神ひ弱なわたしにとってはまさに救世主的著名であったわけだ。

実は著者は子どものころは死ぬのが怖くてしかなたかったらしい。とても聡明叡智なイメージの工学博士とは思えないエピソードである。
その前野氏だが、いまでは「怖いというよりも、しかたないというか、いまも死んでるようなものだというか、そんなあっさりした感じで死を捉えられるようになった」という。

著者は2012年にインターネットで次のようなアンケートを実施した。
「あなたは死ぬのが怖いですか?」
そう思うと答えたのは、女性57.4%、男性50.2%。
「死後の世界は存在すると思いますか?」
女性43.6%、男性27.0%。
半分以上の男女が「死」への恐怖を抱いているということは、わたしも決してマイノリティではなかったということだ。「死」という淵に立つのは怖いが、その先はどうなるか、となると、男性の多くはどうでもいいらしい。とにかく「死」ぬことそのものに恐怖を抱いているということだろう。

以前、わたしは自分が世界の中心にいて、実は自分がそこにいない世界は存在しないんじゃないか、といかにも自己中でよこしまで都合のいい考えをもっていた。そしてついには、宇宙の果てや始まり、はたまたその外側の世界に思いを馳せ、ひとり布団の中で恐怖におののいていた時期があった。
前野氏も同様で、「僕という主人公がいなくなったあとで、世界は、誰のために、何のために続いているのか。世界に始まりはあったのか、なかったのか。宇宙に果てはあったのか」「死んでしまったら思い出もすべて失われてしまうのなら、生きている数十年は、監獄の中にいるのと同じ。僕たちは死刑囚と同じではないか」
それが、前野少年の「恐怖」だった。
そしてどうなったかというと、「今でも死ぬのはいやだけど怖くはない」。
果たしてどのような思考をもってその結論にたどり着いたのか。

そもそもなぜ人間は「死ぬのが怖い」という感情をもつにいたったのか。
ひとつには進化の過程で生じた「おまけ」だという。「人間は過去と未来について考える力をもった。これに付随して皮肉にも進化的に特に有効ではないにもかかわらず、よりによって死について考える力を期せずしてもってしまった」。
そもそもなぜ人間は死ぬのか。「地球上の高等生物を見る限り、死なない高等生物は進化できない。生物は進化によって環境適応を果たしてきた。よって、死は生物にとって本質的な機能なのだ」という。
では死後の世界は存在するのかどうか。
納得できる説明があればいつでも考えを改める、と前置きした上で、「死後の世界を科学的(統計的)に説明できないし、死後の世界の必然性を進化論から説明できない」という点から、前野氏は否定的だ。
あくまでも科学者という立場に固執しているわけではなく、多角的な材料を提示して結論づけられている点で説得力がある。

「死の恐怖」は進化のおまけで、死後の世界は存在しない。それでも、前野氏は悲観しない。「科学的事実にまっすぐ向き合えば、死は怖くないはずだ。人間の知性は死を乗り越えられるはずだ」と。 


アンケートでもあったように、死後の世界についてはわたしも78%の男性と同じく、あまり関心はない(決して否定するわけではない)。もちろんあるかもしれない。ただこればかりは死んだことのある人に聞かないとわからないわけだが、ではあると信じることにメリットはあるのだろうか。
わたしはあると信じることで「死」の恐怖を軽減できる、と考えていた。しかし、後述するが、そうじゃないと考えるメリットも大いにありそうだ。

死んだあとの生まれ変わり、つまり「輪廻」についてはどう考えているのか。
前野氏は否定的だ。そもそも「輪廻」は仏教の基本思想になるべきではなかったのではないかという。ブッダも輪廻を否定していたと考える一派もいる。
輪廻とは、死ぬと別の生物に生まれ変わるという考えで、そのときは前世の記憶は失われる。そして悟りの境地に至るまで輪廻は繰り返される。悟りの境地に達すると再び生まれてくるという「苦しみ」(現世は苦)を味わうことのない「涅槃」に達する。「涅槃」とは天国、ではなく、「無」である。つまり、ブッダの思想の中心はニヒリズム(虚無主義=世の中の存在も認識も、何もかも、本質的には無意味)の気づきである。
そうした意味から、「人はたまたまただ生まれ、生き、そしてそのうちしんでいく。ただそれだけの存在なのだ。それ以上の意味はない。価値もない。何もない。無だ」と。
                      
こうしてみると、前野氏は人生に悲観しているのか、と錯覚してしまうがそうではない。「僕は生きていることが楽しくてしかたない。たとえ人生は死刑と同じだとしても」と書いている。

「生は幻想である」というのが前野氏が到達した基本的な考えである。では幻想は絶望なのか、希望なのか。ニヒリズムは不快か、愉快か。諸行無常はむなしさか、朗らかさか。
それこそが問題であるという。


その前に、科学者の見地から、「絶対死なない人間」はできるかという問いに対し、どんなに進化してもどんなにアンドロイド化が進んでも「絶対死なない人間」はできないという。
ならば、「死なないことを目指す」のではなく、「死ぬこと受け入れることを目指す」べきだと主張する。「死ぬことはたいしたことではないと思えることを目指す」べきだと。

死なない機械の体を手に入れるために旅する『銀河鉄道999』の鉄郎のように、死なないことはむなしく、限りのある生のすばらしさに気づくことが大切なのだ。



そもそも人間は先のことを考えられない生き物らしい。
「フォーカシング・イリュージョン」をもとに解説している。これは焦点の幻想というもので、たとえば「お金さえあれば何でもできる。だからお金があれば幸せなはず」と思っていたが、しかしお金を稼いでみると、実はそこには幸福はない。焦点を当てるものを間違えていたというわけだ。

「人間は必ず死ぬ。いくら人生の最大のゴールである幸福を手にいれたとしても、そのあとには死がやってくる。死は人生の真のゴールだ。なのに、人は、死とはどういうことで、死にどう立ち向かうべきかを考えずに、行き当たりばったりに生きがちだ。死の直前になって、疑ったり、怒ったり、抑鬱状態になったりする。そして疲れきって死を受容する」
そうなる前に、あらかじめ死とはどういうことなのかをはっきり理解し、死の悲しみや苦しみを超越し、悩まず苦しまず、超然と死んでいきたい。前野氏はそういう。
そのためには「自分は生きていると思っている自分の心は幻想で、生きいてももはや死んでいるのと大差はなのだから死は怖くない」と考える。
幻想を説明する上で前野氏はクオリアを取り上げる。
クオリアとは意識の質感のことで、「感覚的クオリア」は五感で感じた刺激を意識できる働きのこと。
たとえば「赤」とは光受容器と脳が周波数400テラヘルツ付近の電磁波を「赤い色のクオリア」に変換し、「赤」を感じるだけで、外界に「赤い色」が存在するわけではない。

そして心も同じだという。
「僕たちはすでに死んでいるのと同じだ。はじめから心などない。あまりにも生き生きとしたクオリアを脳が作り出すから、この幻想を事実だと思いこんでしまう。つまり、そういうことに過ぎない」と。


「僕たちは生まれる前はもちろん知情意のクオリアなんかなかった。無だ。何の因果かたまたま知情意のクオリアという幻想をもった生き物として生まれ落ちた。だから生きている感じがしている。しかし、本当は人間もロボットと同じ自動機械なのだ。ありありとあたかもあるように見えるが、本当はない。すべては幻想だ」


こうして読んでくると、いよいよもってわれわれ人間は「生きてる」ことがほとほとむなしく感じてしまう。どうせ幻想なのだし、遅かれ早かれ必ず死ぬわけだし、「死刑」を宣告されているのと同じだし、だったら「いま自ら死んでも」いいような気もしてくる。
しかし、前野氏はいう。「生まれる前はなにもなかった。ところが、何の因果か宇宙ができ、有機物の塊が生物になり、人間になった。その中のひとりとして、何の偶然か、あなたが生まれた。生まれたときは何も考えていなかったが、脳が成長学習し今に至った。これがラッキーではなくなんだろうか。あなたにとって宇宙最大のラッキーのひとつだ。そんな奇跡を楽しまずしてこの奇跡が失われてしまうことにフォーカスを当て続けるのはもったいない。それよりもこの刹那の偶然を大いに楽しもうではないか」と。


宇宙というスケールでその奇跡を考えてみる。
宇宙の歴史を137億分の1に短縮すると。
ビッグバン      1月1日午前零時
地球誕生       8月30日
生命の誕生      9月15日
霊長類誕生      12月30日午前6時26分
ホモサピエンス誕生  12月31日午後11時50分25秒
文明発祥       新年14秒前
人間の命       0.18秒

まさに一瞬の奇跡である。


過去の記憶も未来もすべてクオリアが作り出した幻想だ。われわれは「今」しか体験できない。「いましか生き生きと生きられない」のだ。「死」も想像上の産物にすぎない。「死ぬ瞬間」は「今」はない。「死」を味わう瞬間は永遠にやってこない。つまり「あなたは死なない」。

「今」という、宇宙の歴史からすればまさに一瞬の時間をわれわれは唯一「生き生き」と生きているわけだ。過去もない未来もない、いま。学校で怒られたことも、仕事で失敗したことも、彼女に振られたことも、がんにかかって入院するかもしれないことも、事故にあって即死するかもしれないことも、すべて幻想。そんなことより、「今」しかないことを自覚することが大切なのだ。


「今」を楽しむにはどうすればいいか。
前野氏いわく、「無我の境地」。
「おいしいものを食べたい、金持ちになりたい、という我欲からの発想をするのではなく、目の前においしいものがあればご縁と捉えて喜んでいただく。目の前にお金があれば喜んで使う。なすがまま」
「欲を自己の中心に置いて生きるのではなく、欲のわいてくるに任せる」ことだと。
そして、
「この奇跡の生に目を向け生かされていることに、この偶然に感謝して行きよう。やりたいことからやればいい、生きたいように生きればいい。深くリラックスして今だけに集中して生きればいい」と。



本書を読んで、映画『マトリックス』を思い出した。
いま生きていると思っているのは実は錯覚で、機械が作り出した「幻影」にすぎない。実際は生まれたときから機械に「養殖」され、エキスを抽出されているだけ。「本当」の世界を知った主人公たちが、生身の人間の世界を取り戻そうとする話である。自分がいま感じているこの世界は、本当に「自分で感じている」のか。あるいは「クオリア」のようなものが作り出した幻影か。でもそれを知覚することはできない。いったいどちらが幸せなのか。
その映画の中でひとりの男が裏切って、機械に主人公たちを差し出すかわりに、「元の世界」にもどしてくれと頼むシーンがある。その「裏切り者」の気持ちがよくわかる。

自らいやな過去を思い出しては苦しみ、自らわかりもしない未来に幻滅してもがき、決して自覚することはありえない「死」を恐れるて生きている。なんとばかげたことか。
と、いきなり素直に自分自身の頭の中を変えることはできないが、でも大切な「処方箋」になったことは間違いない。
「生きることが苦しい」のも幻想であり、逆に「楽しい」ことも幻想である。
ならばなるべく「楽しい」幻想を見たほうが、どれほど心にいいか。その心もクオリアが作り出した幻想だとしても…。











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2013年10月05日

「死ぬ」ってなに?『納棺夫日記』





『納棺夫日記』(文芸春秋)

青木新門/1937年富山県入善町生まれ。早稲田大学中退後、富山市内で飲食店を経営したが倒産。新聞の求人広告を見て冠婚葬祭会社に就職。専務取締役を経て監査役を務める。「納棺夫」とは著者の造語であり、本書はその体験を表したもの。


『おくりびと』を映画館で鑑賞してからというもの、主演の本木雅弘が感銘を受け著者に直談判して映画化にこぎつけたという原作のこの本には多大な興味を抱いていた。こころに染み入るような富山の透明な空気感、手探りで未知なる深遠なタブーの世界へわけいっていくストーリー、重い過去を背負った人間味あふれる登場人物を絶妙な間合いで演じた俳優人たち、そしてなにより死者を黄泉の国へ送る「納棺夫」というテーマに惹かれて、アカデミー賞外国語映画賞を受賞した同作品はこれまで両手ほどの回数を重ね観してきた。

果たして、この物語(ご本人にとっては実体験談)を著わした青木新門氏とはいったいどのような人物なのか。いったいなにが彼をこの世界に引き寄せたのか。


大学中退後、故郷の富山県にもどり、ミルク代ほしさによくわからず新聞の求人広告を見て冠婚葬祭会社に入社。いきなりウジが沸いた老婆の遺体の納棺をしたり、葬儀がたてこみ遅刻して怒鳴られたり、妻に「触らないで、穢らわしい」と叫ばれたり、古い風習が残る田舎ということもあり、「忌み嫌われる職業」ならでわの苦労があった。そのあたりのエピソードは『おくりびと』でもそのまま使われている。

その一方で、葬儀中にもかかわらず喪主が玄関まで見送ってくれたり、職業を咎められ「絶縁」された叔父の最後を見取ったときになんども感謝されたり、昔つきあっていた彼女の身内の葬儀で納棺の儀式を行っているときに涙をいっぱいためて汗をぬぐってくれたりと、「納棺夫」という特別な仕事に対する周囲の意識の変化も実感されたようだ。
「納棺」という仕事に興味のある方、ぜひ一読することをおすすめする。

医者でもなく、僧侶でもない、「納棺夫」という視点で捉えた「死」は生々しく感覚的に迫ってくるなにかがあるように思う。

青木氏はいう。
毎日毎日死者ばかり見ていると、死者は静かで美しく見えてくる。それに反して死を恐れ恐る恐る覗きこむ生者たちの醜悪さばかり気になってくる。
考えてみると毎日死者と接していながら死者の顔を見ていなかった。気にしながら見ると死者の顔は安らか。生きているときの善や悪は関係なさそうだ、と。

そして、
ひとは誰もが死ぬ時は美しく死にたいと思っている。美しく死ぬとはどういうことか。はっきりしない。苦しまないで死ぬことか、他人に迷惑をかけないで死ぬのか、死後の肉体が美しいことなのか、格好よく死ぬことか、死に方なのか。

「死」をこわがってばかりいて、まさに「死」を恐る恐る覗き込んできたわたしはこのフレーズを読んでどきっとさせられた。凄惨な事件や事故、残忍残虐なシーンがこれでもかと続く映画を見慣れてきたせいか、「死」に至るまでの場面は想像できても、「死者」の顔をしみじみ思い浮かべることはない。
もちろん、ホンモノの「死者」の顔をまじまじと見る機会がないのも事実だが。

青木氏は、「死」と対峙する余地がどんどん減っている現状を憂える。
「生木を裂いたような不自然なイメージ。晩秋に枯れ葉が落ちるような自然な感じには見えない。それどころか今日の医療機関は死について考える余地がない。取り巻いているのは生命維持装置、延命思想の医師団であり、生に執着する親族たち。死に直面した患者は冷たい機器の中でひとりぼっちで死と対峙する」。

「息を引き取る瞬間まで生に執着し死を受け入れようとしないから菩薩の状態となって生を維持している時間がない。延命第一主義の医師団による生への応援をする場合が多く、ほとんどの場合、安心できずに死即仏となる」

「死」を受け入れるにはそれ相応の時間が必要なのだ。キューブラーロス氏の「死を受容する5段階」をクリアするのは一朝一夕にはいかない。死を受容しすべてに「感謝」と「許し」の気持ちが生まれてはじめて、“安心して”死ねるのだ。



いや応なしに「死」を意識せざるを得ない重病患者でもなければ、なかなか「死」と正面から向き合うのは難しい。おのずと客観的に捉えざるをえないわけだが、どの視点で「死」を捉えるか、が大いに問題であると青木氏は考える。

「いつの時代も生に立脚し生に視点を置いたまま、適当に死を想像して、さもありなんといった思想などを構築したりするものが後を絶たない。現場には疎くそれでいて感性は生に執着したままの知識人」に警告を発する。
「『死』についていくら生者が頭で考えても似て非なる死のイメージを生むだけ。現実の死に直面したとき、それは何の役にも立たない概念」であるという。

「生」の立場から見るのではなく、また「死」の世界から見るのでももちろん不可能で、そうではなくて、難しいことだが「生」と「死」を俯瞰的に見る力が必要なのだ。



医者でもなく僧侶でもない、「生」と「死」の狭間に身を置く「納棺夫」ならではの視点、考え方には非常に興味がありまた大いに参考になる。
「『我々とはなにか』は哲学者にまかせるとして、『我々はどこにいくのか』は葬送の現場には大いにかかわってくる。」
「私が葬送儀式に携わって驚いたのは、一見深い意味をもつようにみえる厳粛な儀式も、その実態は迷信や俗信がほとんどの支離滅裂なものであることを知ったこと。人々が死をタブー視することをいいことに、数千年前からの迷信俗信が堆積し日本神道や中国儒教や仏教各派の教理が入り混じり地方色豊かに複雑怪奇な様相を呈している。すべては『どこからきて我々はなにでどこにいくか』があいまいであることが原因」。

風習や儀式を優先するあまり、各個人の「死」に対する感覚が鈍ってきているのだろう。死にそうな人間を、職業としての医者が1分1秒でも長生きさせようとし、死んだら死んだで職業としての僧侶がお経をあげて葬儀をする。「死」の前後はお金になるのだ。
納棺夫も職業だが、前述した医者と僧侶と決定的に違うのは、死者と物理的に接することだ。誰よりも「死」に“触れる”仕事、それが納棺夫なのだ。


「『死』は医者が見つめ、『死体』は葬儀屋が見つめ、『死者』は愛するひとが見つめ、僧侶は『死も死体も死者も』なるべく見ないようにしてお布施を数えているという現状では今日の宗教に何かを期待するのは無理」と断言する。

こんなエピソードを紹介している。
「ある老婆が病院で最後にお経を聞きたいといった。しかし病院はいやがり、僧侶も病院がいやがるだろうなどといって結局実現しなかった」
「生死のぎりぎりの現場に立つことのない宗教界の現状と肉体の生にのみ価値を見る延命第一主義の現場の狭間に生じる根深い問題」であるとという。


毎日毎日、死者と対峙し顔を眺め触ってきた青木氏の、どんどん「死」から遠ざかっていく現状へのはがゆさがひしひしと伝わってくる。


では結局のところ、青木氏は「死」をどう捕らえているのか。
あとがきで次のように語っている。
「『死』とはなにか、『往生』とはなにか、途中で何度も投げ出そうとしたが、私自信が己の死に対してどのように対処するのか納得できればそれでいいと気づいたら楽になった」。

なにも難しく考える必要はない。普遍的な「死」の概念なんて存在しないのだ。こころもからだも自分とまったく同じ人間は存在しないのだから、自分なりの答えを探せられればそれでいいのだ。それをことさら他人に吹聴する必要もない。そしていつか答えが見つかったなら、「死」への恐怖はなくなり「安心して」受容できるのだろうと思う。





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2013年09月16日

「死ぬ」ってなに?『死ぬときに後悔すること25』




『1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた 死ぬときに後悔すること25』(致知出版社)

大津秀一/岐阜大学医学部卒。緩和医療医。


死ぬことと同じくらいこわいのが、「死ぬ直前に後悔すること」だろう。
死を前にしてあれやこれやと後悔するのは、ある意味、死ぬより辛いかもしれない。「ああしておけばよかった、こうすればよかった、ひとこと謝っておきたかった、あれ食べたかった、あそこに行きたかった、うんぬんかんぬん…」
もう、考えただけで身震いする。
でも後悔先に立たずである。先に後悔できればそれは後悔じゃない。この本は1000人の終末期患者を見てきた医者が、「多くの終末期患者の後悔」を提示し、いざというときに後悔しないための対策をレクチャーする。

著者はおもに末期がん患者の心身の苦痛を取り除くスペシャリスト。
専門家をして「身体的苦痛は取り除けてもこころの苦痛を取り除くのは難しい」といわしめるくらい、死を目前にした人間の精神状態は不安定なのだ。そうした緩和ケアの最前線で働く医者の苦労ははかりしれないものがある。

人間は後悔と不可分の生き物。大なり小なり「遣り残したこと」がある。
「もう思い残すことはない」そういう患者はずっと早くから「準備」しているものという。
ではどう準備すればいいのか。


まずは健康や医療について。
日本人の最大死因はガンである。ガンは細胞分裂の際にできた不良品。細胞分裂の総回数が多いほど不良品ができる。
西洋医療の進歩などで人間は長寿になり、それにともなってガンの発生率は高まっている。しかしガンを百%予防できる方法は存在しない。病状が出現してからでは手遅れであり、健康なうちに検査することが大切だという。
つまり、「早く検査をしていれば直ったのにという後悔をなくす」のだ。

そして病気になることを前提に「死なないレベルの健康を確保」すること。たとえば大津氏は、「『喫煙』は、自己決定権の問題。推奨はしないが絶対反対でもない。もちろん、やめればもっと長生きできたかもしれないが、それは本人の問題。たばこを吸ったことが病気のすべての原因、とは断言できない。ただ、後悔するならやめたほうがいい」という。


終末期医療については、「生前の意志は死期が近くなると話はできない、意識もない、動けない、でなかなか伝えられない」という。
ではどうするか。大津氏は、自分が死ぬ瞬間まで意志を遂行してもらえる責任者、代理人を立てることをすすめる。もちろん、自分の意思を紙に書けば磐石。

大切なのは自分の意思や願望を遠慮なく話しあうことで、大切なのは、意思が低下したときに備え代理人にポイントや信念を伝えておくこと。
「終末医療で阿吽の呼吸は成立しない。究極的には家族より死にゆく本人の意思が優先されるべき。そこで、細かなマニュアルを作るのではなく、自分と近い決断をしてくれるであろう代理人を育成すること」が大切だという。



「後悔」の中でも、自分も含めて多いだろうと思われるのが、「自分のやりたいことをやらなかったこと」。

大津氏はいう。日本人は我慢に我慢を重ねる民族。「いまわの際に、自分に嘘をついて生きてきた人間は必ず後悔する」と。
転職したいならすぐする。新しい恋をしたいならすぐする。世の中に名前を残したいならすぐ実行する。命の時間は決して長くないと。
もちろん「秩序を壊すのではいけない、新しい人生には逆風はつきもの」だからそれなりの覚悟は必要だろう。
ただ、「『やりたい放題』の人生を歩いてきたひとの死に顔は穏やかで後悔などほとんどなかったように見える。忍従は尊敬されるが、ひとは『やりたい放題』に魅了されるもの。自由に生きても辛抱強く生きても文句をいわれる量はさほど変わらない」と。そして「後悔しない生き方、それは『自分を取り戻す』こと」だと。

やりたくないことはあと回しにてでも(もちろんさっさと片付けるにこしたことはないだろうが)やりたいことはさっさとやることが大事なのだ。メニューに好物があったら最後に取っておくひとがいるが、食べたいならさっさと食べるほうがストレスもなくていい、ということか。


あと、「夢をかなえられなかった」という後悔も多い。
しかし本当は「夢を叶えるために全力を尽くせなかったこと、夢を持ち続けられなかったことへの後悔」なのだという。
叶う叶わないという結果より、「持続」させることが生きる活力にもつながるということだろう。


終末期の「魂の痛み」のひとつに「自分が悪いことをした罰として死がもたらされるのだ」というものがあるらしい。
でもこれは間違い。憎まれっ子世にはばかるで、早世する患者に「いいひと」が多いのも事実だという。

ほかに、「他人に優しくしなかったこと」への後悔については、「そう気がついただけで幸せ。一生気づかずに亡くなるひともいる」。
また「自分が一番だと信じて疑わなかった」というワンマンだったことへの後悔については、孔子の「耳順」を例に、
「子曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って矩をこえず。
つまりあの孔子でも、五十歳で天命をわきまえてもなおひとの言葉が素直に聞けなかったのだ」。
つまり、気にすることはないと。


終末期患者に多くは、死が近くなると昔を思い出すものらしい。特に若い頃のことは鮮明に思い出すという。
これはライフレビューという、過去を他人に語るという行為となって表れることがあり、精神的緩和ケアに役立つのだとか。
余命二三週間のある女性は飛行機で千キロの故郷に帰ったが、帰ってきたら奇跡的に一年近く生きたという。
「帰れるならば帰ったほうがいい。自らのルーツを再確認するのは人生の活力になる。死期が迫って後悔しないように早めに計画実行すること」とアドバイスしている。


「食べたいものを食べたかった」後悔には、
「食べる楽しみは美味しい以外にもそれを共有し食卓を囲み団欒があるから美味しい。少しでも長く家族や友人とかけがえのない時間を共有することが大切」であり、
「旅行はどんどん行くべき。余命数日でも本人が希望するなら行くべき」だし、
「会いたいひとがいればすぐにあいにいくべき。会いたい会いたいと思っているうちに数年などあっという間に過ぎる」と。


最後に「自分の生と死の意味」への後悔。
自分はなぜ生まれなぜ死んでいくのか…。
大津氏は「自分は関連する誰かに自分を残すこと」だと考えているという。
でも、「答えはひとの数だけある」と。「ただいえるのは死の意味を見出し得なければ、死は大きな恐怖となって眼前に立ちふさがる。大切なのは『マイ哲学』。生と死について知り、それに対して己の考えを確立できれば間違いなく終末期となっても後悔や恐怖は少ないし、もちろん元気なうちからそれが心の柱としてあれば、たくましくこの世を生きていけるに違いない」とアドバイスする。



死ぬときに後悔しない方法。
もしかすると、いざというときに後悔しない人なんてはいないのかもしれない。多かれ少なかれひとはこころにトゲのように刺さって抜けない「自責の念」をもって生きているのではないだろうか。他人からみたらなんでもないことでも、本人にとっては、いや本人も忘れているかもしれないが、おそらく死の際で必ず思い出す「気がかりごと」があるはずだ。

しかし、大津氏が書いているように「生きとし生けるものはいつか必ず滅びる。できうる範囲で精一杯良く生きようとした生命に後悔はない」のは真理だろう。
まずは「やりたいこと」をリストアップし、我慢せずに「勇気」をもってそれにチャレンジし、同時に「改悛」の気持ちをもって過去にケジメをつけていければと思う。



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2013年08月24日

「死ぬ」ってなに?『最後のリクエスト食』

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死ぬ前に食べたいものはなに?

よく友人や家族の間でそんな話題がでる。
焼肉だったり、背脂こってりラーメンだったり、ハンバーグだったり、山盛りアイスクリームだったり。
「最後に食べたいもの」はまさに十人十色、ひとそれぞれだが、では果たして本当に自分が食べたいものを死ぬ前に食べられるか、というとこれがかなり難しい。
もはや病状がすすんで嚥下できない状態であったり、病院で入院していたらまず不健康きわまりない高カロリー食なんか出てくるわけがない。
「食」は生きている人間にとって非常に大切だ。生きていることを実感できる数少ない「欲求」である。
たとえ「食べる」ことで寿命が縮まったとしても、「余命」より目の前の「ラーメン」を食べたいと望むひとは多いのではなかろうか。

大阪の淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院では、最後の時を過ごす患者の心のケアとして「リクエスト食」を提供している。
抗がん剤治療など、あらゆる治療が効かなくなった、がん末期の患者が入院するこの病院の入院患者の平均余命はおよそ1ヶ月。患者は自分の残り少ない命と向かい合って過ごしている。
これまでの医療の常識にとらわれない発想で、病院食に取り組むという方針のもと、栄養士と調理師たちは「ひょっとすると人生最期の食事になるかもしれない。満足してもらえるか、喜んでもらえるか。支えを感じることが出来るかということが、われわれのゴール」と語る。

ある患者は、亡くなる6日前に「リクエスト」したのが、バッテラ。若いころから好きだったという患者のために、調理師は朝から新鮮なサバを調達し、提供した。
患者さんは免疫力が低下し、もう3年前から生ものを口にしていなかった。
亡くなる数日間は目に力が宿り、うれしそうだったという。

またある患者が「リクエスト」したのは、貧しさの中で食べた味が忘れられないと、釜で炊いた白めし。またある患者はラッキョウ、またある患者はなんとすき焼きを「リクエスト」した。病院内で広めの部屋になべの用意をしてもらい、焼酎片手においしそうに食べたという。亡くなる10日前だった。


常識では考えられないことだ。いくら患者の希望だとはいえ、死期を早めかねない食事を出すことは、病院関係者はおろか家族でも抵抗があるに違いない。しかし、もし、本当に患者のことを考えるのなら、それはもしかすると、最後にしてあげられる一番の施しなのかもしれないと思う。
死期を1日でも先に延ばすことより、一瞬でも生きている「実感」を味わせてあげることが、なにより本人のためになるのではないか。

大好きだった好物をお腹いっぱい食べて、幸せな気持ちでエンディングゲートを通りたいものだ。
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2013年08月14日

「死ぬ」ってなに?『医者に殺されない47の心得』



『医者に殺されない47の心得』(近藤誠/アスコム)

著者・近藤誠
慶応義塾大学医学部放射線科講師。『患者よ、がんと闘うな』『がん放置療法のすす
め』。「乳房温存療法のパイオニアとして、抗がん剤の毒性、拡大手術の危険性など、
がん治療における先駆的な意見を、一般人にもわかりやすく発表し、啓蒙を続けてき
た功績」(文芸春秋HPより)により、2012年菊池寛賞受賞。

すでに発行部数90万部。一読すれば、驚異的な売れ行きをみせている理由も十分にう
なずける。
世界最高水準の医療技術を誇るわが国の病院に、とにかく「行くな」「信用するな」
というのだから。

「死」と医者は、切っても切れない関係にある。なんらかの重病をわずらって、ある
いは事故で瀕死の状態になって、事切れる瞬間は病院で医者が立ち会うケースがほと
んどだろう。
このブログでも紹介した金子哲雄氏のように、自宅で最後を迎えるひとも増えてはい
るが、やはりまだハードルが高く、ほとんどは否応なしに病院で「死」を迎えざるを
えない。その金子氏にしても、エンディングは自宅だったが、最後まで医者のお世話
になったのはいうまでもない。

ある意味、医者とは、自分の「死」に立ち会う「立会人」ともいえるわけだが、その
医者に「殺されないための」本とはいったいいかなる内容なのか。

医学の知識がないわらわれにとって医者の言うことは絶対である。医者のことは「先
生」と呼んで尊敬語で話し、最大限の敬意をもって接する。自分たち患者を「お客」
と認識するひとは少ないだろう。
にもかかわらず、著者の近藤氏は、医者のいうことを鵜呑みするな、と指摘する。
そして、日本人の死因トップである「がん」については、早期発見だろうが、とにか
くほおっておけという。抗ガン剤などはなんの効果もないどころか毒であると。

いったいどういうことか。

WHOによると「薬は270種類あれば十分」といわれており、日本は「1万種類以上認
可」されているという。医療費は36兆6000億円で先進国平均の2倍。日本は医療大国
である。
日本人は咳をしたり熱が出たりくしゃみをしただけでもすぐに医者に診てもらう。と
ころが、近藤氏いわく、病気の80%は医者にかかる必要がない。
咳や熱を抑えたら病気との闘いに水を差す。おとながかかる病気はたいてい「老化現
象」。薬で治せるものではないという。
「血圧は高めのほうが全身に血液が届く。変にさげるとふらつくしぼける。
コレステロールは細胞を丈夫にするから減らさないほうがいい。好きなものを食べた
ほうが長生きするし生きる意欲がわく」。
血糖値をさげるなら「歩く、自転車、ストレッチ、水泳」
インスリン注射で延命したというデータは皆無。高血圧、高コレステロール、糖尿病
の大半は病気と考えないほうがいいらしい。

とにかく日本の医者はすぐに薬を出す。しかし、「4種類以上の薬の服用は医学知識
の及ばない危険な状態」という。
「副作用」ではなくもはや「主作用」。他の医者にかかっているがなかなかよくなら
ないと近藤氏のもとへやってくる患者には、「すべての薬をやめなさい」と忠告する
らしい。それで、たいがい快方に向かうと。


そしてなにより、「がん」こそほうっておけという。早期がんも忘れるのが一番。な
ぜならそれは「がん」ではなく「ガンもどき」が多いから。
「がんもどき?開腹、手術するほうがよっぽどカラダへのダメージが大きいと近藤
氏はいう。
ホンモノのガンならずっと以前から転移しているし、むしろ「切るとガンが暴れる」。
「ホンモノのガンは治すことは不可能で、必ず最後に宿主の命を奪う」のだ。
「ガンは当初から転移する能力がある。大きくなってから転移するのは間違い。早期
がんは発見したところで、すでにとっくに転移し終えている」

だから早期発見は無意味だという。欧米では「肺がん」「大腸がん」「乳がん」は検
診しても死亡率は同じという認識が一般的らしい。
信州のある村では「がん検診」をなくしたら死亡率が下がったというデータもあるの
だとか。
ちなみに「胃ガンを手術した患者の5年生存率は20%以下。放置患者は50%」と高い。

転移してもガンの自覚症状がなければすぐに死なない。死ぬとしたら抗がん剤や手術
のせいだと、近藤氏は指摘する。特に抗がん剤は毒性があり、繰り返し投与するとす
ぐに致死量に達する。

さらに、医者の余命判断はあてにならないと指摘。成長はひとによって違うし、病巣
が大きくなるとスローダウンするのだと。
もし胃がん、食道がん、肝臓ガン、子宮ガンになっても放置すれば痛まない。痛んで
もモルヒネでコントロールできる。
つまり、「ガンと戦ってはいけない」。

近藤氏は「どうしたらガン患者がもっとも苦しまずもっとも長生きできるか」を研究
し、「ガン放置療法」にたどりついた。
がんもどきではなく本物のガンなら治療してもしなくても延命期間に差はない。
ガンで自然に死ぬのは楽なのだ。


「安らかに逝くとは自然に死ぬこと」
多少痛くても「ほっときゃ直る」日常生活に支障がでたときは、しっかり調べて医者
にかかる。
もし残念ながら病魔に倒れ、そのときがきても点滴をしないで枯れ木のようになって
死ぬのが一番楽らしい。
そしてぽっくりいきたいなら「救急以外は病院にいかない」「転倒を防ぐ」「ボケな
い」がたいせつで、いつまでも泣き、笑うことを心掛けよと説く。

最後に、近藤氏はリビングウィル(終末期の医療、ケアについての意思表明書)を書
くことを推奨する。
たとえばご本人のリビングウィルは、
「いっさいの延命治療をしないでください。もし苦痛を感じているようならモルヒネ
などの痛みをやわらげるケアはお願いします。延命の尽力は感謝します。ただわたし
の望みをかなえてください。決して後悔しないことをここに誓います」
そんなふうに書かれている。

この本に書かれていることがどこまで的をえているのか、医学会ではどのように捉え
られているのか、残念ながら専門知識がない自分では判断しかねるが、ただ、「ほっ
ときゃなおる」「がんになっても特別な治療はしない」、なにより医者にかからず自
然の治癒力(人間の再生力)を信じて、それでも死ぬときは運命として、じたばたせ
ずに痛みのケアだけしてもらってその時をじっと待つ、そんな姿勢には、非常に共感
できる。

過剰な延命措置はかえって苦しむだけ。むしろ、多少寿命が短くなっても直前まで自
分の意志で行動し排泄し食べて、笑っていたいものだ。



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2013年06月30日

「死ぬ」ってなに?『うらやましい死にかた』



『うらやましい死にかた』(五木寛之/文芸春秋)

『文芸春秋』掲載用に全国から寄せられた、実際に身近に体験した印象に残った死の実例を五木寛之氏が編集した。

「一番の関心ごとは、どのようにして安からな死を迎えることができるか」という五木氏にとって、寄せられた手紙の数々は、あらためてご自身の死生観を考えさせられることになったようだ。
投稿を読んで思わず号泣したわけとは、ただひたすら働き続けてきた普通の人の死のありさまに偉大なものを感じないわけにはいかなったからだという。

著名な作家として知られる五木氏は、それゆえ「それまでは知性は人間の死に対しては迷いを深めるばかりではないかと疑っていた。むしろ文字も読めない人の信仰のほうが死には強いと思っていた」。
ところが「すぐれた知性が死という得体のしれない怪物に対して立派に働く力をもっている実例が描かれていた」ことにまず驚いたという。
「『うらやましい死にかた』とは『立派な死にかた』ではない。襟を正すような厳粛な死もあればさびしい死にかた、滑稽な死にかた、間の抜けた死にかたもある。しかし、いずれの投稿にもこころを打たれた。死の瞬間よりもそのひとの生前の生き方に言葉を費やしている。死を語ることはそのひとの人生を語ること」だから。
そこには家族や親子や夫婦の絆、豊かさ、普通のひとびとの素朴な感情が込められていた。
「この国はまだ大丈夫かもしれない、とうなずく気持ちがあった」という。

確かに死は孤独かもしれない。しかし、ひとつの死をめぐってじつは幾重にもさまざまな気持ちが絡み合っている。ただひとりで死に行くわけではない、ということに思いを馳せる、それが上手に死と向き合う「知性」なのかもしれない。


投稿を読んで、「自分もそのように死んでいけるか不安だ。とてもできないとため息をつく。じたばたして死ぬのも人間らしくていい。妙に悟り済ました死に方に反発めいた感情をもっていた時期があった」と、五木氏でさえ迷いを隠さない。
古代日本の死生観は「穢」(けがれ)。鎌倉時代も商家の使用人の死期が近づくと「穢れ」るのを嫌って近くの川に放置したらしい。いつからか「穢」から「隠れる」になり「浄」へと変化していく。古代は「死んだら黄泉の国へ落ちる、つまり暗がりで腐る」と考えられていたが、「死後は光に満ち、この世のほうが腐っている、つまり厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)」へ変わっていった。
ただでさえ不安な死後の世界が「腐った」世界だったらいやだろう。死を回避する手段があるならまだしも、必ず死後の世界へ行くわけだから、せめて「希望」はほしい。

五木氏は「死ぬ事を終わりではなく新しい生のはじまりと考えられないか」という。それは死に行く本人だけじゃなく、かけがえのないひとの死を受け入れなければならない残されたひとにとってもそうかもしれない。
まさに「ひとつの“希望”としての死」である。


「死とは何か」を考えるうえで、まずは「死」そのものと向き合うことが大切だと、同書の中の杉本苑子氏との対談で語っている。
「さいきん火葬場に子供を入れないといった雰囲気がある。なんとなくいまは「死」が隔離されている」
「火葬場でお棺をがらがらと窯に入れ、ばちんと金属音がして扉が閉まる。そこで現実を確認し区切りをつけるんでしょうね」

「死」の不安を和らげるためには、「死」から逃げるのではなく、「死」と正面から向き合い、ときに、どうやって身近なひとが死んでいったか「死に様生き様」を聞いて自分になりに気持ちを整理していくことも大切である。


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2013年06月16日

「死ぬ」ってなに?008名言格言

「エンディングゲート」を通る直前に発する言葉が、おそらおくそのひとの人生観を如実に表している。
信念を貫き通して生きたひと、テキトーにおもしろおかしく生きたひと、最期まで悩み通して生きたひと、遣り残したことが多すぎて現世に未練たらたらのひと、「死」を単たる通過点として捉えている悟りの境地に達したひと、じつにさまざまな思いや背景が織り込まれ、読んでいて興味深い。
はたして、自分の辞世の句とはどんなものなのだろう、考え始めたらおちおち死んでなんかいられなくなる。

「真理は瀕死の人の唇からもれる」
たぶん、「その時」がきたら自然に口からもれるのだろう。そう信じて、じっと待っていようと思う。

ここで偉人たちの辞世の句、遺書、死生観にまつわる格言をまとめてみたので、ぜひ「その時」のための参考にしてほしい。


●友よ拍手を!喜劇は終わった  
ベートーベン

●重く散って軽く掃かるる一葉かな 
厳谷小波

●人生は戯れ、万事がそれを証す。かつてそう思い、今それを知る 
ジョン・ゲイ

●神に感謝します。私は義務を果たしました。
ホレイショ・ネルソン

●四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒  
●極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし 
上杉謙信

●露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢  
豊臣秀吉

●フランス……軍隊……ジョセフィーヌ……… 
ナポレオン・ボナパルト

●皆、子供はあまり出来ないようですけど陽気に育てて下さい。あなたをきらいになったから死ぬのでは無いのです。小説を書くのがいやになったからです。みんないやしい欲張りばかり、井伏さんは悪人です。
太宰治

●となりの部屋へ行くんだ。仕事をする。仕事をさせてくれ。
手塚治虫

●私の時間になった。死ぬことなどはなんとも思わない。だがこの世に愛するものを残しているのは、なんと心残りな事だろう。さあ、それでは眠ることにしよう。
バイロン

●死んでみたところでなんの役に立つのだろうか? まだ死ぬには早すぎる。せっかく自分のために生まれてきたものを全部自分のものにしもせずにあの世に旅立つなんて、果たして僕のすべきことだろうか。 
S・D・コレット
 
●死ぬなら楽に死ぬ。苦しむなら治る。どっちかにしてもらいたい。苦しんだ上に死ぬなんて理屈に合わぬ。 
伊丹十三

●死は存在しない。生きる世界が変わるだけだ。 
ドゥワミッシュ族の格言
 
●お前の人生が戯れにすぎなかったのなら、死はお前にとって真剣事であろう。だが、お前が真剣に生きたのなら、死はお前にとって一つの戯れであろう。 
クレッチマン

●我々はときおり、悪夢から目覚めた瞬間に自らを祝福することがある。我々はおそらく、死んだその瞬間をみずから祝福することであろう。
N・ホーソン

●賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、生きなければいけないだけ生きる。
モンテーニュ

●我々は命あるものを、使い古したら捨ててしまう靴や身の回りの品のように扱うべきではない。
プルタルコ

●眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ。 
サルバドール・ダリ

●人は誰しも、一人で生き、一人で死ぬものである。
ヤコブセン

●神はこの世の終わりを決めている。だが我々は、その声を聴いてそれを避けることができる。
 キャサリン・ノリス
●人生において、諸君には二つの道が拓かれている。
一つは理想へ、他の一つは死へと通じている。  
●人生はほんの一瞬のことに過ぎない。死もまたほんの一瞬である。 
シラー

●あらゆる生あるものの目指すところは死である。 
フロイト

●死すべき時を知らざる人は、生くべき時を知らず。
ラスキン

●死はありとあらゆる悲哀の週末なり。 
チョウサー

●死を願望するものは惨めであるが、死を恐れるものはもっと惨めである。 
ハインリヒ四世

●神々が愛する人たちは若くして死ぬ。 
メナンドロス

●私の疲れた心よ。生きるということはなんと困難なことだろうか。 
アミエル

●生きることは病であり、眠りはその緩和剤、死は根本治療。 
ウェーバー

●人生は一歩一歩、死に向かっている。 
コユネイル

●生きるべきか、死すべきか。それが疑問だ。 
シェークスピア

●若いうちに自殺しなさい。そうすれば死を利用することができるでしょう。 
ピエール・デプロージュ

●死とは、私達に背を向けた、光のささない生の側面である。 
リルケ

●われわれの生まれ方は一つ。だが死に方はさまざま。 
ユーゴスラビアの格言

●私は神に会う覚悟はできている。私と会見するという厳しい試練への準備が神の側でできているかどうかは別問題だが。 
ウィンストン・チャーチル

●真理は瀕死の人の唇からもれる。  
マシュー・アーノルド

●人間は生きることが全部である。死ねば全てなくなる。 
坂口安吾

●私達は生まれたとたん死にはじめている。 
マリニウス

●いくら長生きしても、最初の二十年こそ人生の一番長い半分だ。 
ロバート・サウジー

●人生が死より恐ろしいところでは、あえて生きることが最後たる真の勇気である。 トーマス・ブラウン
●死は救いとは言いながら、そうは悟りきれぬものである。 
大佛次郎

●このお盆に生きている全部の人間は、単に今年度の生き残り分にすぎない。 
吉川英治

●生死などは何でもない、つまらない事柄なのだ。ただ、生きていく態度が重要なのだ。
稲垣足穂

●死者も我々がまったく忘れてしまうまで、本当に死んだのではない。 
ジョージ・エリオット

●なぜ死を恐れるのですか。まだ死を経験した人はいないではありませんか。 
ロシアの諺

●最初の呼吸が死の始めである。 
フラー

●いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん 
孔子「論語」 

●死とは、ピクニックのとき遠くに聞こえる稲妻の音。 
W・H・オーデン

●命というものは、はかないからこそ、尊く、厳かに美しいのだ。 
トーマス・マン

●死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。 
村上春樹

●昨日まで 人のことかと思いしが おれが死ぬのか それはたまらん 
蜀山人

●死んで誰一人泣いてくれるものもないくらいでは、生きがいのないものだね。
徳富蘆花

●どのみち死なねばならぬなら、私は、なっとくして死にたいのだ。 
梅崎春生

●死は人生の終末ではない。生涯の完成である。 
ルター

●人間、死ぬときは死ぬのがよい。 
白隠

●死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。 
レーントン・ワイルダー

●誰でも死ななくちゃいけない。でも私はいつも自分は例外だと信じていた。なのに、なんてこった。 
ウィリアム・サローヤン

●命とは、セックスで感染した病気である。 
ガイ・べラミイ
 
●あたかも良く過ごした一日が、安らかな眠りをもたらすように、良く生きられた一生は、安らかな死をもたらす。 
レオナルド・ダ・ビンチ

●死が老人だけに訪れると思うのは間違いだ。死は最初からそこにいる。 
へルマン・ファイフェル

●私は生きることが大好きだから、死を恐れない。ただ、出来るだけ遅く死にたいだけだ。
ジョルジュ・シムノン

●天が私にあと十年の時を、いや五年の命を与えてくれるのなら、本当の絵描きになってみせるものを。 
葛飾北斎

●人生は旅行であって、死はその終焉である。 
ドライデン

●生涯をかけて学ぶべきことは、死ぬことである。 
セネカ

●人は死ぬ瞬間までも、もしかしたら助かるかもしれないと空想し得る力を与えられている。 
武者小路実篤

●死ぬ前に病気にならんことを決めたよ。ぽっくり死ぬのが一番だ。 
ソルジェニーツィン

●死ぬということは、生きているよりいやなことです。けれども、喜んで死ぬことが出来れば、くだらなく生きているよりは幸福なことです。 
谷崎潤一郎

●人間は、みんなに愛されているうちに消えるのが一番だ。 
川端康成

●死と太陽は直視することは不可能である。 
ラ・ロシュフーコー

●虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。保険に入っていれば金を残す。 
吉行淳之介

●僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ。 
マルロー
 
●墓場は、一番安上がりの宿屋である。 
ラングストン・ヒューズ
 
●私はあの世なんて信じない。だけど、着替えと、少しばかりの金は持っていくつもりさ。
ウディ・アレン

●音楽が終わったら、明かりを消してくれ。-
アドルフ・ヒトラー

● 生きた、書いた、愛した。
スタンダール

● 我ゆくもまたこの土地にかへり来ん國に酬ゆることの足らねば
東條英機

● 君が為尽くす心は水の泡消えにし後ぞ澄み渡るべし
岡田以藏

● おもしろきこともなき世をおもしろく
高杉晋作

● 裏を見せ表を見せて散る紅葉
良寛

●旅に病んで夢は枯野をかけめぐる 
松尾芭蕉

●身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置きまし大和魂 
吉田松陰

●何処やらに鶴の声聞く霞かな  
井上(乞食)井月

●これから最後の難関に立ち向かわなければならないがこればかりは未経験のことゆえ、不安だ。  
池波正太郎

●振り向くな 振り向くな 後ろには夢がない 
寺山修司

●青春時代の『死の恐怖』は多分に空想的、文学的なものであったが、七十に近い今日では『死』は恐怖よりもひたすら悲哀をもたらすのみであった。 
谷崎潤一郎

●きょうもまた過ぎし昔となりたらば、並びて寝ねん 西の武蔵野 
与謝野晶子

●大きな大きな不安だよ、君。こんな大きな不安には、誰も追いつけっこない。僕だって医者だって、とても追いつくことはできないよ 
井上靖

●心臓の発作がおきて苦しんでそのつど臨終の決心をするってのを、もう20回くらいやったからね。死ぬ覚悟ってのはえらくエネルギーを使うんですよ。もうあきたね。  
深沢七郎
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2013年06月05日

『死ぬ』ってなに?『死ぬ瞬間』



『死ぬ瞬間―死とその過程について』(エリザベス・キューブラー=ロス/中央公論新社)

著者・エリザベス・キューブラー=ロス。スイス生まれの心理学者。

脳死や心停止など「死」を物理的科学的に定義するのは簡単だが、まだ生きている人間にとってはそうした物的事象はあまり問題じゃない。肉体的に「死」を向かえる瞬間までの心理状態のほうがはるかに問題だし、「死」んだあとは、もはやそれはご遺体(抜け殻)でしかなく、肉体を離脱してそれを眺めている自分がいるとしたら、そのときの心理状態のほうがはるかに興味がある。

命をおびやかすような病気もなく、もっかのところ健康体の人間にとっては、「死」を意識するのはなかなか難しい(だからこそ不安も大きいのだろうが)。
では、ある日とつぜん「死」を宣告されたらどうだろう。

同書でキューブラー=ロスは、心理学的見地から「死」を受け入れるまでのプロセスを発表している。
それによると、「死」を受容するまでには5段階の経過をたどるという。

@否認の段階
(そんなはずはない、なぜ自分だけが。あれもこれもやっておけばよかった)
A怒りの段階
(医者や肉親、上司に対する怒り)
B取引の段階
(死を受け入れる)
C落ち込みの段階
(死を免れない、誰も恨むことができない)
D受容の段階
(死を受け入れる。ひとなつっこくなったりして「死にゆく自分への自信」が出てくる)


もし自分が「死」を宣告されたら。つなたい経験をたよりに想像してみるに、確かに上記のプロセスをたどるような気がする。
しかし、プロセスを知ったからといって「死」の恐怖から逃れられるわけではない。おそらく、「否認し怒り取引し落ち込み」さいごにようやく「受容する」のだろう。

もしかするとキューブラー=ロスも同じで、だからこそ私財と投じて終末医療のホスピスを開設したりしたのかもしれない。


死刑を宣告された死刑囚は比較的安らかに運命を受け入れるのだという。
死刑を宣告されたことで手記を書いたり短歌を作ったりして逆に活動的になることが多いというのだ。
死刑囚が受ける「死」の宣告と、末期がん患者など病気による医者からの「死」の宣告とは、意味合いが違う。
死刑囚の場合は罪を犯したことへの報いであり、つまり「死」の宣告は因果応報、自らが招いたことである。
病気による宣告は、それこそふってわいた災難である。「どうして自分が」「なにも悪い事をしてないのに」。
ただ、「死」の宣告=有期「生」の宣告を受けた意味では同じだ。途中からの「死」を受容するまでの「プロセス」に違いはないのだろう。
だからこそ死刑囚も末期がん患者も最期はおだやかになるのではないだろうか。
残りの人生を限定されることで生が濃密になるのかもしれない。

一方、無期懲役の判決を受けた囚人のほうが落ち込みが激しいという。
そして死刑から減刑されたりするとまたダメな人間になる。
余命を宣告されたのになかなか死なないときも同じ状態になるらしい。じっさいこれはこれでつらい状態である。

昨年末、旧知の友人が末期の大腸がんで亡くなったが、終始楽天家あった彼が余命宣告を受けていた半年を過ぎたあたりから「生きるにしても死ぬにしてもそろそろはっきりしてほしい」とわたしに漏らした。
そのときの彼の心理状態を想像するとつらかった。


「死」の準備とはなにか。やはり、つねに「死」を意識しいまを大切に生きていくこと、それにつきるようだ。



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2013年06月01日

「死ぬ」ってなに?『往生要集』

往生要集.jpg


「死」を語るうえで切っても切れない関係にあるのが宗教だ。
中国から南都六宗が伝わって以来、1500年の年月を経て仏教は現在の13宗に分派していったが、経典や教えこそ違いはあるものの、そのいずれも目的とするところはすべからく「成仏」である。
大昔から、「死」に対する興味(不安?)は不変なのだ。
「死」そのものより、「死んだあと」にもっぱら関心があるのだが。
念仏を唱えたり座禅を組んだりして、とにかく「死んだあと」に極楽浄土に行くこと、それが宗教の最終目標なのだ。

日本人の「死生観」を決定付けたのが、源信の『往生要集』であろう。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて、日本の仏教は浄土教一色になった。念仏さえ唱えれば極楽浄土へ往生できると説く浄土教。

なぜ浄土教が広まったのか、その理由は当時の時代背景に多分に関係している。1052年、日本は「末法の世」に入るとされた。「末法の世」とは、修行するひとも悟りを得るひともいなくなり、釈尊の教えだけが残る、という意味だが、当時はイコール「この世の終わり」と同義だった。まさに「ノストラダムスの大予言」だ。
私利私欲に満ちた僧侶同士の争いが絶えず、慢性的な飢饉も蔓延し、餓死者も続出していたその当時は、まさにこの世の地獄、つねに「死」と隣り合わせだった。
そこで、念仏を唱えればすばらしい「あの世」へ成仏できると説く浄土教が広く受け入れられたというわけだ。

その浄土教を体系化したのが『往生要集』である。ここにはまず八大地獄が描かれている。われわれが想像する地獄絵図の原型がまさにこれだ。そして次に描かれるのが癒しに満ちた極楽の世界。念仏を唱えれば、このすばらしい極楽世界に行けるのだ。
信者を増やすためのマニュアルであったこの『往生要集』は、現代の日本人の潜在意識に地獄と極楽の世界観を刷り込むことになる。まさに「死のガイドブック」だ。
「ガイドブック」のゆえんはあの世を描いたというだけではない。末期患者を現在のホスピスのような施設に入れ、そこでいよいよ臨終が近づいたとき、果たしてなにが見えるか、どんな風景が広がっているかを聞き出し記録しているのだ。つまり誰もみたことのない今わの際を取材しようとしたわけだ。「死」に対するなみなみならぬ好奇心の強さのあらわれだ。

「死」を迎えるにあたり、不安や恐怖を緩和する意味で宗教心は大いに役立つと思う。
死ねば極楽浄土へ行ける、先に死んだ親や知人に会える、はすの花が咲き乱れ七宝に囲まれ不安や悩みとは無縁の夢の楽園に行ける、そう思えれば、「エンディングゲート」をくぐるときに自然に笑みもこぼれてこようというものだ。
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2013年05月20日

「死ぬ」ってなに?『メメントモリ』



『メメントモリ』(藤原新也/三五館)


彷徨の写真家、藤原新也氏が1983年に発表した「写真集&詩集」。
かなり以前に出版されたにもかかわらず、いまだに若者たちに衝撃を与えつづけている一冊。

わたしもずっと以前にこの写真集に出合い、頭を棍棒でなぐられたような衝撃を受けた。
「死」とはなにか、それは「生き続けたあとに待っているもの」そのときはそう考えたことを覚えている。

「死んだことがある」人間がいない限り、「死」は概念(イメージ)であり、だからこそ「死生観」もひとそれぞれ違う。地獄や極楽浄土といった死後の世界も、当然のごとく絵でしか表現できない。

しかし、『メメント・モリ』=「死を想え」というタイトルがつけられたこの本は、「死」の概念を「写真」で提示したという意味で画期的だ。絵や活字と違い、強烈なリアリティをもって迫ってくる。
そしてなにより、「死」を特別なことではなく、食べたり寝たり排泄したり繁殖したり喜んだり悩んだりするのと同じ次元で捉えているという藤原氏の感性(写真には短いコメント、というか詩が添えられている)がすごい。

たとえば、路上に捨てられた遺体を野良犬がむさぼり食ってるカットには
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」、
川沿いの白砂に横たわる白骨の遺体のカットには
「病院では死にたくないと思った」
「その景色を見て、わたしの髑髏(しゃれこうべ)がほほえむのを感じました」
などなど、非日常の光景を前に「生き生き」と死を表現している。

「死」とはなにも特別なことじゃない、特別なことともっとらしく語っているだけで、いつもわれわれの隣になにくわぬ顔して座っているのだ、そんなメッセージが込められている気がする。

死んだあとはどうなるのか。
藤原氏の写真は、そんなことは知らない、骸自体には意味はない、それより「死ぬ際」が大事なのだ、そう語っているようにわたしには思える。

「死」について考えるなら、ぜひ一度『メメントモリ』を見て「死を想」ってみてほしい。




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2013年05月15日

「死ぬ」ってなに?『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』




『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』(金子哲雄/小学館)

2012年10月に「肺カルチノイド」という難病により、41才という若さで急逝した流通ジャーナリスト、金子哲雄氏の亡くなるまでの500日間を綴った渾身のエンディングダイアリー。

失礼ながら、テレビでは「いじられキャラ」という印象が強かった金子氏が、ここまで真摯に自分の人生と向き合っていたことに驚きを感じた。そして自分の最期を冷静な視点で自らプロデュースするという、相当な「根性」の持ち主だったとは。

「死ぬ」とはどういうことなのか。それを頭の中で整理し受容することが、「死」への唯一の抗いであり心得であると思っていたが、自分が死んだあとのセレモニーを自分らしく「演出」する=つまりエンディングゲートをくぐる崇高で孤独な儀式を一生に一度の一大イベントとして自分がやりたいように演出することで「死」を迎え入れるという向き合い方もあるのだ。


咳が止まらないからと近所のクリニックで診察して結果を聞きに行ったその場で「末期がん」と宣告を受け、思い悩んだ末に「もともとわたしは明るいキャラクターで通っている」「ガンだと告白しても皆さんに気をつかわしてしまうだけだ」と考え、病名を公表しない決心をする。

それからは仕事と闘病を繰り返し、一時的に危篤状態に陥ったにもかかわらず、自分のエンディングを本にまとめることが決まってからは食欲も出て日に日に元気になり、不思議と病状が快復したという。

キューブラー=ロスによると、「死」を宣告された人間は「死」を受け入れるまでに5つの段階を経るらしいが、いずれにしても「生きる」目標を設定することが、なによりの支えになることは間違いない。

あと、「在宅で終末医療を受け、妻とふたり、自宅で過ごし、妻に看取られて死を迎える。それが自分にとっては最大限、幸せを享受できる最期の迎え方」だったという。
みんながみんな在宅での終末医療を受けるのは難しい。そういう意味では金子氏はまだ恵まれた環境ではあった。

金子氏は、葬儀の料理から遺影、霊柩車の手配、そして戒名、墓地と考えうるあらゆる「死の準備」を行った。それだけの準備ができたからこそなのかもしれないが、亡くなる当日、主治医やマネージャー、葬儀社の社長などを呼んで、「僕はもう、今日ぐらいだと思うんです」そういってお別れをいったという。そして妻に手を握られながらその夜眠るように息を引き取った。
最期の最期まで準備万端―そんなエンディングだったようだ。


40代という若さで死の宣告を受け自暴自棄に陥ったときもあったらしいが、人生の締めを怠らないこと、終わりよければすべてよしで、自分の思いえがいたとおりの最期が迎えられたら、理不尽とも思える運命も笑顔で受け入れられる、それを身をもって教えてくれたような気がする。



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2013年05月01日

「死ぬ」ってなに?『生、死、神秘体験』



『生、死、神秘体験』(立花隆/講談社)


生命とは何か、死とは何か…。さまざまな角度から生と死の正体を捉えようと論客10人と対話する立花隆の対話集。

幼少期より一貫して人の生と死の問題に関心を持ってきた著者は、死ぬ間際の出来事、「臨死体験」の研究者としても有名だ。
もしかすると、われわれが一番興味があるのは「死んだあと」より、その「きわ」なのかもしれない。この世とあの世の境。たとえば、宇宙はいま加速度的に膨張しているといわれるが、では宇宙とその「外」のきわはいったいどうなっているのか、そんなとりとめのないことをよく眠りにつく「きわ」で考えたりするのだが、考えれば考えるほど眠れなくなる。


立花氏はいう。

「ここはどこ?」「あなたはだれ?」「いまはいつ?」
通常はアドレスで答えるが、日本、地球、銀河系、宇宙まではわかるがその宇宙がどこにあるのか(宇宙の外はわからない)わからないから、結局正確には答えはない。「じぶんはだれか」も連綿とつづいてきたDNAをさかのぼると地球の歴史につながり、そして宇宙の歴史につながる。

と。

われわれの死の「きわ」も、けっきょくは連綿と続く時間軸ののりしろなのだ。
そう考えると、なんとなくだが、孤独感が少しだけうすまる気がする。
けっきょく一番怖いのは、ひとりぼっちで死んでいく孤独感なのではないだろうか。
死ぬときはひとりなのだから孤独感が消えることは決してないが、そのこと自体は前世後世をつなぐ上で大事な儀式なのだ。
とはいえ、孤独な死にたいする恐怖がないかというとそうではない。



「『死は人生最後のライフステージ』入学や就職や結婚も同じ新たなライフステージ。しかしそのときは経験者がいるし手引書があるし同じ初体験する仲間がいる。しかし「死」は先輩を見て学べない。いっしょに体験する仲間もいない。死は共有できない。心中しても相手がどのような意識体験をしているかはどちらにも永遠にわからない。自分の死はだれも助けてくれない。首をつるとき足をひっぱってもらってもこの世からあの世へ移行していく手伝いをしてもらうことはできない。死は絶対的孤独のなかでただ自分とのみ向き合う中ではじまり完結する。人生の中でもっとも孤独な体験。
自分は小さいときから死ぬのがこわかったがそれは恥ずかしいことだと思い誰にもいわなかった。あるとき東大助教授の哲学者に聞いたら「自分もこわくてそれを克服しようと哲学をはじめた。でもいまでもやっぱりこわい」と聞いてほっとした」


どんな偉い学者でも、やはり未体験の「死」への不安からは逃れられないようだ。
ただ、「こころの準備」をしているのとしていないのとでは、いざ直面したときの不安感はだいぶ違うと思う。
やはり、いつも「死」を意識することが、不安に処する最大の対抗策なのだろう。



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2013年04月25日

「死ぬ」ってなに?『死にカタログ』



『死にカタログ』(寄藤文平/大和書房)

寄藤文平
JTの広告「大人たばこ養成講座」を描いたイラストレーター。
「わかったふりをしているが、じつは僕には死がさっぱりわからない」そんな素朴なギモンを持ち続ける著者が世界中の死生観を例にあげながら、自分なりに死を定義しようとしている。

寄藤氏は、著書でこんなふうに「死」を考えていた。
いわく、「小さかったころ『死』とはたいてい遠くに行くか(幼稚園のときヒロタケ君は遠いところへ行きましたといわれた)、星になるか、隣町に引っ越すことだった。小学生ぐらいになると天国に昇ったり地獄に堕ちるようになって、中学生にもなると誰かの心の中に宿ったり地縛霊になったり、たんぱく質に分解されたりしはじめます。高校生になったころにはもはや何だっていい、という感じでした。死とはなにか、言葉の響きは重たいのに、その答えは日によって、人によってコロコロと軽く変わるものでした」

子供ながらに、「死」を定義しようとして、でもそれはけっきょくはあやふやなもので、およらくそれは、分別のついたおとなになったいまでもかわらないのだと思う。
数式みたいに答えがあるわけじゃないから、自分の感性で認識しようとして、でもその感性も、そのときどきで変わっていく。
落ち込んでいるときは「死」はリアリズムをもって隣に迫ってくるし、なにごともうまくいっているときは、非現実的な幻想世界として空の上にあったりする。

同じ日本人でも捉え方が千差万別なんだから、国や民族が違えばおして知るべしだろう。
ただ、まったく違う思考だから、逆にわれわれも大いに参考になる考え方があるかもしれない。
寄藤氏も著書で紹介している。

◆アイヌ民族
「死んでも現世とあまり変わらない下界に行く。下界は現世と時間が逆さま。こちらが夜なら向こうは昼。夏なら冬。夏に死んだら冬支度、不冬に死んだら夏支度で埋葬する」
◆パプアニューギニア
「死ぬと近所の実在の島へ行く。そこで普通に結婚したり仕事したりする。年老いると海で脱皮し、もとの島へ新しい命としてもどってくる」
◆古代エジプト
「死ぬと魂は死者の国へ。魂は永遠に不滅。再生の日を待つ。再生の日まで肉体を保存するためにミイラにする」
◆ジプシー
「死んだらいなかったことにする。名前も思い出も口にしない。遺品も残さない」
◆オセアニア原住民
「太陽こそ死者の住むところ」
◆イスラム教
「死は終わりではなく一時の別れ。いつかくる『審判の日』に大天使ガブリエルがラッパを吹けば死んだひとが蘇ると固く信じられている。復活後アラーの神の審判があり、善行を積んだひとはや安らぎを得られ、信仰が足りなかったひとは永遠の苦しみが待ち受けている」
◆フィリピンマノボー族
「死んでもなにも変わらない。しかし現世のわずらわしさはない。死んだ人と再開し、結婚し、仕事をし、平和に暮らす」


では寄藤氏は、いまどのように「死」を認識しているのか。
「死はそれまでの人生が津波のように襲ってくる。死と向き合うということは自分の人生と向き合うこと」
「毎日、ちょっとずつ折りたたんでいく。ときおり死のほうから自分を振り返ってみる。死を前にしても押しつぶされないように。できるだけまっすぐ死に向かって毎日を折りたたむ」
そして、
「死を楽しもうとは思わないが、真剣に考えることは必ずしも深刻な顔をすることではない。ふつうの顔をして読める『死の本』が作りたい。


まさに、「普通」のひとにとっては、ついぽんと手を打ちたくなるようなつぼにはまった考え方だと思う。どうせわからないものだから真剣に考えてもしかたない。かといって無視するのも、「生きている」ことをおろそかにしているようで心苦しい。

片肘はらず、そのうち向こうからやってくるであろう「死」をしっかり受け入れる準備を日ごろからしていくこと、それが大事なのだろう。


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2013年04月23日

「死ぬ」ってなに?『祝魂歌』




『祝魂歌』(谷川俊太郎/朝日新聞出版)

人間に限らず生きとし生けるものすべて、いつかは「死」の門を通ります。
できれば笑ってその門をくぐりたいものですが、いかんせん、「死んだ事があるひと」から話しを聞くことはできませんから、じつのところ「死」がどんなものなのかわかりません。
わからないからどうしても「死」を意識すると不安になります。
たぶん、自分で自分を、「死」とはこういうもの、と納得させるしかないのでしょう。
そこで、さまざまな文献から先人たち、著名人たちは「死」をどう捉えていたかを考えてみたいと思います。

まずまっさきにご登場いただくのが、下の一遍の詩です。



『きょうは死ぬにはもってこいの日だ』

きょうは死ぬにはもってこいの日だ。

生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。

すべての声が、わたしの中で合唱している。

すべての美が、わたしの目の中で休もうとやって来た。

あらゆる悪い考えが、わたしから去っていった。

今日は死ぬにはもってこいの日だ。

わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。

わたしの畑は、もう耕されることはない。

わたしの家は、笑い声に満ちている。

子どもたちは、うちに帰ってきた。

そう、今日は死ぬにはもってこいの日だ。

(プエブロ族の古老)



続いてもう一遍。


『別れの練習をしながら』

別れる練習をしながら 生きよう

立ち去る練習をしながら 生きよう

たがいに時間切れになるだろうから

しかし それが人生

この世に来て知らなくちゃならないのは

「立ち去ること」なんだ


なんともはやのうすら寒い闘争であったし

おのずからなる寂しい唄であったけれど

別離のだんどりを習いつつ 生きよう

さようならの方法を学びつつ 生きよう

惜別の言葉を探りつつ 生きよう

人生は人間たちの古巣

ああ われら たがいに最後に交わす

言葉を準備しつつ 生きよう

(詩人の茨木のり子氏訳 趙炳華チョウピョンファ)



いずれもなんとなく「死」を前向きに受け止めています。
前向きとは積極的にという意味ではなく、避けて通れないものだから、
しっかり受け止めようという強い意志という意味です。
なかなか凡人には難しいことですが、日ごろからそうした考えをもっていれば
おのずと「死」への不安は小さくなるだろうし、なんとなく生き方も変わってくるような
気がします。


posted by bambi at 13:38| Comment(0) | 「死ぬ」ってなに?